表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/24

第7話:乱れ、そして不可解


 火災現場の騒ぎは、徐々に沈静化していた。消防隊が対応に追われ、野次馬たちがざわつくなか、与作はまだ息を荒げたまま立ち尽くしていた。

 そのすぐ脇で、一人の消防士が倒れていた。顔の半分が赤く焼け爛れ、呻き声が漏れている。

「……大丈夫ですか……!」

 駆け寄ったのは、エリアスだった。

 彼は素早く手袋を外し、両手を傷口の上にかざす。誰にも気づかれぬよう、周囲の視線を遮りながら。

 ゆっくりと、深く息を吸い込む。

 彼の掌から、かすかに空気の流れが変わった。

(……乱れてる。ドイツにいた時と同じだ……)

 エリアスの“感覚”は、常人のそれとは違っていた。医学的な知識の裏打ちを越えて、彼には“見えない均衡”が感じ取れていた。

 体内のめぐり──血の流れ、気の流れ、生命の糸。

 それらが、どこか噛み合っていない。

 だが、そこにわずかでも“糸口”があるのなら──

「……戻れ」

 静かに、願うように呟いた。

 その瞬間、手のひらの奥がじんと熱を帯びた。

 まるで、自分の内にある“何か”が、他者へと染み出していくような感覚。

 痛みで呻いていた消防士の表情が、わずかに緩む。

(これは──)

 かつてドイツで、患者の手を握ったときにも、似た感覚があった。あのときは偶然だと思った。だが今は、確信がある。

 これは偶然じゃない。自分の中に眠る、“力”だ。

 理屈では説明できない。だが確かに存在する。

 体を通じて、命のバランスを調律するような感覚。

(……やっぱり、僕は、これを……)

 エリアスの中で、何かがはっきりと輪郭を持った。

 彼はゆっくりと息を吐くと、倒れていた消防士の意識がうっすら戻りはじめるのを確認した。

 

 与作は、火の熱に巻かれた左手を氷で冷やしながら、救急車のベッドに腰を下ろしていた。火傷は軽度とはいえ、応急処置だけでは判断がつかないということで、そのまま病院へ搬送されることになった。

 一方、エリアスは現場で消防士の応急対応に関わった際、自身が医師であることを名乗ったこともあり、「念のため、状況を詳しく聞きたい」と搬送に同行するよう求められた。

「……中野? 東京警察病院? ここ、八王子だぞ?」

 搬送先を聞かされたとき、与作は思わず眉をひそめた。

 問いかけても、救急隊員は淡々と書類に目を落としたまま、事務的に答える。

「都の判断で、指定医療機関への搬送となります。念のため、精密検査も含めて。」

「なんだよ、それ……」

 与作は納得のいかない顔で、冷やしたタオルを握りしめたまま黙り込んだ。エリアスも、どこか不穏な空気を感じ取りながら、静かにその横顔を見つめていた。


 車内の揺れの中、与作がふと思い出したように声をかける。

「……なあ、エリアス。お前、医者だったのかよ。」

「ん? ああ。別に隠してたわけじゃないけどね。言うタイミングがなかっただけで。」

「言えよ。ていうか、お前、そういう雰囲気あるな。なんか……妙に落ち着いてるっていうか。」

 エリアスは苦笑して肩をすくめた。

「君がいつも変な話ばっかりするからさ。なかなか言い出せなかったんだよ」

 そんなやり取りの裏で、二人の胸には、拭えない違和感がじわじわと広がっていた。


 病院に着いてからも、それは確信に変わりつつあった。

 案内されたのは、通常の救急外来ではなく、特別病室のフロアにある二人部屋。窓には鍵がかけられ、扉の外には私服の警備員らしき男が無言で立っていた。

 スマホは「電波干渉の影響を防ぐためです」と言われて預けさせられたが、理由としては曖昧すぎた。

「なあ、どうなってんだこれ……」

 与作が低く唸るように呟く。エリアスも首を傾げながら、備え付けのベッドに静かに腰を下ろした。

 何より妙だったのは、担当の医師も看護師も、一様に同じ言葉しか口にしないことだった。

「念のため、しばらく様子を見させてください。異常がないか、検査を行います」

 その“念のため”が、何を指しているのかは、誰も説明しようとしない。

 医師たちは書類に目を落としたまま、ほとんど目を合わせようとすらしなかった。

「……絶対おかしいだろ、あの態度」

 与作が苛立ちを隠せずに言う。

「僕も同じような感じだった。火傷もしてないのに……“念のため”で連れて来られて、検査までされてる」

 あからさまな不審な対応に、二人は戸惑いを隠せないでいた。

 


ここから少しずつ、物語の核心――“理素”についての解説編に入っていきます。

本作の根幹にあたるパートですので、ぜひ最後までお付き合いください。

与作たちの“出発”も、ここから始まります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ