俺たちの青春はこれからだ!!
『LIME共有で上から三番目に現れた人とは両想いです』
と携帯のメッセージに届いたのは、揺れる肩幅あたるバスの中。学園へ向かう朝だった。どうせ詐欺だろう。適当に貼られたいかにも胡散臭いリンクが残る眠気を刺激するところ、僕は見なかったことにしてスマホをスリープモードに戻した。お気に入りのバンドの曲を聞きながらまた目を瞑る。
『LIME共有で上から三番目に現れた人とは両想いです』
『LIME共有で上から三番目に現れた人とは両想いです』
『LIME共有で上から三番目に現れた人とは両想いです』
『LIME共有で上から三番目に現れた人とは両想いです』
『LIME共有で上から三番目に現れた人とは両想いです』
『LIME共有で上から三番目に現れた人とは両想いです』
『LIME共有で上から三番目に現れた人とは両想いです』
『LIME共有で上から三番目に現れた人とは両想いです』
・・・
ブンブンピコピコ、しつこく送られるクソメッセージがボーカルの声を裏返らせて、僕は思わずワイヤレスイヤホンをぶん投げた。
「うるせえんだよ!!!」
車内一斉の視線を浴びた。うるさいのは僕のほうだった。
小さく謝って再びメッセージと睨みあう――全く、こんな幼気な男子高生をいじめて楽しいのか、おかげで恥をかいた――僕は容赦なく、まるで閻魔大王が地獄の判子を押すようにこのクソアドレスをブロックしようとした。が、手が滑った。間違えてリンクを押してしまった――やべっ! 画面にいきなり登録しました。警告!(赤文字)、18万円払ってください。って表示される! めっちゃ焦って親に相談したら「それ、詐欺だよ。え、そんなの見てたの?」って冷ややかな目をされる。友達に相談しても明日には「あれ、詐欺らしいぞ。え? 親に相談した? おい、お前ら聞いてくれよ! 尚人がな~」って噂になっちゃう――と思わずも怯え、出てきたページは大きな文字で『まゆりんを崇拝しましょう。たんたんめ~ん』と書かれていた。
「ふざけやがって!!」
僕はそう叫びながらスマホをぶん投げた。それを大谷翔平に打たれ、それをメッシに蹴られ、レブロンにダンクされるまでに僕は学園に着いた。これはある冬の朝、どうでもよくてどうでもよくなかったクソメッセージから始まるラブコメである。
現代男子高生の日常は大人が羨みはするが、僕らがフィクションに憧れるくらいに、まぁまぁ輝いている。たとえば始業式の教頭のズラからはみ出る頭くらいには輝いているし、長い長い校長の話がフィクションでありながら現実であるノンフィクションな時間からもまぁまぁである。大人の諸君は是非とも、学園のどうでもいいところも懐かしんでほしいところである。僕はすで体育館が寒すぎて、人がぎゅうぎゅうすぎて、吐きそうである。
それだからつまり、僕の学園生活は大したものではない。さっきのメッセージが絶対に詐欺であり、すぐに怒鳴り散らかすくらいには充実している。そうである、LIMEの上から三番目は妹で、二番目は母親で、一番目は唯一の煩い友人なくらいだ。なお、四番目はペット(猫)のシャドウメア、五番目は親父、六番目はリンダリンダ(AI)だ。
唯一の友人というのは学園に入ってからできた奴で、ちょうど遅刻して鞄ぶら下げて来た、ガタイの良い奴だ。なぜか土筆をくわえて気取ってやがる。
「ヒーローは遅れて参上するもんだろ? 今朝も西高の野郎に絡まれてな。一緒に交番で叱られてきた」
どこの世界線を生きているのか分からないこの男の名前は、田村伸二。いつもどこかを怪我していて意味不明だ。僕はだいたいその本音を知っているから適当に返す。
「始業式サボりたかっただけだろ」
「ち、違うんだな。始業式中だったら先公が介入しにくいだろ。実際にそうだったから走って逃げてこれた」
「うん? 逃げたって、交番に行ったんじゃ?」
「警察から逃げたんだよ。いやぁ、大変だった」
なるほどこの世界はなかなかにイカれているらしい。これ以上伸二に話しても悲惨になるだけなので、「西高の野郎が転んで、捕まっちまって、『俺を置いてお前は逃げろ!』なんて言うから~」とかちょっとそそられたが、ここら辺にしておこう。
短い冬休みを経て、ついに学園が再開するらしい。一年生の冬、あのくだらない日常がまた戻ってくる。
ため息交じりに窓の向こう、無駄に青く晴れた空を覗きながら担任(女)の話を聞き流す。いわゆるホームルーム。内容は「冬休みどうだったですか~? お年玉は貰いましたか? あげましたか? ばら撒きましたか~?」などなので、無視しましょう――そうするつもりだった。何もなかったはずの空に霞み、だんだと濃くなって、現れた真っ白な雲、それはどこか懐かしく切ない気がした。雷だろうか、がらんがらん、大きくそれは怒鳴って、でも違う、青い冬は青いままだった。なのにそこには春のような可憐な風が吹いた。
「転校生の東条花楓です。京都から来ました。よろしくお願いします」
やや眠りそうな僕の頬を叩いた風は僕に彼女を見せた。夜闇のようにミステリアスな長い黒髪が流れ星のように振られると、その雪のような白い頬と整った顔が、優しい月のような目が僕の心を貫いた。彼女が現実にいるというのなら、誰かがそう言ったのなら、それほどの嘘つきはこの世に存在しないだろう。それほどに彼女は美しかった。
季節が変わることがあると知らされ、驚いて固まったままの僕をさらに彼女は見ていた。というか近づいてきた。その背中を押すのは先生の神かかった一言。
「東条さんは倉野葵君の前ね」
そうして東条さんは僕の前に座った――え、この流れで隣りじゃないの?――ちょうど東条さんの隣の席の女子が休みだったので僕の名前が呼ばれたらしい。いや違う、先生の、あの女の目は笑っていた。恐ろしい女だ。
僕があれを睨んでいたら、その目がちょうど彼女に遮られ、ぶつかった。彼女は申し訳なさそうにした――別にそんなつもりじゃない――と言えばよかったものの、緊張してしまって、首を振って誤魔化した。でもどうやら違ったらしい。彼女は怯えるように小さく呟いた。
「あの、足が、足を退けてもらえますか」
どうやらこの男、倉野葵君は緊張しながらも足を伸ばす余裕があったらしい。我ながら非常に恥ずかしくなってドラえもんの足よりも短く、スヌーピーの足より長いくらいに縮めた。
彼女が座る。サラッとした髪はオーロラのように美しく魅惑的だった。つまりいい匂いでした。これから毎日、この祝福を浴びれるだなんて、生きててよかった。さぁ皆さん、今ですよ、今から僕の青春が始まるのかもしれないですよ。賭けるなら今ですよ! とアピールしたい。
僕はこの学園であのどうでもいい空よりも遥かに心惹かれる景色を始めて見つけた。
別に大した日じゃない。そうならなかった。なってほしかったけど、運悪くどの授業でも紙とか渡されず彼女がこっちを向く機会もなく、消しゴムも机にへばり付きやがるので、すでに昼休みになる頃には慣れてしまった。諦めた。
食堂の錆びついた焼きそばパンを右手に、湿っぽいコロッケパンを左手に、僕は屋上で黄昏ていた。
「今日の焼きそばパンは酷く乾いているな。まるで僕の青春みたいだ」
「いきなりどうした?」
伸二がカレーを貪りながら僕へ聞いてきた。屋上で昼飯食べるとか、平成のドラマかよ!っていう気持ちが無視できるくらい、今日は屋上で落ち込んでいたかった。冬なのでとても寒いのを我慢しながら。
冷めたカレーと同じくらい冷めた目で伸二は話す。
「東条さんか。まさか席が前なだけで何かあるとでも思ったのか? ファンタジーやメルヘンじゃないんだし。俺たちの青春にあるのなんてな、せいぜい決まり決まった、食堂の退屈なメニューだけだろ」
「朝っぱらから暴力沙汰の奴に言われるとなんかイライラするな。ん、あれ、パトカーが校門に止まったぞ」
「やべっ! ポリ公め!」
急いでカレーを流し込み、ついでに僕のコロッケパンを奪って颯爽と金網を登っていく。どうやら、いや、まさか、避難用の救助袋を使うつもりか。不謹慎なヤンキーだったのか。若干、組み立て方や使い方を解説しながらやっているけども、相殺できてないぞ、全然。
「って嘘じゃねえか」
救助袋が狭い狭い校舎の裏手に伸びても意味がないと気づかなかったのか。あと先に校門を確認しておけよ、親友だって裏切る時代だぞお前。
そんなこんながあったのをなかったことにして、伸二はコロッケパンを貪りながら僕へ語りかけた。
「そもそも東条さんさんみたいな綺麗な女子がお前に振り向くわけがない。俺たち平凡な男子高生は、どこぞの女子高生みたいにバンドをやったり、どこぞの漫画みたいに部活と恋愛したり、なんてのはなく勉強に縛られ未来を杞憂しながら朽ち果てる運命なんだよ。それを死にゲーと言ってわいわい楽しみもんだろ」
「ネガティブすぎるだろ。お前」
「俺が言いたいのはコロッケパンも不味いこの世界で青春なんてあるわけないってことだ」
チャイムが鳴った。それが紐のように僕らの首に絡まると教室まで運んで行った。伸二の言う通り、学園なんてそんなものだろう。ガッカリして僕は座った。その席の前、東条さんがいる。決して届かない三十センチ、けれど――お前よりも近いぞ、伸二この野郎。
妬む視線は数多、よく後ろからビシビシ感じる。前からもチラチラある、もはや東条さんよりも僕を見ている男子がいるくらいに。僕はこの三十センチ、諦めても堪能してやる!!
暮れた夕の空。部活もしないでゲームばかりして怒った神様の頬は酷く赤く、かといってやはり可愛げもないのだから、より吐き気がしそうだった。くわえて職員室に呼ばれたので、いよいよ喉まで来ていた。僕のその、青い顔をじーっと疑う担任は話す。
「えっと、倉野君。保健室行って来たら?」
「だったら最初から職員室に呼ばなくてよかったですね」
「なるほど、じゃあ要件を言うよ。東条さんを一人で帰らせるわけにいかないから送っていってね」
「……はい?」
「I see. Well, I'll tell you what I need. I can't let Tojo-san go home alone, so please take me home.」
「もっとわからん!!」
「え、嫌なの?」
「違います。下校くらい一人でできるでしょ。高生ですよ」
「君、うちの治安、舐めてる? 朝から喧嘩する街だぞ」
およそ理不尽な理由、それとも強引な理由だろうか。下心の前に違和感が出つつも、僕はそのお願いを受け入れた。報酬の一回喧嘩してきても免除券を握りしめて。絶対にいらん。
校門の前、陸上部やサッカー部が走る砂模様と赤い夕に、その長い影が伸びていた。僕はそれを踏まないように近づくと彼女は小さくお辞儀をして歩き出した。僕は隣りをついていく――なんかよくわかんないけど、ついに隣りにまで!――と興奮しつつ、車と野犬の吠えが騒めくほどに気まずい時間になっていた。
何か話さねばならないと思っているのは僕のほうだから、きっと気まずくなっているのも僕だけだろう。そうにしてもなぜだろう、彼女は平気というより妙に頬を赤く染めて俯いていた。僕にはそう見えた。
「先生は治安が悪いって言ってたけど、そんなことないからね。だったらなんで僕がここにいるって、そんなの僕に聞かないでくれよ。わからないから」
「そうですね」
空振り。ワンアウト。
「東条さんはなぜこの街に? 京都のほうが楽しそうだけどな。いろいろ観光地もあるし、歩くだけで楽しそうだよ」
「親の転勤で」
空振り。ツーアウト。
よし、ちゃんと次がない。さらに気まずくなった。後一回だけ頑張ろう。
「部活とかしないの? というかしてたの? どこに住んでるの? どんな人がタイプ?」
「ないです。全部」
スリーアウト、チェンジ。といいつつも一塁の向こうまで走り去っていきたい気分になった。色々聞けばどうにかなると思っていた自分が甘かった。
彼女もそう感じたのだろうか、ポッケから焼き八つ橋を出すと僕の口に突っ込んだ。あまり味がない。
「お土産です」
「ありがとう」
あまり味がない。さっき頬が赤いように見えたのも、彼女が見上げたその顔、ただの夕暮れでした。自意識過剰な男子高生は僕でした。
ただし全く効果が無いわけじゃなかったようだ。彼女は続けて話してくれた。
「空手、弓道、習字、茶道、将棋囲碁をやってましたけど、足首を三カ月に一回は捻る病になってからどれも辞めました。今は家に籠って錬金術ばかりしています」
「そうなんだ」
話の次元が違いすぎてわけがわからないよ。錬金術ってなんやねん。そう頭に疑問を掠めた隣り、彼女はまた切なくしていた。
「○○県××市△△町◇◇――に住んでいます。タイプはよくわからないですけど、優しくて頼れる人がいいかな」
「そ、そうなんだ」
県と市はいらないし、細かい住所を言われても困るという創作物の性に気づいた。あと家近いみたいだ。優しくて頼れる人は、この世に存在しないからチャンスはありそうだ。
それから彼女と特に適当な世間話をして、夕方を歩いていった。バス停まで行って、バスの中でぶつからない肩に物足りなさを感じつつ、また歩いて、歩いた。かなり歩いて、歩いたけど、ずっと彼女が隣に居る。
「私、たい焼きを頭から食べるのに強いこだわりがある大阪人が嫌いなんだ」
彼女が大阪の文句を言い出したところで、ついに僕の家までついてしまった。さらに彼女が兵庫と奈良の気に入らないポイントを語る前に僕が切り出した。
「東条さんの家って、どこ? まだこの先なの? 僕の家、ここなんだけど、帰っていい?」
「え? 帰りたいの? 私を置いて?」
「いや、そういうわけじゃないけどさ」
彼女はどこか哀しげにスマホを取り出した。その画面にはLIMEのQRコード――転校してきたばかりで、一人ぼっちで寂しいのかな。そうでなくてもあっちから誘ってきたし、友達になってもいいよな――僕はニヤつく唇を噛み千切りながらスマホを翳した。
『決済10000円 ゴリゴリ君100本セット+ゴリゴリ君等身大フィギュア』
どうやらこれは別のQRコードだったようだ。彼女は慌てふためき、今度こそLIMEのコードを出した。僕はそれでもまだ信じられなくて、二度スマホをフェイントしてから翳した。今度こそは東条花楓と書かれたアカウントがでてきた。
夕焼けの赤と夜の紫が交じり合う境界線、その黄昏の終わり、光り出したスマホ。僕は彼女に冗談でLIME側から『よろしく』とメッセージを送ろうとした――そのまえに、すでにあった彼女からメッセージが目に入った。
『私のこと覚えてる? 葵ちゃん』
肝が冷え、縮こまる感触はそれから彼女の顔を見たとき、スマホの白い光がさらに白い顔を照らした彼女の笑みは、狙い澄ました禁断の目つき、続けて彼女は囁き、読み上げた。
『私の家はあなたの向かいですよ』
白い彼女の背後、聳え立ついつの間にかあったお屋敷は彼女の根城、僕をずっと観察するためにやってきた彼女の正体は昔の幼馴染。ついで三番目、次の三件目がその証拠だった。
『これから一緒だね。よろしくね』
この街が物騒だったことを、この街の外から来た彼女に思い知らされた。この日、僕のラブコメが始まった。そして終わった。正直な感想を言おう、この後めちゃくちゃLIMEした。だって仮に彼女が幽霊だとしても美人だから問題ないのだ。