突然の解雇宣言 1
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「エイミー、少しいいですか?」
執事のルーベンスに呼ばれたのは、エイジェリンが空き時間にキッチンメイドのドーラの手伝いをしているときのことだった。
キッチンメイドは料理人の手伝いをする立場で、野菜を洗ったり切ったり、食器を片付けたりと時間に関係なく忙しい。
ウィリアムが宣言通り、ブラックダイヤモンドの霊について調べるべく城へ向かって、彼の部屋付きメイドのエイジェリンは暇を持て余すことになったのだ。
部屋付きメイドであるエイジェリンは、ウィリアムの世話と部屋の掃除が主な仕事で、ウィリアムは部屋を散らかさないし、自分でできることは自分でやろうとするたちなので、はっきり言ってあまり仕事がない。
ウィリアムが外出後、彼の広い部屋の掃除をしたけれど、散らかっていないから一時間もあれば終わってしまって、例のごとく仕事を求めてドーラを訪れたのである。
ジャガイモ料理が毎食一品にまで減ったので、たくさんのジャガイモの皮むきをする必要はないけれど、その仕事がなくなったからと言って、キッチンの仕事の量的にはさほど変わらないようだ。
ルーベンスに呼び止められたのは、ドーラに頼まれて食糧庫にカボチャを取りに行っていたエイジェリンが、大きなカボチャを抱えて廊下を歩いているときのことだった。
ルーベンスはエイジェリンが抱えているカボチャを見て、「旦那様はカボチャのスープがお好きですよ」と言ってから、それをキッチンに置いてから、彼の部屋に来るようにと告げて去っていく。
メイドの仕事を教えてくれるのはメイド頭で、新人のエイジェリンがルーベンスから直接何かを言われるのは珍しいことだった。執事である彼はブラッド家の采配を任されているけれど、彼が指示を出すのは基本的にはそれぞれの使用人の長であるからだ。エイジェリンの直属の上司はメイド頭のケリーで、もしルーベンスから何か指示があるのならば、彼女を通して受けるのが普通だ。
もっとも、エイジェリンはウィリアムの部屋付きメイドであるから、彼女たちとも少し仕事の流れが違って、基本的な仕事以外は、直接ウィリアムから下されることも多いけれど。
ドーラにルーベンスに呼ばれたことを告げてカボチャを渡すと、彼女は顔を曇らせた。
「もしルーベンスに何か言われてもくよくよするんじゃないよ。ルーベンスは口が悪いんだが、あれは思ったことを何でもしゃべっちまう何というか、人付き合いが苦手な男で、悪気があるわけじゃないんだからね」
ドーラはブラッド家に務めて長い。三十歳のルーベンスよりも古参で、同じ年ごろの息子がいるからなのか、子供を心配する母親のような顔をした。
ルーベンスとほとんど口の利くことのないエイジェリンは、ドーラの忠告を心に止めて頷いた。
(ルーベンスさんは口は悪いけれど悪気はない。うん。覚えた)
ウィリアムの父親は亡くなっていて、母親は領地の邸にいるので、王都の邸の中では、ルーベンスはウィリアムの次に偉い立場だ。緊張しながら二階の西の彼の部屋に向かい、扉の前で一度深呼吸をした。
使用人たちは三階の部屋がそれぞれ与えられているのだが、執事のルーベンスは、多岐にわたる仕事があり、時に忙しい主人に代わって対応することもあるからか、二階に仕事部屋兼用の広い部屋を持っていた。
コンコン、と扉を叩くと、すぐに「どうぞ」と声がある。
そっと扉を押し開けると、ソファに座っていたルーベンスが、対面に座るように指示を出した。
淡いグレーの髪を撫でつけて、銀縁眼鏡の奥は、髪と同じ色をした切れ長。彼が笑った顔は、エイジェリンは今のところ一度も見たことがない。
エイジェリンがソファに座ると、足を組んだルーベンスが射抜くような視線を向けてきた。
「それで、あなたの狙いは伯爵夫人の座でしょうか」
何を言われたのか、エイジェリンは理解が及ばなかった。
「……え?」
かろうじてそう訊き返すと、ルーベンスはすっと灰色の瞳を細めた。
「誤魔化さなくて結構です。まったく、若い女性は本当に困るんですよ。特にあなたのような適齢期を少し過ぎたくらいの年齢の女性はね。結婚に焦っているのか時に分別のない行動を取る。あなたの前任のサーラもそうでした。旦那様がお優しいのも悪いのでしょうが、しかし勘違いされては困ります。旦那様は誰に対しても人当たりがいいだけで、別にあなたのことを特別視しているわけではありません。ましてや、旦那様の特異体質に付け込んで既成事実を作って脅そうなどとは考えないことです。もし万が一のことがあったとしてもあなたご時を切り捨てることなんてわけないのですから」
立て板に水状態で早口にまくしたてられたエイジェリンは、その勢いに圧倒されてパチパチと目をしばたたくことしかできなかった。
なかなかひどいことを言われたのは理解できたが、言われたことは寝耳に水で、さっぱりわからない。
エイジェリンの反応が気に入らなかったのか、ルーベンスがいらだたし気に爪の先で机の上を叩いた。
「聞いているのですか。物わかりの悪い人ですね。主人に色仕掛けを仕掛ける使用人はクビだと言っているのですよ。……まったく。これだから若い女性を雇うのは反対だったんです。わかったらさっさと荷物をまとめて出て行く準備をしてください」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
茫然としていたエイジェリンだったが「クビ」という単語は聞き流すことはできなかった。
「わたしは旦那様に色仕掛けなんて仕掛けていません!」
「嘘は結構。ここ数日、あなたと旦那様が親密そうだという証言はケリーから聞いています。私はブラッド家の執事として、旦那様に不都合が起こる前に対処する義務があるのです。さあ、諦めて荷物をまとめなさい」
「そんな……」
本当に違うのに、どうして決めつけるのだろう。
エイジェリンはきゅっと唇をかみしめた。
貴族の使用人の立場は、本当に弱いものだ。それがどんなに理不尽なことでも、主人や執事の命令には逆らえない。
前の勤め先でそれを嫌と言うほど理解したエイジェリンは、もはや、これ以上何を言っても無駄なのだと判断した。
視線を落とすと、エイジェリンが納得したと思ったのか、ルーベンスが続けた。
「そうそう。旦那様の特異体質については他言しないように。しばらく監視をつけさせていただきますから。……不用意な発言や行動をしたときは、どうなるか、もちろんわかっていますね?」
「心配しなくても、人に言ったりしません」
「そう願いますけどね。過去に解雇された腹いせに周囲に旦那様のあることやないことを言いふらしが愚か者がいるのでね、信用はできません。さあ、話は終わりです。夜までに出て行ってくださいね」
ルーベンスがそう言って軽く手を振ったので、エイジェリンは視線を落としたまま立ち上がった。
部屋から出たあとで、しょんぼりと肩を落として歩いていると、前方からメイド頭のケリーが歩いてくるのが見えた。
四十代の彼女は、エイジェリンを見るとスッと目をすがめて、大げさにため息をついた。
「あなたはドーラがいい子だと言っていたから期待していたけれど、残念だわ」
吐き捨てるように言って、ケリーはそのまま通り過ぎてしまう。
エイジェリンは何も言えず、黙って三階の自分の部屋に上がると、簡素なベッドにうつぶせに倒れこんだ。
枕に顔を押し付けていると、じんわりと涙が盛り上がってきて、枕カバーに吸い込まれて行く。
ウィリアムは変な体質を持っているけれど優しかったし、ドーラも親切で、ここならば大丈夫だと思っていたのに――
「また、クビになっちゃった……」
エイジェリンは、ひっく、と小さくしゃくりあげた。