逃げ道はない
逃げなければ、そう思った。
「……隙間を探して、何とか」
周囲の誰かが一瞬、髪を撫でる手を緩めた。
そのときだけ、身体に空白ができた。
私はその隙を縫って、這い出るように前へ転がる。
背中がぬるりと粘液にまみれて重い。
地面はぬめるし、腕も滑る。
だが、それでも逃げる。
一歩。二歩。三歩。
「どこ行くの?」
足首に、細い指が絡みつく。
更に手足を掴まれる感覚に全身が引っ張られた。
「逃げちゃダメでしょ?」
肩も、腰も、膝も。つぎつぎと絡まる腕。
背後からの圧力で倒れ込んだ私は、あっという間に取り囲まれた。
「……やっぱり無理か……」
身体を起こす暇もなく、前後から挟み込まれる。
誰かが胸元に頬を押し当ててきて、誰かが背中に腕をまわしてくる。
くっついて、離れない。息すらまともに吸えない。
「ねえ……逃げたら、寂しいじゃん」
「私たち、友達でしょ?」
数人から密着されて、身体の感覚が曖昧になる。
触れてくる肌はどれも火照っていて、呼吸も熱い。
周りの子の肌が熱いことに気づいたときには、もう遅かった。
熱気が、私の理性を奪っていく。
誰かの髪が、唇をかすめる。耳に指が這い、首筋に唇が落ち、太ももを撫でる手があったかと思えば、背中をつたう爪の感触もある。
「逃げようとするなんて……」
「……悲しいよ。ちゃんとわたしたち見てよ」
「二度と、そんなこと考えられなくしてあげる」
「罰してあげる」
「だってここは」
「地獄だもの」
口調は優しい。
でも、怖いくらいに真っ直ぐだった。
ああ、これがこの地獄での「友情表現」なのだと、ようやく心の底から理解する。
やさしさが、怖い。
熱が、怖い。