婚約破棄のジレンマ
婚約者同士だというのに、非常に仲が悪いカップルがいた。
子爵家令息のカニス・フーントと子爵家令嬢のミンシア・サンジェ。
カニスは黒髪を短く整え、左右に分けた美丈夫。ミンシアも肩まで伸びた金髪が麗しい令嬢であった。
二人が夜会に出ると――
「やっぱり食事の後は赤ワインに限るな」
「何言ってるのよ。赤ワインなんて苦みが強くて飲めたもんじゃないわ」
「なんだと……!? いくら白ワインを飲んでも、その薄汚れた心までは綺麗にならないぞ」
「なんですってぇ!?」
些細なことで喧嘩をしては、周囲を呆れさせる。
破局は目に見えており、先に婚約破棄を言い渡すのはどちらだ、などと言われていた。
***
そんなある日、カニスが街を歩いていると声をかけられた。
銀髪碧眼、口髭を生やし白スーツの、貫禄ある紳士だった。
「カニス・フーント君だね?」
「ええ、そうですが……」
「私はファザン・シアナス。以後お見知りおきを」
「……! シアナス家のご当主……」
ファザンは今最も勢いのある貴族の一人であり、カニスも当然その名を知っていた。
「いったいなんの用で……」
「君とミンシアさんの件についてだ。婚約しているにもかかわらず、あまり仲がよくないと聞いている」
「……お恥ずかしい話で」
カニスはバツが悪そうにうつむく。
「とはいえ、一度婚約してしまった以上、バッサリ関係を清算することもできず悶々としているんだろう」
「その通りですね。結婚って家同士の契約でもありますし」
「そこで、だ」
ファザンが自分に親指を向ける。
「私が君たちの関係にケリをつけてあげようと思ってね。どうだね?」
カニスは少し考えてから答えた。
「ぜひお願いします」
「よろしい。ではあの馬車に乗ってくれたまえ」
カニスは言われるがまま馬車に乗り、ファザンとともにどこかへと向かった。
***
机が一つあるだけの小さな部屋だった。
カニスとファザンは向き合って座っている。
ファザンが切り出す。
「さてと、最初に言っておこう。これから君にはある選択をしてもらうが、それが終わるまで部屋を出ることはできない」
「……!」
カニスがドアを見ると、屈強な兵士が立っており、とても突破はできそうにない。
「ただし、終わればすぐ出られる。まあ、安心してくれ」
「……はい」
カニスの顔に不安が募っていく。
「次に、私は“調停官”の資格を持っている」
「調停官……!」
調停官とは、王国民の婚約、結婚、離婚に関するトラブルについて、自身の裁量で裁き、解決することのできる権限を持つ職業である。
かなりの強権が認められており、たとえ王家クラスの結婚に関わる事象でも、調停官の裁きは絶対である。
極端な話「君のこと嫌いだから、君は奥さんにたくさん慰謝料を払うように!」のようなことをやっても通ってしまう。トラブル当事者は従わねばならない。
逆にいえば調停官が間に入ってくれれば、結婚に関するトラブルは後腐れなく解決することができる。
「さて、これから君にはミンシアさんとの婚約を破棄するか、それとも結婚するか、選択してもらう」
「そ、それはもちろん……!」
婚約破棄したいです、と言う前にファザンが右手で制す。
「待ちたまえ。その答えを聞くのは今から言う条件を聞いてもらってからだ」
「条件……?」
「実は今、ミンシアさんも君と同じような状況になっている。こうして一対一で調停官に選択を迫られている。婚約破棄か、結婚か、とね」
「はぁ……」
「そしてもし、君も婚約破棄したい、ミンシアさんも婚約破棄したい、となったら晴れて婚約破棄成立だ。お互い同意しているんだからね。なんの後腐れもなく、金の動きもなく、この婚約はなかったことになる」
「なるほど……」
「次に、君だけが婚約破棄したい、ミンシアさんは結婚する、を選んだ場合は、婚約はなくなるが、君には慰謝料を払ってもらう」
「え!?」
「当然だろう。相手は結婚すると言ってるのに、君は婚約を破棄するんだから。その慰謝料は……1000万パレほどになるだろう」
「1000万……!?」
1000万パレ。貴族でさえそう払える額ではない。
カニスの場合、フーント家の金庫から出してもらうしかないが、家の財政に悪影響を及ぼすことは確実。家における自分の立場は最悪なものになる。
「ただし、もし君が結婚を選び、ミンシアさんだけが婚約破棄を選んだなら、君には1000万パレが支払われることになる」
「な、なるほど……」
婚約破棄できる上に、大金が手に入る。これほど美味しい話はない。
「そして両方とも結婚するを選んだ場合、君たちは結婚することになる。もし、こうなった後、やはり婚約を破棄するようなことがあれば、1000万パレどころではないペナルティが課されるだろうがね」
「……!」
両方とも結婚するを選んだ場合、結婚は成立し、そこからさらに婚約を破棄しようとするのはあまりに現実的ではない。腹をくくって結婚するしかなさそうだ。
これまでの話をまとめるとこうなる。
カニス、ミンシアともに婚約破棄を選択→婚約破棄成立、慰謝料も発生せず。
カニスのみ婚約破棄を選択→婚約破棄成立、カニスは慰謝料を払う。
ミンシアのみ婚約破棄を選択→婚約破棄成立、ミンシアは慰謝料を払う。
カニス、ミンシアともに結婚を選択→結婚が成立。当然慰謝料などは発生しない。
「そして、君はミンシアさんがどういう選択をするか知ることはできない。向こうも同様だ」
「はい……」
「では改めて問おう。ミンシアさんとの婚約を破棄するか、結婚するか」
カニスの顔に汗が浮かぶ。
(ミンシアとの相性は最悪だ……婚約破棄したいに決まってる。だが、もし俺だけ婚約破棄を選んでしまったら、1000万なんて慰謝料を払わなきゃならなくなる。そうなったら俺のフーント家での立場は終わりだ。結婚すらできなくなるかも……。なら結婚を選ぶか。もしミンシアが婚約破棄を選んでいれば俺は莫大な慰謝料をゲットできる……。しかし、あいつも結婚を選んでいたら、結婚することに……ああっ、どうすればいいんだ!)
ファザンはその様子をじっと見つめる。
「この選択に制限時間はない。いくらでも待つよ。自分で納得できるまでじっくり悩んでくれたまえ。ああそうそう、食事ぐらいは出すよ。一緒に食事でもどうだね?」
「……お願いします」
食事には上等なステーキ、スープ、パン、サラダなどが出された。
カニスは難しい顔をしつつ、それを平らげた。思考のために少しでも栄養が欲しい、とでも言うかのように。
そして、再び悩み始める。時間がいくら経とうと、ファザンは急かすような言葉は一言も口にしなかった。
***
いったいどれぐらい時間が経っただろうか。
カニスはついに結論を出した。
「……それでいいんだね? 変更はできないぞ」
カニスはうなずく。
「かまいません」
「分かった。では今から答え合わせをしに行こう」
カニスとファザンは再び馬車に乗り、ある場所に向かった。
そこは公園であり、すでにミンシアともう一人、婦人が待っていた。
カニスとミンシアは憔悴しきっている。
さっそくファザンが告げる。
「カニス君の答えは“結婚する”だ」
ミンシアの横に立つ婦人も告げる。
「ミンシアさんの答えは“結婚する”よ」
両者ともに“結婚する”を選んだ。
つまり、二人は結婚することになる。
お互いに不服そうな顔を見せるが、同時に納得していそうな笑みも浮かべる。
「お前が婚約破棄を選んでれば、大儲けできたんだけどな」
「それはこっちの台詞よ」
カニスは目を細める。
「だが……頭痛を通り越して頭がおかしくなるぐらい悩んで出した結論だ。文句はない」
「……それもこっちの台詞よ」
その後、二人は馬車に乗って、お互いの家に帰っていった。
公園に残ったファザンともう一人の婦人は――
「あの二人、上手くいくと思うか?」
「それは分からないけど、あの二人が昔の私たちにそっくりだっていうのは確かね」
「それは言える……」
ミンシアに婚約破棄するかどうかを尋ねていたのはパーシル・シアナス。ファザンの妻である。彼女は元伯爵家の令嬢であり、調停官の資格を持っている。
ファザンとパーシルも婚約時代は仲が最悪であった。些細なことで喧嘩をし、罵り合った。しかし、ある貴族から今と同じように二人バラバラに「婚約破棄するか、結婚するか」の二択を迫られ、二人とも結婚を選択し、今に至る。
夫婦生活は順調といっていい。
「婚約破棄を選ぶのはあまりにリスクが高いから、よほどのギャンブラーでない限り結婚を選ぶよな」
「そうよね。貴族としての教育を受けてきた人間ならなおさらだわ」
ファザンとパーシルにはこうなることは分かっていた。
家を背負い、民を背負う立場である貴族は、リスクよりも安定を取る。そう教育される。考える時間が無制限であるならなおさらである。頭は冷え、脳は疲れ、博打じみた選択などできなくなる。
もし「5分以内に決めろ」のように時間が区切られていたら、違った結果もあり得たかもしれない。
「ま、これで両家当主の希望は叶えられたわけだ」
「そうね。あの二人を何とかして結婚させたいというね」
二人はフーント家、サンジェ家から依頼を受けていた。
この結婚を何とか成立させられないか、と。
そこで自分たちの経験を生かしたのである。
「調停官としての立場を使えばもっと強制的に結婚させることもできたが、悩んだ末の結論なら何とか我慢できるだろ。結婚なんてのは多かれ少なかれ我慢や妥協が必要だしな」
「そう願いたいわね」
シアナス夫妻は馬車に乗り込む。
「これから肉でも食べに行くか」
「……できればお魚の方がよいのだけど」
「なら、魚にしよう」
言いながら、ファザンは思った。
若い頃の自分であれば、絶対譲らなかっただろう。
私も成長したものだ、と。
完
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