蜘蛛の巣
ぬるり──と音を立てて、一本の糸が頬に触れた。
冷たいのに、どこか温かい。
まるで舌で撫でられているような感触。
「ふふ……恩人さんの汗、おいしいね」
最初の蜘蛛娘が、私の首筋に頬をすり寄せてくる。
汗なんて、ただの体温調整の副産物だ。
でも彼女はそれを、まるで蜜のように味わっていた。
「汗の味とか、聞きたくないんだけど」
止める間もなく、別の娘が背中から回り込んできた。
粘っこい糸がふわりと宙を舞い、私の腕と脚に引っかかる。
「ちょ、あっ……」
粘つく糸に引かれて、蜘蛛娘を抱きしめてしまう。
自らの意思でそうしたわけではないのに、抱きしめたかのように、全身が密着してしまっている。
蜘蛛の脚が、関節ごとに器用に動き、背中、腰、足をしっかりと押さえつけてくる。
「動けない……また、これ」
何度も経験したはずの“密着”。
でも、今回は違う。
圧倒的な強者が、獲物を捕縛している。
獲物とは、私の事だ。
このまま食べられてしまっても、不思議ではないのだ。
そんな私の頬を、小さな手が触れる。
「えへへ、生まれたばかりの私達にも負けちゃうんだ」
「かよわいね、かわいいね」
新たに現れた蜘蛛娘達は、どうやら幼生のようだ。
背中にある斑模様も新しい。
肌は透けるほど薄く、目が潤んでいた。
「……生まれたばかりなら、私に酷いことしないよね?」
おそるおそる問いかける間もなく、彼女達は、私に唇を押し付けてきた。
ちゅっ、と甘い音。柔らかく、優しいのに、ぞわりと背中が震える。
顔を背けようとするが、驚くほど強い力で戻される。
「……」
完全に言葉が出なかった。
理性が、耐性が、すべて赤子に敗北した瞬間だった。
「みんな……順番守って……」
そう言ったのは、長女らしき蜘蛛娘。
だけど、それで止まる子はいなかった。
蜘蛛の糸は絡まり、引き寄せ、縛って、私という存在を「ここ」に定着させようとしていた。
「ね? 恩返し、気に入ってくれた?」
……恩返しじゃない、絶対、ちがう。
だけど声に出す前に、唇が何かに塞がれた。