エピローグ
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フリードリヒの計らいで、エイジェリンのハーパー伯爵家の相続はとてもスムーズだった。
伯爵家を相続したことで、エイジェリンが女伯爵と呼ばれることになって、一か月がすぎた。
ウィリアムからは頻繁に手紙が届くけれど、毎日、朝早くから夜遅くまで駆けずり回って伯爵家の立て直しに尽力しているエイジェリンは、ついつい返信が遅れがちで、気づけばライティングデスクの上に、返していない手紙が三通もたまってしまった。
「今夜には少し時間が取れるかしら……?」
かつてハーパー伯爵家で働いてくれていた使用人も半分が戻ってきた。
残念ながらほかの仕事先があったり、結婚して仕事をやめている使用人もいて、全員が戻ってくることは無理だけれど仕方がない。エイジェリンを昔から知る彼らの支えもあって、忙しくても何とかなっている。
せめてもの救いは、借金が何とかなったことだ。
グレイスや義母があちこちで借金を作っていたが、ロバートのしでかしたことを知って蒼白になったダストン子爵が、息子夫婦が作った借金はすべて自分が返すと申し出てくれた。
さすがに申し訳なくて一度は断ったけれど、ダストン子爵が、国王陛下に誠意を見せるという意味でも受け取ってほしいと頭まで下げてきたので、エイジェリンもそれ以上は断れなかったのだ。
(でも……子爵には本当に申し訳なかったけれど、助かったわ)
ロバートが税金をぎりぎりまで上げていたので、領民たちはかなり疲弊していた。税率を戻そうにも多方面に借金がある限り、貸し手が納得しなければ厳しい。その点、借金がなくなれば、あとはエイジェリンの采配だけで何とかなるのだ。
残念ながら、今のハーパー伯爵領の財政では、一度に元の税率まで戻すことはできないけれど、できるだけ早く元の税率まで下げようと思う。
(ワイナリーはまだ軌道に乗っていないし、ジャガイモ畑だけだと領地的には厳しいわよね……)
父の代には、祖父の代まで稼働していた金鉱山で稼いだ貯えがあった。節約すればワイナリーが軌道に乗るまでは、十分やっていける貯えだったのに、グレイスたちにすべて使われてしまったのだ。
グレイスや義母が大量の保有していたドレスや宝石類をすべて売り払ったから、多少のお金は工面できたが、もともとあった蓄えを考えるとかなり厳しい。
「お嬢様、馬車の準備ができましたよ」
執事が呼びに来て、エイジェリンは急ぎ足で玄関に向かった。
今日はワイナリーの視察と、それから村長や町長たちとの面談がある。
「ポール、ごめんなさい、今日も予定がぎゅうぎゅうなの。急ぎ目でお願いできる?」
御者のポールに声をかけると、彼は満面の笑みで頷いてくれる。
使用人たちに留守を頼むと、エイジェリンは執事とともに馬車に乗り込んだ。
「鉱山に金ってもう残ってないわよね」
「取りつくしましたからね」
執事が肩をすくめて言った。
「うちの領地でできる事業ってないかしら」
「そうですねえ……」
ハーパー伯爵領は良くも悪くものどかなところだ。これと言った観光資源はない。執事もぱっと思いつくものがないらしく、弱り顔だ。
移動中、執事と二人でああでもないこうでもないと頭を悩ませたけれど、結局名案は思い付かず、夕暮れ時になって、視察に面談にと駆けずり回った疲労困憊のエイジェリンを載せた馬車が邸に戻ったときだった。
邸の前に、見覚えのある馬車が一台停まっていた。
エイジェリンの心臓が、ドクリと大きな脈を打つ。
執事の手を借りて馬車から降りたエイジェリンは、震える唇で、出迎えたメイドに訊ねた。
「お、お客様、かしら……?」
メイドはにこりと笑って、書斎でお待ちですよと答える。
エイジェリンは外套を脱いでメイドに渡すと、はやる気持ちを押さえながら階段を上がって、書斎の扉を開いた。
長い脚を組んでソファに腰を掛けていたのは、黒い髪に濃い紫色の瞳をした一人の青年。
一か月と少し前に別れた、ウィリアム・ブラッド伯爵だった。
「やあ、エイジェリン」
ウィリアムは読んでいた書類の束から顔をあげて立ち上がった。
その姿が妙にしっくりくる。まるで彼がこの部屋の主であるかのような錯覚を覚えるほどに。
驚いたエイジェリンが扉の前から動けないでいると、ウィリアムはエイジェリンのそばまでやってきて、そっと手を取る。
ウィリアムが反対の手で書斎の扉を閉めた。
部屋の中に二人きりにされて、エイジェリンは急に落ち着かなくなってきた。
ウィリアムはエイジェリンをソファに誘導しながら「いつまでたっても返事がないから、着てしまったよ」と笑う。
返事とは手紙の返事のことだろう。
エイジェリンは返事が出せていないことを詫びようと思ったが、その前に、ウィリアムが一通の書状を手渡してきた。
「返事がないから忙しいのだろうと思ってね。だからこれは、自分で持って来たんだ」
「これは?」
見たところ、手紙ではないようだった。
くるくると丸められている羊皮紙を開いて中を確かめたエイジェリンは、大きく目を見開いた。
それは、国王フリードリヒからの書状だった。
最後まで読み終えたエイジェリンが思わず顔をあげると、目が合ったウィリアムが大きく頷く。
「君は領地経営に不慣れだろう? だから、補佐が必要だと進言したんだ」
「で、でも……」
「俺では不満?」
エイジェリンはふるふると首を振った。
けれども、まだ状況が理解できない。
書状には、エイジェリンが領地経営に慣れるまでの間、彼女に補佐をつけるとあった。その補佐は、ウィリアム・ブラッド。……心強いが、親族でもない伯爵が補佐なんて、あり得ない。
(伯爵様は忙しいはずよ。うちを手伝っている暇なんてないはずだわ)
辺境伯であるブラッド家の領地は広い。うちとは比べ物にならない広さだ。そちらの仕事はどうするのだろうか。
すると、エイジェリンの内心を見透かしたように、ウィリアムが言った。
「ルーベンスに任せてある。もちろん俺でないとできない仕事もあるから、ずっとここにいるわけじゃない。でも、一年のうちの半分くらいは、ここにいられると思うよ」
もともと、ウィリアムはいつ宝石に憑りつかれるかわからないため、ウィリアムが役に立たなくなった時のために、ルーベンスは伯爵家の仕事の大半のことができるらしい。
「俺がやりたくて言い出したんだから、君は気にしなくてもいいよ。それとも、俺はいらない?」
「そんなことはありません」
いてくれたらとても助かるし、会えなくなって淋しかったから、正直とても嬉しい。
ウィリアムは「よかった」と胸をなでおろして、それからふと真剣な顔になった。
「以前俺が言ったことを覚えている?」
「言ったこと?」
エイジェリンは首をひねった。いつのことを言っているのか、皆目見当がつかない。
ウィリアムは真剣な顔をしたまま、小さな声でぼそりと言った。
「君に……女性として魅力を感じているわけではない、と。君とどうこうなるつもりは一切ないと、言っただろう?」
ああそのことか、とエイジェリンは合点した。
モーテン子爵に襲われたばかりで、そのせいか、エイジェリンは男の人が近くに来るとどうしても体が強張ってしまっていたから、ウィリアムのその言葉でずいぶん安心することができた。だから、よく覚えている。
ウィリアムは、エイジェリンの指先に遠慮がちに触れながら続けた。
「あれだが、撤回させてくれ」
「え?」
「俺は、君に女性としての魅力を感じている。……だから、この先の可能性を、残しておきたい」
エイジェリンが瞠目して動けないでいると、ウィリアムがパッとエイジェリンから手を離す。
「も、もちろん、強引に迫ったり、無理強いしようとしたり、とにかく君が怖がることは何もしないし、君は今まで通りに接してくれても構わないわけで……、ただ俺が、君を好きなだけで……そのくらいなら、いいだろう?」
「好――」
エイジェリンの顔が真っ赤になった。
ウィリアムも赤くなって、片手で口元を覆って視線を背ける。
「君が好きなんだ。だから、君のそばにいたい」
どくどくと血が逆流するほど鼓動が高鳴る。
何も言えないエイジェリンに、ウィリアムが気を取り直したように「これからの領地経営について話し合おうか」と言ったけれど、はっきり言って、頭の中が真っ白で、それどころではなかった。
(好きなんて……そんな……)
エイジェリンは両手で顔を押さえて立ち上がった。
「ご、ごめんなさい! 少し頭を冷やしてきます!」
「え? エイジェリン⁉」
ウィリアムが驚いて腰を浮かしたが、それより早く、エイジェリンは書斎を飛び出していた。
自室に駆け込み、ぱたりと扉が閉まった瞬間にへたり込んだ。
「好き、なんて……」
ウィリアムの真剣な顔を思い出して、どうしようもなく顔がほてる。
うるさい心臓の音、熱い顔、まとまらない思考――
これがわからないほど、エイジェリンは子供ではない。
(ああ、どうしよう――)
自分もどうやらウィリアムのことが好きらしいと自覚したエイジェリンは、これから毎日のように彼がここにいるという事実に、どうしようもなく胸が逸るのを感じていた。
お読みいただきありがとうございます!
本作、これにて完結となります。
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