第33話:巡り、そして還る
「ただいま、おじいちゃん」
ウルルでの精霊との対話を終え、一同は来た道を引き返し、ソングラインを巡る旅の起点となった集落に再び戻ってきた。
集落の面々が立ち並ぶその前に、長のワリムは立っていた。ミリナ達が帰ってきたことに誰かが気づいてからというものの、人がどんどんと増え、出迎えの人数が増えていくのが、遠くから集落に近づいていくところで見えていた。
「よく戻った」
ワリムは、ただ一言声をかけた。そしてミリナの肩を叩き、そっと抱き寄せた。
「帰り道も長かったな」
「まぁ理素暴走に巻き込まれなくて良かったけどね」
与作とソフィアもまた、安堵の表情でお互いの顔を見合った。エリアスは背負っている荷をその場におろして、二人の会話に同調するよう相槌を打ってしゃがみこんだ。
――時子は、三人の一歩後ろに、ぽつんと静かに立っていた。
ミリナにひとしきりの労いを伝え終えたのか、ワリムはミリナから離れると、今度は与作の顔を見た。
「いい顔になった。しかと大地の声を聞いたようだな」
「まぁ、ハッキリと聞いたよ」
与作はウルルでの精霊との邂逅の瞬間を、ありありと思い出すことができた。耳ではなく頭の中に直接響いてくる声の感触が、まだ残っているようだった。
ワリムは深く頷いて両手を大きく広げた。
「今日は皆でお前たちを労う、ゆっくり体を休めなさい」
――夜
集落総出で質素ながらも豪勢な食事が用意され、皆で歓談しながら火を囲んだ。ミリナよりも年下の子供は、その一同の道中の様子を聞きたがり、周りの大人もまた、ミリナの語りに耳を傾けていた。
ときたま、ミリナが与作に話を振ってくるので、与作が身振り手振りで理素暴走に対峙した時の様子などを語ると、皆が食いつくように話を聞いていた。
――だれが、そうするべきだと言ったわけでもないが、ミリナも与作も、ウルルの頂で出会った大地の祖霊とのやりとりは、詳らかには語らなかった。
一同の体験記を一通り聞いて満足したのか、集落の者たちは中央の焚火から離れていった。ミリナ、ウルマン、そしてワリムが残り、そこに与作達四人がともに同じ火を囲んでいた。
「時子、ウルルで言ってた話、もう少し聞いてもいいか」
そう切り出したのは与作だった。自分自身も集落の他の者にはウルルの様子を細かに語らなかった。しかし、自身にそうさせている理由の部分がどうしても気になっていた。
「私も聞きたいな。それに、精霊に絡むことならおじいちゃんにも聞いてもらったらいいよ」
ミリナが与作に賛同して、時子に視線を送った。同じように全員が、時子に注目した。
――ウルルで自らの正体が惑星の意思の化身であることを明かした時子。
「ただ、私も、よく分からないんだよね……」
ウルルでは、その一言で話題を切り上げた。長い帰りの道中も、その話題に触れることはなかった。
――ただ相変わらず物静かだったが、いつも平静なのと違って、どこか戸惑っている。……与作にはそう思えた。
「……少し、思い出したことがあるの。久作先生から聞いただけの話も多いのだけど」
そう前置きをして、時子は口を開いた。
*
――パンッパンッと柏手が二つ響いた。
青空を覗かせているが、雲が日の光を遮っている曇天の空の下。村の裏手にある社の本殿の前で、久作は拝んでいた。
強く力を入れて両手を合わせ念じる。胸の内で言葉を念じ終わると、静かに手を下ろした。
何度かここには訪れてきた。独特な静寂が場を支配している。今日もいつもと変わらず同じ印象を覚えた。
「……ホントに神様が出てきたりしてな」
だいぶ年季の入った本殿を全体まんべんなく眺めた。
民俗学者という立場もあって、興味本位で村人の話を聞く限り、気付いたときにはこの社はここにあったようだ。今の年寄りよりもずいぶん前の代からここにあるらしい。口頭で伝わる伝承は、代を重ねることにだいぶ曖昧になっているようで、形として残っているものは亡き妻、時雨が息子の与作に伝えた里神楽ぐらいのものだった。
御祭神の形態から見れば、類似の信仰は他の地域にもよくみられるものだったが、やはりあの神楽舞だけが唯一無二の独特さを持っており、単純に他と同じ信仰であるとも断定するには早計に思えた。
(まぁ、これからは、これを調べる時間もたっぷり取れるだろうな)
ちょうど、日の光が雲の切れ間から差し込み、本殿のある中庭を照らした。
久作は一礼して帰ろうと思って振り返った。
『待て』
――声が聞こえた。……何かにビタリと足を掴まれたような感覚すら感じた。
久作は振り返った。しかし、あるのは古びた本殿だけだ。
「……気のせいだよなぁ」
……視界に映る風景に違和感を覚えた。
何か妙なものが見えている。
――小さな光の粒だ。虹色に光っている。蛍よりも小さいくらいの光の粒だった。
『時雨の夫、久作よ』
同じ声が聞こえた。聞こえると言うには不思議な感覚だった。おそらく、目の前の光こそがその声の主だと思われた。
「……おいおいマジかよ。ホントに神様がおいでなすったか?」
にわかに信じがたかった。白昼夢でも見ているような気分だったが、握りしめた拳は、しっかりと力が乗って、手入れが追い付かず少し伸びていた爪は、手のうちに食い込んでいる。足元もグッと石畳を踏みしめている。この感触が夢だとは到底思えない。
「お邪魔してるぜ。なにか失礼があったかい?」
光の粒は、ふわりと漂っている。
『問う。お前たち人類は、滅ぶべきか、残るべきか』
頭が理解できなかったが、スケールの大きい質問だということがわかった。そして、その声が聞き覚えのある声にとてもよくに似てることに猛烈な違和感を感じた。――もう聞くことは叶わないはずの……時雨の声にあまりにも似ていた。
「おいおい、いきなり御大層な質問しやがるな。あんた、あれか? 時雨さんのお友達?」
時雨と二人でここにやってくると、彼女はいつも「見えないお友達」に語りかけるような素振りを見せていた。世間一般的な寺社仏閣での願掛けのようなものにも思えたが、彼女の纏う、妙な神秘性から、どこか彼女が本当に何者かと対話をしているのではないかと錯覚することもあった。
「……もし、あんたがどういうわけか人間滅ぼそうとしてるなら、そりゃあちょっと思いとどまってもらいたいね。みんな必死で生きてるもんでな」
久作の声が届いているのか分からない。得体のしれない大きな存在に睨まれ、その掌の上に立たされている。相手がふっと吹けば、自分はいともたやすく飛んでしまう。そんな、言い表しようのない無力感が全身を包んでいた。
『では、試そう』
久作の返答に間をおいて、それに応じるように声は響いた。
――見えていた光の粒の周りに点々と同じく虹色の光の粒が現れていた。瞬きをするとその数はまた増えていた。
中央の光の粒が大きくなっている。周りの粒が集まっているようだった。光が集まる勢いはどんどん強くなっていき、大きな塊になった。――人間の形をしている。
そして、まばゆい光を放ち、久作は反射的に目を右腕で覆った。
腕を除けると、一人の少女が立っていた。肩くらいまでの黒髪を揺らし、目を閉じていて、両手は体側に沿って自然に下ろされている。
『この者を通して、お前達の行く末を測る』
元の大きさの小さな光の粒は少女の頭上に漂っていた。
「ちょっと待ってくれ。そりゃあどういう意味だ」
眼の前の状況があまりにも現実離れしていて、状況を整理したい欲求から久作は反射的に言葉を発した。
しかし、虹の光は、気づくと無くなっていた。
突如現れたその少女はゆっくりと目を開いた。辺りを見渡し始め、そして、久作を見た。表情の動きはなく、ただじっと見ている。まるで静かに観察しているようだった。
――どこか、亡き妻にその少女が似ていることにも戸惑った。
「……こりゃあ、参ったな」
日の光も、再び雲に隠され辺りは少し暗くなった。
*
――火がパチパチと火の粉を飛ばした。揺れる火が放つ明かりに応じて、時子の影もまた、ゆらゆらと揺れていた。
「その、私の創造主の記憶……みたいなものが本当にごく断片的に私の中に残ったの。自分でも見たこともない風景や時代の様子が……。ただ、直感で、証拠もないけど、この惑星の意志みたいな存在なんだと思う……」
時子は視線を伏せがちに、静かに口を動かしている。暗闇の中で動く火は彼女の顔に不規則な陰影をつける。いつも動じず平静な様子を見せていた時子だった。しかし、今このときばかりは、そうは見えなかった。彼女の表情は、今は心のうちとともに動いている。与作にはそう思えてならなかった。
「そうして、私は久作先生に保護されたの。先生の旧姓である上崎の姓と、亡くなった奥さんの名前の半分を取って、時子と名づけられた」
揺れた火の揺らぎは少し収まり、揺れていた時子の影も動きを止めた。火が照らす彼女の横顔は、間違いなく極めて普通の人間のそれであった。
「……そういや、親父は婿養子だったっけ」
「あんた、知らなかったの」
「気付いた時にはずっと木戸を名乗ってたから、何にも気にしてなかったな」
ソフィアと与作が掛け合いをしている横で、エリアスは腕を組み、頭の中で話を静かに整理していた。
「それ以来、君は木戸博士が失踪するまで共に過ごしていた、ということかい?」
エリアスの問いに、静かに時子は頷いた。
「先生は私を連れて世界のあちこちを回った。先生なりの、私に人類の有り様を見せるための工夫だったんだと思う。その道程で私が見えていた自然の力の動きを話した。先生はそれで、理素理論が整理できたみたい」
その言葉で、ここまで聞いてきた人々の話のピースがかっちりとはまったのをエリアスは確信した。
「そうか。それで、木戸博士は、イリアさんが言ったみたいに日本には留まらず、世界中を飛び回り続けたと」
「うん。多分、私に原因があった気がする」
時子が与作を見た。先に頭が向き、体が追いかけるように向きを変えた。そして、敷いたゴザの上で正座をして居直ると、ゆっくりと頭を下げた。
「ごめんなさい。黙ってて」
「いや……謝られても。別に、時子のせいだとは思わねえよ」
時子は頭を上げると、自分のリュックサックからブーメランを取り出し、膝の上においた。
「思い出したの。このブーメラン、本当は久作先生があなたにお土産で渡したの。私が『創られた日』に、それをあなたが私にくれたんだよ」
与作は、そう言われて頭を掻いた。――ウルルで時子がブーメランを自分たちに見せた時に、妙な既視感を覚えた気がしたが、その原因がハッキリと分かった今、理性は状況を理解しても、感情の処理が追いつかず、戸惑いとして湧き上がった。
「そういや、親父が土産ブーメラン持ってきたことあったな。誰かにやった気もするが……お前だったのか」
時子は両の手でブーメランを持ち、立ち上がると、与作の側に寄ってきて、目の前に差し出した。
「あの時はありがとう。久作先生、あなたのことを大事に思わなかったことって、きっとなかったと思うの」
与作はブーメランを見て、時子の顔を見た。……なんだか少し泣き出しそうな顔をしているように思えた。
いろいろな話が一度に頭の中に飛び込んできて……理解は出来ても、胸のあたりが落ち着かない。
与作は時子の手からブーメランを受け取って、再び一瞥した。
――そして、すっと立ち上がった。
「……なあ、ちょっと頭冷やしたいから、少し散歩に付き合ってくれねえか?」
時子は一転して、不意を憑かれたようにキョトンとした顔を見せた。
「え……うん。いいよ」
時子も立ち上がり、歩き出した与作の後を追った。火の光の届かない場所に、二人の姿が飲まれていった。
「ブーメランは円の軌道を描いて投げた者の元へ戻る。人の絆もまた、そのようにできているものだ」
ワリムがポツリと呟いたのを、ソフィアとエリアスは聞いた。




