第38話:捨て身の一閃、そして大洋の波間で
「エリアス!」
時子を庇って、ドラゴンの放った紫電を浴びたエリアスはその場で膝から崩れ落ちた。
与作が側へ駆け寄り、倒れたエリアスの肩をつかんだ。
「おい! しっかりしろ!」
ソフィアも続いて駆けてきた。
ソフィアは与作に離れるようジェスチャーすると、エリアスの首のもとに手を当てた。電撃による、火傷の痕跡が頬と露出している腕の皮膚から見える。
――指先に小さく脈打つ圧をソフィアは感じた。
「まだ生きてる」
ソフィアが小さく呟いた。
――ギャオオオオ!
獣の咆哮のような音を感じた与作は、開いたハッチの先にいるドラゴンに目をやった。
再び口の中に電気を蓄え始めていた。そして、閉じた口の隙間からバチバチと紫電を漏らしながら、速度を上げてこちらに突っ込んでくる。
(――俺がやるしかねえ)
反射的に判断した。
与作はすぐさま刀に手を伸ばし、鞘から引き抜いた。刀身が外から入ってくる光を反射し、白く煌めいた。
深く息を吸いながら、柄に両手をかける。吸った息を吐きながら、立ち上がる。剣先をドラゴンに向けて構えた。
「アンタ、何する気?」
ソフィアが声を上げたが、荒れ狂う風切り音で、与作の耳には届いていなかった。
グッと内側に絞り込むように柄を握る手に力が入る。与作の視界には、もう迫るドラゴンしか映っていなかった。
息を吐き出しきったところで、足で床を蹴り出すように飛び出した。
「うらああああああああああああ!」
湧き出しそうになる恐怖や、ためらいを、振り払うように腹の底から声を出した。腹の前に構えていた刀を頭上に振り上げながら走る。カンカンと床面を蹴る音がノイズの先に聞こえる。空に向かって伸びる床面の先端で、思いっきり踏み込んだ。
――与作の身体が大空に放り出された。
ドラゴンは与作の目と鼻の先にいた。鋭い牙で蓋をされた口のなかには、めいいっぱい溜め込んだ紫電が漏れ出し始め、体表の鱗の連なりがくっきりと見えた。与作は振り上げた刀の手の内をさらに絞り込んだ。体のうちから、ありったけの「気合」を刀に込める。
(これなら、俺の間合いだ!)
――刀を振り下ろした。
太刀筋はドラゴンの頭から首にかけて、一直線に入った。与作が飛び込んだ勢いと、ドラゴンが突っ込んでくる勢いが、その太刀筋をより深く抉らせた。
刀が描いた軌跡は白く光り、ドラゴンは虹色のような彩の光の粒の集まりに変わって、一瞬のうちに跡形もなく発散した。
与作の目の前には、広い世界だけがあった。水平線を隔てて、上には淡い色の蒼色、下には深い碧色が視界の全面に広がっていた。
「っは! すっげえ!」
そう言い放った直後、腹の底がヒュンと冷えた。
――眼下を覆いつくす太平洋への自由落下が始まった。
*
「……鎮圧確認」
悪魔の像が消滅した直後、あっけにとられながら時子が無線越しに呟いた。
ソフィアが慌ててハッチ開口部に向かって駆け出した。無線に手を伸ばしながら走る。
「状況終了! 指揮権返上する! 負傷者一名あり! 一名機外転落した! 私は落ちたヤツの救援に行く!」
矢継ぎ早にソフィアの言葉が無線から飛んだ。
時子の頭には、言葉として聞こえてはいたが……処理が追いつかない状態になっていた。
「時子!」
ソフィアはハッチ開口部の先端、空への入口でタンッと宙に跳んだ。宙に浮きながら体の向きを百八十度転換させて、時子に目線を送った。
時子もまた、ソフィアと目が合ったのが分かった。
「切り替えて。エリアスをお願い」
そう言って、ソフィアは両手を広げながら仰向けになった。
次の瞬間には時子の視界、ハッチ開口部から見える世界に、ソフィアの姿は無かった。
*
うっすら開いた目に見える大海原の碧色だけが、与作の視界だった。落下によって生じる空気の抵抗で、目を開くこともままならなかった。風が耳元を猛烈な勢いで抜けていく。両手足よりも先に胴が落ちていこうとする。
真下の海面よりも水平線の方向に目を向けると、いささか目が楽になった。
「このパラシュート! ホントにちゃんと開くんだよな!」
今更気にしてもどうにもならないことを、誰も聞こえるはずのない大空の中で叫んだ。
――ピコン! とヘッドセットが受信アラートを挙げたのが聞こえた。
まさか、と思いつつも、手を何とかヘッドセットに伸ばすと受信チャネルを切り替えた。
「このバカ! いきなり飛び込むとか何考えてるのよ!」
ソフィアの声だった。
「アンタのちょっと後ろを飛んでる。もうパラシュート開くから、教えた通り両手足広げて構えなさい!」
ソフィアの声の通りに、四肢をめいいっぱい広げて大の字になった。
――背中からバサッ!と音が聞こえた。その次の瞬間、グワッと身体が背中から引っ張られるような感覚を覚えると、音がやけに静かになった。目を塞ぐような強い空気の流れもゆっくりしたものに変わり、目が開けられるようになった。
――海面がゆったりと近づいてくる。
水面が揺れているのが分かるようになった。空気も生暖かい温度を帯びていた。
「着水時は真っすぐの姿勢で足から! 手を胸の前で交差させて体にくっつけなさい!」
ソフィアが、事前のレクチャーの内容を再び無線で告げる。与作は指示通りに大の字の姿勢から直立状態へ姿勢を変えた。
「海に入ったら、泳いでパラシュートから出なさいよ!」
――着水する。
足先から身体を包む物の感覚が重いものに変わっていく。その変化が腰より上にも及んできたと思ったら、音が変わった。ボゴボゴと水の中に体が沈んでいく。風圧とはまた違う刺激が目を襲い、視界を奪った。
与作はもがくように体を動かし始める。パステルカラーの化学繊維の傘の外へ這い出るように泳いだ。
閉じそうになる目をうっすらこじ開け、光の気配のある方向へ向かった。
――ザパンッ! と海面から顔が出た。
「ぷっは!」
目を開けると宙にソフィアがいた。与作に指示していた通りの姿勢で着水した。入水点を覆うようにパラシュートがふわりと落ちた。
ザバンッ!と浮上してきたソフィアが、与作の目の前に現れた。
そして、すぐさま海水の中からソフィアの腕が現れた。銃に似た何かを握っていた。
ソフィアが引き金を引くと、煙を上げながら何かが少し角度を付けて空へ昇っていく。
――パンッ! と花火のように音を煙をばらまきながら何かが空中で弾けた。
角度の付いた白煙の軌道の先を与作は目で追った。ぼんやりと大きな灰色の舟のシルエットがあった。
「ったく! 落ちたのが軍港近くの海域で助かったわ!」
ソフィアが与作に聞こえるように言った。
そして、胸元のホルダーからナイフを取り出し、ソフィアは自分の体からパラシュートに伸びるパラコードを切断し始めた。自分のを処置し終えると、今度は与作のコードを処理し始めた。
「ハワイ近海だから良かったものの、ここがアラスカの海とかだったら、アンタ死んでたわよ! 陸に上がるまでの段取りとか想定してた?! そういうの考えて飛び込んだわけ?!」
「……でも、あの状況じゃ、もうあれくらいしか反撃手段も無かったぜ?」
全てのコードを切断すると。ソフィアはナイフをホルダーに収めた。
口を尖らせて答える与作の額にソフィアは左手をあてがう。――そして、渾身のデコピンを一発お見舞いする。与作は「あでッ!」と仰け反った。
「結果オーライ、ってだけじゃない! 安全な判断プロセスを踏めてるのか? って話をしてるわけ!」
与作は、全身を覆っている冷たくはないが、温かくもない温度感に意識を向けた。飛び込む前は、この感覚のことなど、微塵も頭に浮かばなかった。これが極寒の海だったら……。想像すると、背筋が冷えるような感覚を覚えた。
「……悪かったよ」
ソフィアは全身の力を抜いて、海面に大の字になって浮き上がった。振り注ぐ日差しを遮るように、目の上に手を置いた。
「……私も、アンタの事をとやかく言えないけどさ。そもそも迎撃戦じゃなくて、全員で安全に逃げる為の判断をするべきだったかもしれない。時子だけに頼り切りすぎてたわ。エリアスだってダメージ負わずに済んだはず」
「――そうだ! エリアス! アイツ大丈夫かな」
与作はハッと思い出したように声を上げた。
ソフィアはふぅ……と息を吐き出した。
「まだちゃんと息はあった。エリアスのことは、残ったクルーに委ねるしかないわ。今の私達には技術的にも、場所的にも、どうしようもない」
与作もソフィアを真似て、大の字で海面を漂い始めた。頭上には広げた両手ではとても収まりきらない広い空と、強烈な存在感を誇示する太陽があった。トプンと、揺れる波がパラシュートの生地を打ち、音を立てている。
「……海水って、ちゃんとしょっぱいんだな。川でしか泳いだことなかったんだよ」
与作がふと呟いた。
与作が水平線の方に目を落とすと、遠くに見えた舟のシルエットはだいぶ大きくなって見えていた。そこから、その船よりも小さい何かがこちらに向かって来ているのが分かった。
「救命艇が来たわ。……無事、全員合流出来ることを祈りましょう」
――ブロロロロロロ。
与作は救命艇のエンジン音が、だんだんと大きくなっていくのを感じた。
◆◇◆あとがき◆◇◆
ムチソウ開発室―無知との遭遇、制作裏話
ってことで、やりたい放題、怒涛の展開なムチソウ式の空中戦が決着しました。
身体感覚をなるだけ書いて、読者の感覚にも訴えたい!という視点でムチソウを書こうと思ったら、空を落ちていく与作の身体感覚を書かないのは道理に反します。
……しかし、私はスカイダイビングの経験など無いし……むぐぐ……。
というとこで、閃いた打開策は、「高速道路をバイクで走った時の感覚」を拡張・想像してみるというアプローチでした。
何でもやってみると、意外な形で活きるものですね。




