第2幕 『アルバイトの高原灯子です!』
マンションに戻ったあと、数日かけて冷静に自分の気持ちを整理した。
そして、その気持ちに間違いがないことに確信を持つと、いっこく橋動物病院のの院長に報告に行った。
辞める時、身の振り方が決まったら必ず報告に来るようにって、くぎを刺されていたから...。
院長室でソファーに座る。
ここに座るのって、新卒で挨拶に来たとき以来かな。
「そうか、開業する気になったか。まぁ、臨床に来たからには開業しないとな」
そう言って院長は笑った。
「で、開業するまでの間は、どうするの?」
え? あ...。
そーか、そこまで考えてなかったぞ...。
「えと、ま、ぼーっと、プータローでも...」
答を全く用意していなかったわたしは、てきとーにしか答えられない。
そんなわたしの適当ぶりを待っていたかのように院長は続けた。
「それまで、うちでアルバイトしたら」
「は?」
「手術だけでいいから。森先生にはまだ難しそうな手術を先生がやって、森先生に教えてくれればいい。どお?」
「どお...って。そんな」
「開業まで少なくとも数カ月。その間何もしなかったら、せっかくの指先の感覚も鈍っちゃうぞ」
うげ、痛いとこついてくるなぁ...。
「先生の都合に合わせてやってくれればいいからね」
院長はこちらを見て、ニコニコと笑っている。
見透かされてる...。
こんな状況じゃ、院長の言葉に従っておくのが懸命か...。
何か月も手術から離れるのって、確かに不安だよね。
「ありがとうございます。またお世話になります」
わたしはソファーから立ち上がり、頭を下げた。
それだけ、気にかけてくれてるってことだものね。ありがたいや。
「なんなら、春の忙しい時も手伝ってくれていいよ」
いや、それは...、出来れば避けたいな。
あはは。
とりあえず笑ってごまかした。
それにしても、もうここへ通うことはないって思ってたのに、なんだか、出戻りって感じ...。
「それでは、失礼します」
もう一度頭を下げ、ドアを開ける...。そこで急に不安になった。
そうだ。勢いにまかせて病院を辞めちゃったのに、また仕事するなんて...、スタッフのみんなに合わす顔がない...。
どーしよう...。
しかし、そんなわたしの心配とは裏腹に、医局で待っていたみんなはもう知っていた。
そう、シナリオが出来ていたのだ。
ライターは石津先生。
きっと、わたしが帰ったあとすぐにこのシナリオを思いつき、院長に電話したのだろう。
「アルバイトの高原です。よろしくね」
ちょっと照れながら、みんなに挨拶した。
森先生が、何かほっとした顔をしてる。
きっと、ひとりの大変さが少し分かってきた頃なのだろう。
でも、次の瞬間、ニヤッと笑った。
「高原先生!」
突然、森先生がわたしの名前を呼ぶと手を伸ばしてきた。
「ビンボーくじ返します!」
「いらないから!」
とっさに手を隠す。
空振りした森先生は、がっくりと肩を落とした。
あっぶねぇ~。
もう、2度とビンボーくじをもらってなるものか!
みんな笑って歓迎してくれたけど、なんだかちょっと照れくさかった。
さて、開業すると決めたものの...。
こーいうのってさ、誰かが先頭切ってやってくれるわけもなく、全て自分でやらなくちゃいけないんだよねぇ...。
一歩踏み込んでみて、はじめて分かる開業のたいへんさ。
いや、ほんと。