過去と悪だくみと招待 5
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ガシャン、とティーカップが割れた。
「すまない! エイミー‼」
エイジェリンと呼ばれたのはあの馬車の中だけだった。ウィリアムにエイミーと呼ばれることが、少し淋しいような気がしながら、エイジェリンは首を振った。
「いえ、わたしも手を離すのが早くて……お怪我はありませんか? 火傷は……」
「大丈夫だ。あ、破片に触るな、怪我をするだろう。ルーベンス!」
そばで見ていたルーベンスが、やれやれと肩を落として、ホウキと塵取りを持ってくる。本来こういうことはメイドであるエイジェリンの仕事なのに、執事であるルーベンスにさせていいのだろうか。エイジェリンはおろおろとするが、主人であるウィリアムから「触るな」と命じられれば従うしかない。
「何をしているんですか、旦那様」
ルーベンスは割れたティーカップを片づけて、布でテーブルの上にこぼれた紅茶を拭きながら、小馬鹿にしたような視線をウィリアムに向けた。
「まったく、絨毯の染み抜きは大変なんですよ」
テーブルからこぼれた紅茶が、淡いグリーンの絨毯にシミを作っている。それほど目立つわけではないが、このままにはしておけない。
「邪魔ですから、窓際の椅子に移動してください」
ルーベンスが染み抜きのために新しい布と水を頼んで、ウィリアムをソファから追いやった。
「あ、ああ……」
ウィリアムが少し赤い顔で窓際に移動したので、エイジェリンもルーベンスの邪魔にならないようにと彼に続く。
(伯爵様、熱でもあるのかしら?)
朝から妙に挙動不審ですぐに赤くなるウィリアムに、エイジェリンは内心で首を傾げた。
さっきだって、ウィリアムに紅茶を運んできたエイジェリンから、ウィリアムがティーカップを受け取ろうとして、指が触れた瞬間の彼が取り落としたのだ。普段ならばテーブルの上にティーカップを置くまで手を伸ばさないのに、途中で受け取ろうとしてみたり落として見たり、どう考えてもおかしすぎる。
ルーベンスが手早く染み抜きをして、もう大丈夫だと言ったのでソファに戻っても、ウィリアムはどこか落ち着きがなく、そわそわしていた。
やはり熱があるのかもしれないと心配になっていると、ルーベンスが染み抜きをしたせいで汚れた白い手袋を脱ぎながら、あきれ顔を浮かべた。
「発情期ですか? 今は冬なんですがね」
(発情期?)
ブラッド家には、馬車を引く馬以外の動物はいないので、馬の話だろうか。
エイジェリンがきょとんとしていると、真っ赤になったウィリアムがルーベンスを怒鳴りつけた。
「ふざけるなよルーベンス!」
「ふざけているわけではありませんけどね。その調子であちこちで物を割られたら困るので、少しは自制してほしいものです」
「ルーベンス‼」
ウィリアムが大声を出してもルーベンスはどこ吹く風で、エイジェリンに、新しい紅茶を用意して来てほしいと伝える。
「ついでに、甘いものでも持ってきてくれますか。私も食べるので、あなたも含めて三人分。ドーラに言えば、何か出してくれるでしょう」
「え? わたしもいいんですか?」
「というかお前も当たり前のように休憩しようとするな!」
「私が食べているのにあなただけ立たせていたら、それはいじめでしょう」
ウィリアムの抗議を綺麗に無視してルーベンスが言う。エイジェリンが困った顔をウィリアムに向ければ、彼も肩をすくめて頷いた。
「ティーセットと茶菓子を三人分頼んでいいか?」
「わかりました」
どうやらエイジェリンも分も大丈夫らしい。
エイジェリンがキッチンに向かうと、キッチンの中で休憩をしていたドーラが顔をあげた。
エイジェリンがお菓子を頼むと「ちょうど焼き立てがあるよ」と言って、ドーラがガレットを出してくれる。
ドーラがお菓子を用意してくれる間、エイジェリンが三人分の紅茶をいれていると、お菓子の皿をワゴンの上に載せて、ドーラが振り返った。
「最近、ルーベンスとも仲良くやっているみたいじゃないか。あのときはどうなることかと思ったけど、安心したよ」
口は悪いけど、悪いやつじゃなかっただろうと、ドーラが笑う。
エイジェリンが微笑んで頷いて、ティーポットに三人分の紅茶を準備して、カップとともにワゴンの上に載せ、ドーラに礼を言ってキッチンを出ようとしたときだった。
「ここにいたのですか」
神経質そうに眉を寄せたケリーがキッチンに顔を出した。
「エイミー。あなたにお手紙ですよ。……伯爵家の方が、あなたに何の用があるのかしら。あなた、昨日のパーティーで、何か、身分を忘れての失礼をしたのではなくて?」
白い封筒をピッとエイジェリンに向けて、ケリーが尖った声で訊ねると、エイジェリンが答える前に、それを聞いたドーラが顔をしかめた。
「ちょいとケリー、その言い方はあんまりじゃないかね。だいたい、いつまでそのつっけんどんな態度を続けるつもりだい。あれはルーベンスの勘違いだってわかったろう。これ以上はさすがにわたしも黙っちゃいないよ」
ドーラが口を挟んだので、ケリーから手紙を受取ろうとしたエイジェリンの手が宙で止まる。
ドーラとケリーが睨み合っているのを見て困惑していると、騒ぎを聞きつけたアニスがやってきた。なんだかもっとややこしくなる気配を察して、エイジェリンは途方に暮れた。
「外まで声が聞こえていますよ。って言うかケリーさんも、職場内のいじめはいい加減にしてくれませんかね」
「いじめですって?」
ケリーが片眉を跳ね上げる。
「いじめだろう」
ドーラが大きく頷いて、ケリーの鋭い視線が何故かエイジェリンに飛んできた。
「メイド頭は本来、メイドたちが仕事をしやすいように管理する立場だってのに、あんたがしていることはいったいなんだい。ルーベンスがあんたの側には置いておけないと判断して、あんたの管轄からエイミーを外したことを、きちんと理解しているのかい? 今のあんたは、メイド頭失格だよ」
「わたくしはメイドたちの規律を守りためにいるのよ。規律を乱しているのはエイミーの方だわ」
ケリーも感情的になってドーラに言い返す。
「あたしからすれば、規律を乱しているのはケリーさんの方ですよ」
アニスがそれに言い返して、収拾がつかなくなってきたとき、ウィリアムの部屋にいたはずのルーベンスがやってきた。
「遅いので様子を見に来てみれば、これは一体どういうことです?」
眉を顰めるルーベンスに、ケリーとドーラとアニスがそれぞれの主張をしはじめる。
三人の主張をすべて聞いたルーベンスは、くいっと眼鏡のフレームを押し上げて、面倒くさそうに言った。
「旦那様がエイミーを気にかけているのは間違いありませんよ。というか、当たり前でしょう。なぜならエイミーは、わけあって預かっている伯爵家のご令嬢ですからね」
「「「「え?」」」
エイジェリンを含めて、四人の声がみごとにハモる。
(どうしてそんなことを言っちゃうの⁉)
ケリーとドーラとアニスの視線が突き刺さるのを感じて、エイジェリンは茫然とした。




