第3話:ぼんやり、そして予感
講義の内容は、古代の宗教儀礼と社会構造の関係について。与作は教壇の言葉を右から左へ聞き流しながら、ノートに意味のない線を描いていた。
黒板に映された神事の写真、供物の配置図、それらが与作の頭にまともに入ることはなかった。
(あの空の色……)
さっき見た空の異変が、妙に頭にこびりついて離れない。虹ともオーロラともつかない光。それを見たとき、自分の内側がざわついたような気がした。
(あれも、気のせいなんだろうけどな)
気づけば講義は終わっていた。周囲の学生たちが教室を出て行くなか、与作はぽつんと取り残されたように席に残っていた。
「よう、与作。寝てたのか?」
エリアスが肩を軽く叩く。
「あ、ああ……ちょっとな。」
どこか曖昧で、言葉を探すような口ぶりだった。夢と現実の境界をさまよっていたかのように、与作の目にはまだどこか遠くを見ているような陰があった。
「昼、どうする? 外の食堂行かないか?」
「行く行く、腹減ったし。あそこのラーメン食いたい。」
その言葉を口にした途端、与作の顔がふっと明るくなる。ついさっきまで上の空だった男が、食べ物の話になると一瞬で目をキラキラさせる。エリアスは苦笑した。
「君、いっつもそれだな。」
二人は教室を出て、階段を降りながら緩やかに雑談を続けた。漫画の続きを借りたいとか、教授の癖が強すぎるとか、他愛もない話題。
だがその途中で、異変は突然、街の片隅で静かに始まっていた。
校舎を出て間もなく、遠くから異様な焦げた匂いが鼻をついた。
ただの昼の匂いではない。何かが焼ける、異常な熱気。
「……なんだ、この匂い」
「火事かも。煙、見えるよ」
校門を出た先、道路の向こうに煙が立ち上っていた。周囲にはすでに騒ぎ始めた学生たち。遠くからは消防車のサイレンも近づいてくる。
与作は眉をひそめ、一瞬立ち止まった。胸の奥に、さきほどの奇妙なざわめきがぶり返してくる。
ただの火災ではない、そんな予感が背筋を走った。
「……なんか、嫌な感じがする」
与作がぼそりとつぶやいたその瞬間には、もう走り出していた。
「おい、与作……!」
エリアスは一瞬戸惑ったが、迷いはしなかった。彼の表情にただ事でないものを読み取り、すぐさま後を追う。