第41話:文化的な時間、そして海の呼び声
海を離れ、人通りは落ち着いていき、観光地のような雰囲気とは変わったエリアへと与作と時子を乗せたバスは進んでいく。途中、射撃場の看板が流れていき、与作はそれが妙に気になった。目で追いかけたが、あっという間に道路わきに並ぶヤシの木と共に視界から消えていった。
大きい道路の真ん中のバス停で与作と時子は下車した。
駐車場を抜け、敷地の奥へ続く道を進むと、岩を積み上げた外壁の建物が目の前に現れた。その入口の前で二人は、並んで建物を見上げるように立ち止まった。
「ここなら、きっと静かで文化的な時間が過ごせるぜ」
「私、与作がこういう場所に来るの、ちょっと意外だったよ」
時子の言葉に、与作はふんと鼻を鳴らした。
「これでも専攻は民俗学だぜ? 郷土資料館とかも出入りしてたんだ。……まぁ、課題の資料とか必要に駆られてだけどな」
そう言って、与作は入口へ進みだした。
「チケット買って、さっさと入ろうぜ」
――ビショップ博物館
順路の通りに、音声ガイドを流しながら、与作と時子は進んでいった。つい歩みが速くなる与作は、じっくりと展示物を見ている時子を振り返り、足を止める。
フロアを上がると、海洋と信仰のコーナーに差し掛かった。並ぶガラスケースには、展示物が、ハワイの先住民族が身に着けているアクセサリや儀式のモチーフであること解説するパネルと共に、木製と思しき材質の物品が収められていた。
「親父のノートにあった『カナロア』って、この辺りを含む、ポリネシアの海の神様だったよな」
「うん。タコの姿だったり、する男神。豊漁や航海の安全を司る神だったり、死を司る神でもあったり……。ちょうど、その説明パネルがあるね」
――航海のお守りとされている、三つの円柱型が連なる首飾り
時子は、立ち止まって、それをじっと食い入るように見ていた。
「それが……どうかしたか?」
ガラスケースの中を腰をかがめて、時子はまじまじと見つめている。
「……なんだか、妙に気になって」
――突然、時子は顔を上げた。周囲を振り返った。何かを探している、そんな素振りに見えた。
「おいおい、どうした? いきなり」
「今、誰か呼んだ? 女の子の声がしたけど」
与作は不思議そうな顔をして、時子と同じく周囲を振り返った。
少し距離を取ったところで、老夫婦が別の展示物を見物しているくらいで、こちらを見ているような人物は見当たらない。
「……いやあ? 気のせいじゃねえか?」
「……そっか」
与作は次の展示コーナーへと進んでいった。時子も与作の背中を追いかけて歩き始める。――その首飾りに後ろ髪を引かれるような、感覚を拭いきれず、立ち止まり振り返った。
(……この感じ。オーストラリアでもあったような気が……)
違和感を抱きつつも、時子は再び歩き出した。
*
「あー、ゆっくり見れたわ。博物館とか美術館って、なんか普段使わない頭使う感じがして好きなんだよな」
与作が伸びをしながら、博物館の入口から出て、歩いていく。
パールハーバー方面へのバス停に向かう道中で、1件の雑貨屋が待ち構えていた。
「どうせ時間はあるし、ちょっと中覗いていこうぜ」
与作に続いて、時子も中へ入っていった。
木目調の壁の中に、所狭しと多くの品々が並ぶ。西側の窓からは外の光が入り込んでいる。
カメハメハ大王の置物、マカダミアナッツのチョコレート……。ちょうど博物館で見てきたような、信仰される自然神や精霊を象る木のキーホルダー。メジャーなものから、初めて見るようなものまで、様々なハワイ土産が並んでいた。
壁際にアロハシャツがハンガーラックに並んでかかっているのが目に留まると、与作はその前で立ち止まった。一着をラックから外して、鏡の前に立って、自分の体に重ねて眺めた。白地に赤いハイビスカス、緑と黄色のヤシの木、そして青色で並の紋様が描かれている。
「今着てるシャツが、オーストラリアの砂でだいぶゴワゴワになっちまったんだけど……コレ着るのもありか?」
取ったシャツの生地の質感を確かめるように触る。
「コレ、試着していいかい?」
与作が入口側のレジカウンターの中にいる女性店員に声をかけると、彼女は試着室の場所を指差した。ちょうど与作たちの立ち位置の反対側だった。
与作は、二種類のサイズのシャツを選ぶと、そそくさと試着室に入って行った。時子はその様子を見届けると、試着室近くの菓子類を見始めた。
「……ソフィアに差し入れでも買って行こうかな」
シャッ! と試着室のカーテンが開いた。その音で時子が振り返ると、目を輝かせながらアロハシャツを身にまとった与作が立っていた。
「……めちゃくちゃ快適。これ買うわ、俺」
そう言って、再び試着室のカーテンを閉め、少しの間を開けると元の格好をした与作が現れた。
「……そんなに良いんだ」
時子が戻って来た与作に呟いた。与作はぶんぶんと首を縦に二度振った。
「ああ! 生地がサラッとしてて、体に纏わりつかない。風通しいいから、凄くいいぞ!」
与作は興奮気味に語りながら、シャツのかかっていたラックの前に戻り、二枚とっていたシャツの内の一枚を戻した。
与作が取っていったシャツの隣には、女性物のドレスが同じようにラックにかけられ並んでいた。時子は、その中の一着に手を伸ばした。
「そんなにいいんだったら……私も、着てみようかな」
時子が手に取ったのは、黒地に白い線でハイビスカスと波の模様が描かれた、ノースリーブのロングドレスだった。与作に倣って、試着室に入ると、持ち込んだドレスを身にまとった。
「ほんとに、いいかも」
*
「あのドレス、ほんとに払ってもらっちゃったけど大丈夫?」
時子は向かいの席で目の前の料理にすっかり夢中になっている与作に尋ねた。
「いいって。今の俺は、だいぶ懐が温かいんだ。こんな休みでなきゃ使うこともないしな」
ビショップ博物館を出て、パールハーバーに戻るバスに乗り込むと、空港の近くに差し掛かった。
「せっかくだし、夕飯食ってから帰ろうぜ」と与作が言って、二人は途中下車を決め込んだ。サンセットのオレンジ色の染まり始める空と海を左手にして通りを歩くと、ビーチそばのカフェレストランに遭遇した。
「ああ……これまで肉やらパンやら缶詰が多かったけど、こんなところで米と生魚に出会えるとは……。ハワイ最高」
うっすら目を湿らせつつ、喜びを語りながら、夢中でポキボウルを与作はスプーンでかき込んだ。
「……すごく、美味しそうに食べるね」
時子は、その様子を目の前に、驚きつつも、自分もマグロとアボカドのダイスカットを乗せた一匙を口に運ぶ。
「でも、確かに、美味しい」
ごま油の醤油の香りが鼻を抜けていく。
「日本人はやっぱり米食わないと踏ん張りが利かねえよ」
与作の言葉に、時子はふと手を止めた。
「そういえば、……私、先生と旅してた期間が長くて、故郷の味みたいなものが無いのかも」
きょとんとした表情で時子は与作を見ていた。与作もまた、釣られて同じような表情をしていた。
「なんかねえの? この味はすごく覚えてる! ってやつ」
時子は目線を上に向けて、記憶の中を掘り返した。ぼんやりと、遠い昔の記憶が立ち上がった。惑星意思のものではない、自分自身の記憶の中でも古い記憶。――久作と出会って、すぐの頃の記憶だった。――ほんのりとした、鰹節の香りと、醤油のさっぱりとした塩味。
「……ラーメン。……場所をよく覚えてないけど、先生が、日本のどこかの町中華の食堂に連れて行ってくれたの」
時子の言葉で、与作もまた、憎たらしい父親の顔と白い卓の上に湯気を立てるラーメンが並ぶ風景を思い出した。
「……俺も子供の頃に、そんな感じの所に何度か連れてかれたわ。地元のさ、街の方に出るとあるんだよ。親父と街に出ることがあると、よく、中華そば食ってから村に帰ったもんだ」
「もしかしたら、私が覚えてるのも、同じ場所なのかもしれないね」
「じゃ、また日本に帰った時にゃ、行ってみようぜ。連れてってやるよ」
少し間を作って、時子は口を開いた。
「……ちょっと、楽しみだね。それ」
時子が口角をあげ、目尻は横に伸び――にこりと笑った。与作は、よく分からないが、それをまっすぐと見ることはできず、目をそらすように、残ったポキボウルに視線を落とした。
*
「ソフィアさんも、明日はちゃんと休めるんかね」
太陽が水平線を下り、水平線近くの空はオレンジ色にまだ染まりつつも、辺りは暗くなり始めていた。ヤシの木の姿が、はっきりとした実体から、ぼんやりとしたシルエットに変わり始めている。潮風がヤシの木の葉を揺らしている。
――一瞬、風が凪いだ。
「……また、聞こえる」
時子がピタリと足を止めた。海の方へ体を向け、じっと日の沈んでいく空を見つめた。……そして、舗装された歩道の外へと足を踏み出した。
「なあ、どこ行くんだよ!」
与作は道を外れていく時子に声をかけたが、その歩みは止まらない。二人は砂浜の上を歩く。時子のサンダルブーツの足跡を追いかけるように、与作のスニーカーの足跡が残っていく。
――波打ち際で、時子は立ち止まった。ザパーンと白波が立ち、水面が時子の目の前まで走り寄せる。砂が湿り色を変えている境界瀬戸際に、時子は立っていた。
「……何かが言ってる。……『助けて』って」
水平線近くのオレンジ色は、だんだんと沈んでいく。太陽の気配は、完全に夜に飲み込まれた。




