第25話:夜明け、そして安らぎの岩
空の色はまだ暗かったが、頭上から背中の方向に向かって、黒から暗い青色にグラデーションがかかっているのが分かった。新たな一日が、自分たちを後ろから背中を押してきているような感覚を与作は覚えた。
「気温が上がらないうちになるだけ進みたいものね……」
ソフィアが後ろからつぶやくのが聞こえた。ぼんやりとした影を見ているような視界だが、ウルマンとミリナは数メートル前を淡々と歩いている。時折交わされる二人のやりとりが耳に聞こえた。
――ミリナが肩に乗せている槍の刃がきらっと一瞬きらめいたかと思うと、後ろの首筋のあたりにじんわりと熱が差すのを感じた。与作が後ろを振り返ると、地平線から光の線が放射状に延びたようなシルエットが目に飛び込んできた。目に刺激を感じ、無意識に手でひさしを作った。
「……世界が今始まったみたいだ」
――日が昇ってからも、一行の歩みは続いた。ときたま小休止を挟みはしたが、基本的には歩き通しだった。広大な赤土色の原野が延々と続く。世界がまだ暗かったうちは全然気づかなかったが、車で移動していた時よりも、空も大地も、流れていく速度が驚くほどにゆったりとしていた。
先を行くウルマンとミリナが歩みを止めた。大きな岩が二つ。片方の岩にもう一方が寄りかかるように乗っており、真ん中には空間ができていて、日陰が出来ていた。
「……『やすらぎの岩』。ホントに歌の通りにあったね」と、ミリナが言った。
「歌って……出発前に長老と歌ってたアレか?」と、与作がミリナに尋ねた。
「そ、アレ。昔も今も歌ってるアレよ」
ミリナは答えた。自分よりもいくらか年下のはずだが、すでに長い年月の移り変わりをその目で見てきたような、妙な落ち着きがある……。与作にはそう思えてならなかった。
「日中の日差しの中は進まない。暑さが和らぐ頃合いまで、ここでやり過ごす」
ウルマンがそう言うと、ソフィアは左手の時計を確認した。時刻はもうすぐ午前十一時になろうというところであった。日が昇り始めてから、気温は明らかに上がり続けていて、体力の消耗はますます大きくなっていくことは想像に難くなかった。
「なるほど、理にかなってる」
日本の夏と違って空気に湿り気が無いが、乾いた空気というのも、それなりに暑いものだと与作は感じた。岩の陰に腰かけると、すこしばかり風が流れるのを感じた。ここならば、乾いた砂漠の暑さから多少なりとも逃げられる。
ここまで歩いたのはだいぶ久しぶりだった。
若干、まぶたが重い……。そんな思考が頭によぎった次の瞬間には、与作の視界は焦点を見失ったかのようにぼやけて、暗幕が下りたような状態になった。
――音が遠くに聞こえる。
……ぺちぺちと頬を誰かが叩いていることに、気づいた。
「与作、起きろ」
焦点がエリアスの顔に合い、与作の視界に映る像はぼんやりしたものから、だいぶくっきりしたものに変わった。ソフィアと時子も、与作の顔を覗き込んでいた。頬を叩いているのはエリアスの手だった。
「あんた……、この状態でガッツリ寝れるなんて、だいぶ図太いわね」
ソフィアは、あきれたような口調でそう言いながらも、うっすら笑っている。与作は、一瞬のうたた寝ではなく、だいぶ長い時間眠り込んでしまった状況を悟った。
「……あー、悪い。今何時?」
「もうすぐ、十五時よ。まだまだ暑いけど、ピークは越したわね」
視界の端に、ひょこりとミリナが現れた。
「あ、起きてる。出発するよ! 置いてっちゃうぞ~!」
「ほら、寝ぼけてないで立ち上がってちょうだい」
ソフィアは、寝ぼけ眼の与作の額に、眠気覚ましのデコピンを一発お見舞いした。コツンと音が響き、エリアスや時子の耳にも聞こえた。与作は「あてっ!」と、いうと立ち上がり、脇に置いていた刀と枕代わりにしていたバックパックを拾い上げ、ミリナのもとへ歩み寄った。
「すごいね、あなた。どこでも生きてられるんじゃない?」
「……あの岩の陰、結構快適だった。さすが『やすらぎの岩』だな……」
「そしたら夜の火の番は、長めにお願いできそうだね~」
日が傾き、地平に時期に沈むだろうというタイミングで、ウルマンは歩みを止めた。少しばかり木が集まっている。
「今日はここまでだ。明日も夜明け前、導の星が西に見える時間に出発する」
ウルマンは背負っていた鞄とサッと下ろし、槍を置いた。鞄の中から柄の付いたものを取り出した。巻かれた布を取り払うと、それが鉈だったと分かった。で樹の枝を集め始めた。
大小サイズに種類を持たせてウルマンは戻ってきた。その中から、細い枝を集めて足元に寄せた。
ミリナにアイコンタクトを送ると、ミリナは静かに歌い始めた。ウルマンは鞄から笛のようなものを取り出し、ミリナの歌に合わせて吹き始めた。木の中をくり抜いて作られたと思われるそれは、ボゥーと柔らかい低音を奏でている。
――当たりの空気が足元に集まってくるのを感じる。
そして、寄せ集めた枝の真ん中に、ぽっと小さな火が灯った。
「……これ、理術なのかな」
一連の光景を見ていたエリアスが時子に尋ねた。
「うん。……あの歌と笛の音で理素に働きかけてる」
「民族儀式も、理素理論的には意味のある行為になるのか……」
パチっと音を立て始めた小さな火を、エリアスは真剣な表情で見つめていた。知っていたと思っていた世界の中の風景が、大きく姿を変えた……そんな驚きで胸がいっぱいだった。
*
未明。小鳥のさえずりが聞こえ始めた。それに反応して、ウルマンは目を覚まし、横で寝ているミリナを起こした。
火の番をして起きていた与作が西の空を見ると、昨日と同じく赤い星が瞬いていた。そ出発の刻限になったことを悟り、他の3人を起こした。
ウルマンは火の前で腰を下ろした。そして、両手で土をすくい、何か唱えるようにしながら火にかけた。小さく辺りを照らしていた明かりは消え、辺りは暗くなった。火が消えたことを確認するとウルマンは立ち上がり、荷物を拾い上げ、「行くぞ」と一言だけ発した。
ザッザッと地に靴が刺さる音が複数、闇の中に響き始めた。
――再び夜が明ける。
与作が最後尾を歩き、その前をソフィアが歩いていた。ソフィアの腰にぶら下げられた装備がふと気になった。最初に車でウルルに行った時も、ソフィアはそれを携行していた。
「そういや、ソフィアさんが腰にぶら下げてるの、何なんだ?」
後ろから声をかけられた事に気付いたソフィアは、歩きながら左肩越しに与作を見た。
「コレ? 対理素暴走用の特殊榴弾だけど」
「理素には理力無いと効果無いんだろ? それ意味あるのか?」
「まぁ、鎮圧は出来ないんだけど、理術士が言うには、一瞬怯むくらいの効果はあるらしい」
気になる会話が始まったことに気づくと、ソフィアの前を歩いていたエリアスが、少しペースを落とし、ソフィアの左横に並んで歩き始めた。
「……どういう原理なんだい、その榴弾」
気配でエリアスが横に並んでいたには気づいていたソフィアは、今度はエリアスに視線を合わせた。
「聞いてる話だと、色んな民族の儀式とかで使ってたお香とか鈴の音とかを解析して埋め込んだって。儀式行為に何らかの理素干渉の手がかりがあるって考えた連中が、実験的に作り出した産物ね。正直、なんで効果があるのかは全く分かってない」
「つまり原理は分からないけど、少なからず効果はあったから採用はしていると」
「そう。私みたいに理力がない人間は、使えるものにすがるしか無いわけよ。ちなみに、理素暴走の輪郭を見る為に、熱感知や音響解析用のHMDゴーグルもあるのよ。カバンに入ってる」
ソフィアが左の親指でちょいちょいと背中のバックパックを指し示した。
「理素を科学で捉えられないけど、捉えようって意地はあるってことか」
与作が呟いた。
会話を交わしている間に、ウルマンとミリナ、そして時子との間が少し開いてしまったので、ソフィア達は少しペースを上げた。
ザッザッザッザッ、ザッ……ザッ……ザッ……ザッ……。
テンポの異なる二パターンの音の群れが広いアウトバックの大地を駆けていった。




