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ホール・イン・ザ・シー

趣味でブログを書いていたことがあった。大学生のころだ。たとえばかわいい女の子に突然話しかけられたり、気の合う友人が数人できて夜遅くまで浴びるほどの酒を飲み交わしたり、ギターやシンセをいじくって音楽制作にあけくれたり、そうした充実したおもしろくて仕方のない大学生活にあこがれていたのだが、現実はあまりにも孤独だった。来る日も来る日も単位のためにつまらない教授だか准教授だか非常勤講師だかの講義を聞きに行く日々が続いた。そこでの日々は私にとっては地獄であった。何度大学をやめようかと考えたことか。講義で聞かされるのは知りたくもないどこぞの文学論やら社会学の学説やら歴史書の変遷やらで、いったい何のために大学試験を受けたのかさっぱりわからなくなった。もはや講義を真面目に受けることがばからしくなった。私はノートパソコンを大学に持ち込んで、講義ノートをとるふりをしつつブログを書いていたのだ。


ブログは書いたというより書きなぐったといったほうが正しい。そこには私の思想を書き綴った。友人は不要だとか、両親の忠告など聞かなくていいとか、大学受験なんてやめておけとか、英語なんて勉強しなくていいとか、当時の私にとっては斬新であった新種のものの考え方を演説調でつづっていた。毎日ひとつ必ず記事を投稿し続けて半年がたっても、私のブログには読者というものはつかなかった。ブログに書いた内容がおもしろくなかったからか、はたまた私の文章が読みにくかったからか、とにかく私のブログというものには他人は興味を示さなかった。私がブログを講義中に書いていても誰も私に注意を払わないのと同じように。


大学は五年かけて卒業した。一年留年して卒業するかたちになった。留年すると就職もどうやらうまくいかないらしい。私は会社と名の付く募集にところかまわず応募してまわったが、そのほとんどが面接にたどり着く前に落とされてしまった。面接にたどり着いても、私の留年の経歴に試験官が気が付くと顔をしかめて私の顔と履歴書を何度か往復するのだった。まるで私の顔に留年の印でも刻まれているみたいに。


結局私は奇跡的に選考に通った小さなシステム系の会社に就職した。給料は高卒並みに安くて残業もつかない会社だったが、選考落ちを繰り返した私の思考は合格の二文字しか目に入らなくなっていた。正常に労働条件に目を通す気力は消え失せていたのだ。


私は案の定、過酷な労働条件のなかでぼろ雑巾のように働かなければならなかった。朝七時半から夜の十一時まで働きづめの毎日だった。日曜だけが私の人生における休息の機会だった。あくせく懸命に働いても、どういうからくりなのかよくわからないのだが、私の給与明細に記載される金額は労働の対価としてはあまりにも安すぎるものになっていた。夜遅くまで残業しても、大卒で普通の会社に入った人たちよりもほんの少しだけ多い額しかもらえないのだ。新卒で入社して半年が経過した秋、私は心も体も疲弊しきっていた。


もうあらゆるものごとに対して諦めの感情を抱き始めていた。いや、正確には諦めの感情を抱くことすらも諦めていた。もう、なにをしてもどうにもならない。生きていても仕方がない。かといって死んでしまっても仕方がない。存在していることそのものがもはやどうでもいいことだ、私はとにかく誰の迷惑にもならないように生きて、誰の迷惑にもならないように、誰の目にもつかない場所でひとりで死んでしまおうと思っていた。それは別に自殺がしたいとか、そういうことではない。自殺をすることさえ意味はないのだ。能動的になにかをすることにたいして何らの意味を感じることができないのだ。私は自分が生きる屍であるようにしようと決めていた。どんな感情も抱かず意志も抱かず、社会だか世の中だか常識だかに従順であるように見える人であろうと。


朝はスーツを着てきちんと電車を待ち、降りてくる人を通した後に電車に乗り込み、控えめに電車の隅に立って、両手でつり革をつかみ、目的の駅につけば黙って降りる。オフィスに入れば適当に挨拶をして誰とも話さず仕事をして帰宅して眠る。そして起きては仕事に行く、そうした生活をあと何前回か何万回かこなせば、私は確実に死ぬ。私の暮らしは文字通り生を暮らして死に至ることであり、これは単純な作業なのだ。私の生は作業そのものなのだ。


かつての私の生は作業であった。しかし今となってはそんなことも言っていられない。そんなことを言っていられる状況ではなくなったのだ。あの日、見えるはずのない地下鉄の窓からあの世界をのぞき込んでしまってから、私は生き方を改めざるをえなくなった。

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