(5)薔薇の迷路の思い出(後編)
更新遅くなりました。
回想編後半です。
王都の貴族はそんな恐ろしい教育まであるのかと驚くコリンナの表情や、そもそもの発想がよほど可笑しかったのだろう。
浮腫んだ顔でも分かるほど目を丸くしたオズが、初めて声を出して笑いだした。
「ははは……いや、違うぞ?これは私の家だけの教育だ」
「そうなの?オズお兄ちゃん、辛くない?」
「全く辛くないといえば嘘になる、だろうな。だが、必要なことだから…乗り越えてみせる」
ウルフィアズ家が幼い頃から森へ狩りに行くように、彼の家もその家独自の厳しい教育方針があるのだろう。
迷路に漂っていた鼻面を顰めたくなるような嫌な匂いはオズの中からしているが、彼の話からすると彼が自ら飲んでいるという毒の匂いなのだろう。
もしかしたら毒のせいで肌だけでなく内臓も膿んでいる部分があるのかもしれないと思うと、その痛みや苦しみは相当なものだ。
これほど辛そうな状況になっても、必要なことだからと自分自身を諦めないと決意している瞳に、きっと彼は強い人なのだとコリンナは思った。
そしてそんな彼が乗り越えられるように、応援してあげたいとも感じた。
「……強いね、オズお兄ちゃん。私にしてあげられること、何かある?助けられること、ある?」
「さっき傷を洗ってくれただろう?それに、私を見ても気持ち悪いとも言わず、こうして普通に話してくれている。それで十分だ…ありがとう、コリンナ」
怪我をした者を見て放置するなど、魔物の出るウルフィアズ領ではその者の死につながる行為だ。
戦闘中など自身の身を守る為の緊急時以外ではありえないことで、コリンナにとってはオズの怪我を洗うことも、普通に話すことも当たり前のことだった。
それなのに、目の前の優しい少年はたったそれだけのことで十分だと言う。
そうだ、彼は最初に言っていたじゃないか……気持ち悪くないのかと。
この王都にいる彼の周囲には、こんなに優しくて賢そうなオズを『気持ち悪い』と貶す酷い者が殆どだということだったのかと、ようやく気付いたコリンナは酷く苦い薬を飲まされたような気分になった。
そして自分だってついさっき『獣人なんかが入り込んでいる』と言われて、悲しくて悔しかったことを思い出した。
あんな思いをオズはずっとして来たのだろうと思うと、胸がギュッと痛くなって何故か自分が貶された時よりもずっとずっと悔しかった。
「そんなの当たり前のことだよ!オズお兄ちゃんだって『獣人なんか』って言わなかったよ!耳も尻尾もある私とこうやって普通に話してくれてるでしょ?」
「……この王宮で、君にそんな言葉を投げつけた馬鹿者がいるのか」
「迷路の外にいた子供達には言われたけど、そんなのうちの領地を出たら普通に言われたよ?でも、言わない人たちもいっぱいいるのもちゃんと知ってるから、平気!」
王都に来る途中でも、まだ耳や尾を消せないコリンナを見て蔑むような目を向けたり、獣人のくせに良い服着てると言われたりもした。
自領では向けられたことのなかった悪意に最初は驚き悲しんだが、それを補って余りある程に優しい言葉と態度をくれた人たちがいた。
きっと人と違う部分が分かり易いから攻撃もしやすいけど、もしそれが無かったとしても嫌う人も好いてくれる人もいるのだと、たった一度の旅で幼いコリンナは知ることが出来ていた。
「そうか…君は私に強いと言ってくれたが、強いのはどうやらコリンナの方だな。……ところで君はウルフィアズ男爵と2人で王宮へ来たのか?何故1人で控え室から出た?」
「ひかえしつ?母様は兄様が王都に来る途中で熱を出したから、フィーの街の宿で待ってるの。それで私は、侍女さんが廊下の見えるベンチで待ってなさいって言ってたから…」
「は?馬鹿な……控え室に通されなかったのか?……茶会と夜会で空きが無かった?いやしかし…」
足早に去っていった侍女の後姿を思い出して、もしかしてあのベンチを離れるのはやってはいけない行為だったのだろうかと、幼いコリンナは急に不安になってきた。
綺麗な服装の子供達からの悪意に、つい逃げ出してしまったものの、オズの怪我を見てそんなことはすっかり頭から消え去っていたぐらいのことだ。
むしろそのおかげで彼に会えて、少しだけだけど傷を洗ってあげることができたのだから結果的に良かったとさえ思えたけれど、折角王様に褒められた父が自分のやらかしのせいで王様に叱られては困る。
難しそうな顔をしてブツブツと何か言っているオズの隣に腰を下ろし、その袖を小さくツンッと引いたコリンナは、泣き出しそうなほどに眉尻が下り尻尾がパタリと垂れ下がって、耳もペタンと倒れている。
どうしたのかと首を傾げたオズをソロリと上目で見上げたコリンナは、小さな声で恐る恐る問いかけた。
「オズお兄ちゃん。私、勝手にベンチを離れたから怒られる?王様に拳骨されちゃう?」
いつも優しい父だって叱る時はめちゃくちゃ痛い拳骨が頭にゴツンと一発入るのだもの、国で一番偉い王様はきっと怒ったらものすごく怖いだろう。
そんな想像をしながらプルプル尻尾を震わせて俯くコリンナの姿に、何故かオズは耐え切れないといった風に弾けるように笑った。
「ふはっ!い、いや……うん、大丈夫だ。陛下はコリンナに拳骨などしないから安心していい」
「ほ、本当…?良かったぁ」
おそらく自国の貴族を叱責するのに自ら拳骨をするという有り得ない国王陛下の姿を想像してしまったのだろうと、数年後のコリンナには理解できたが、当然この時のコリンナが気付くはずはない。
ただ、楽しそうにオズが笑ってくれたのが嬉しくて、単純なコリンナの耳はピンと立ち、しょぼくれていた尻尾も元気にパタパタと左右に揺れ出す。
そんなコリンナを見つめて、瞳に優しい色を浮かべたオズが自分の掌をハンカチでギュっギュっと拭いて、そっと壊れ物にでも触れるように髪を撫でてくれた。
「コリンナは……可愛らしいな」
「ふぇ!?あ、あ……ありがと…」
獣人の多くがそうであるように、耳がある頭を家族以外から撫でられるのことを実はあまり好まないはずだったコリンナだが、思わず漏れたようなオズからの思わぬ褒め言葉の方に驚いて、ポポポと頬が薄紅色に染まってしまった。
それに父や兄や叔父たちの撫で方は実に荒っぽく、両手で掻き混ぜる様にわしゃわしゃと撫でる為にいつもせっかく自分なりに整えていた髪の毛がボサボサになってしまう所までがセットのようなものだった。
それに比べて、オズの撫で方は優しくふわりと撫でている。
こんな風に優しく撫でてくれるのは、母と隣国に住む祖父母ぐらいのものだった。
まして可愛いなどと言われ、女の子扱いしてもらえているのだとくすぐったいような嬉しさに頬が緩んだコリンナは、ピンク色の頬のままエヘへと照れ笑いを浮かべた。
「そこまで照れられるとこちらも照れるだろう…」
「だって、家族や大人からは言われたことあるけど、男の子から可愛いなんて言われたりしたことないんだもの……」
「そうなのか?君の黄金の瞳も白銀の髪や尻尾も陽の光でキラキラと輝いているのだ、可愛いと言われぬのならば美しいと言われるのでは?」
「ええ!?まさかぁ、そんなこと言われたこともないよ!」
ブンブンと勢い良く首を横に振ると、陽の光に銀糸のようなコリンナの髪が風にふわりと浮いた。
その煌く髪と揃いの柔らかな尻尾は初めて貰う賛辞の数々に、機嫌よさげにパタリパタリと左右に揺れる。
パタリパタリと揺れていたその白銀の尻尾が、大きく振りすぎたのか隣に座ったオズの手に軽く触れてしまい、一瞬止まった後そっと彼とは逆の方へ向いた。
初対面の男の子相手に尻尾を振ってあまつさえ触れさせてしまうなど、獣人にとっては『私は貴方に興味がありますよ』と全身で表現しているような行為だったが、幸か不幸かオズはその意味を知らず、コリンナは幼さ故に無自覚のままであった。
「それに、綺麗なのはオズお兄ちゃんの瞳でしょ?すっごく綺麗な泉の色だもの。掌だってほら、剣ダコもペンダコも私の兄様より出来てる頑張る人の手だわ!」
「……コリンナは、この色が好きか?」
「うん!だって私のお家の近くにある森の泉の色と同じなの。しかも大好きな夏の泉の色!その泉は泳ぐととーっても気持ちいいのよ!それに、目の色だけじゃなくてオズお兄ちゃんも好きだよ?すっごく優しいし、良い匂いもするもの!」
「……っ!?そ、そうか…あ、ありがとう。そう言ってもらえて、嬉しいよ。私もコリンナのことは好ましいと思っているよ。君の物事の本質を真っ直ぐ見る心も、フワフワな耳や尻尾だって愛らしいからね」
領地の森にある泉は精霊が住むと言われていて、春と秋は淡いグリーンに、夏はブルーグリーンに、煌く冬は濃いブルーにと色を変える不思議と魔物が寄り付かない聖域のような場所だ。
コリンナたち兄弟は夏になるとその泉で水遊びをしながら、狩りをしたり薬草採取をしたりしている。
そんな泉の夏の色は、コリンナが大好きな色でもあった。
その泉と同じ色の瞳のオズは、コリンナがこれまで出会った誰よりもコリンナを褒めてくれて、『女の子』として扱ってくれた素敵な人だ。
素直にオズのことを好きだなぁと思う。
だからそれを素直に伝えたら、耳や尻尾まで褒められてくすぐったくて嬉しい胸がポカポカするような不思議な気持ちになってしまった。
「ふふふ、じゃあ仲良し?」
「ああ、仲良しだ。それにしても、その歳で泳ぎも出来る令嬢がいるとは思わなかったが、君は魔法の才もあるようだし、優しくて愛らしいだけじゃなくとても多才なのだな」
「たさい?」
「色々な才能があるということだ。簡単に言えば、コリンナはとてもすごい子だってことだよ」
「えへへ、嬉しい!狩りには一緒に行くのに、いっつも父様にも兄様にもまだ剣は早いって言われるし、母様にはマナーやお勉強も頑張りなさい!魔法は初級を完璧にしてから中級魔法は練習しなさい!って言われてばっかりだけど、私、頑張ったらできるようになれるかな?」
「その歳でもう狩りにも行くのか?!はぁ、やはりコリンナはすごいよ」
心からそう思っていると伝わるような、オズの穏やかで優しい声にコリンナは胸が温かくなった。
一族の子供達は皆、コリンナと同じ年頃にはナイフを持ち、戦う力を身につける練習をするのが当たり前だった。
そして領主の子として身につけるべき知識を学び身につけることも、母の子として受け継がれた魔力をうまく使う術を身につけることも、ウルフィアズ家では当たり前でコリンナはそのスタート位置に立ったばかりの未熟な子供でしかない。
オズの方こそ、恐ろしい毒を自ら飲んでまで乗り越えなければいけない大きな何かを背負っている『すごい子』なのに、こんな小娘をすごいと目を輝かせてくれている。
人の良い所を認められる人の方が、人の悪い所ばかり見つける人よりも、ずっと強くて良い人だと去年亡くなった父方の祖父が言っていたのをコリンナは思い出していた。
「オズお兄ちゃんの方がすごいよ!私は怖くて毒なんて飲めないもの。それに私なんてチビだし、今はまだどれもダメダメなのよ?」
「大丈夫だ。君ならきちんと努力すればきっとなんでもできる。何より君の心が真っ直ぐだもの。私もコリンナに負けぬよう、今まで以上に励むことにする」
「負けないように?競争するの?」
「ああ。コリンナは父君や母君の役に立てるよう、勉強も魔法も剣も頑張るのだろう?私も父上の助けになれるようあらゆる努力をする。そうだな……10年。10年でどれだけ頑張れるか競争しよう」
まだ5歳のコリンナにとって、10年といえば生きて来た時間の倍である。
その長さは想像もつかないものの10年経てばオズは18歳に、コリンナは15歳になる。
つまりは互いが大人になるまで競争しようと言われたコリンナはその響きにワクワクするものの、王城までやってくるのにかかった日数を思い返して、うーんと考え込んでしまった。
「10年も?!うーん……分かった!でもどうやって比べるの?それに、私のお家とーっても遠いの。川も森も沢山越えた向こう側なんだもの」
「そうだな……10年経ったら私がコリンナを王宮に呼べるようにするよ」
「お城に?すごい!!オズのお家はお城の近くなのね」
「ふっ……ああ、すぐ近くだ」
とってもと言いながらコリンナは両手を大きく広げて、どれほど遠いのか懸命に説明した。
そんな姿をオズはニコニコと微笑みながら眺め、王宮に呼んでくれるのだと言う。
楽しげに笑うオズの家は、きっとお城に近いのだろう。
「うちはすーっごく田舎なの!でも山も森も草原も綺麗だし、良い所よ?」
「そうか。ウルフィアズ領……私も一度行ってみたいな」
「遊びに来て!私がオズお兄ちゃんを案内するから。大好きな泉にも連れて行くわ!それに……」
あの綺麗な泉でオズの肌を洗えば、きっと綺麗に癒えるに違いない。
陽の光に輝くあのブルーグリーンの泉の畔で見るオズの瞳はきっと美しいだろうと、コリンナは頬を緩ませた。
森の中を一緒に駆けたらきっと楽しいだろうと思いながら見上げると、困ったように眉根を寄せているのに気付いて、続けようとしていた言葉が出せなくなってしまった。
「ありがとう。けれどすまないが、それは少し難しいかもしれない。私は色々難しい立場にあってね」
「そう、なんだ……じゃあお手紙書くわ!私、字は上手になったって褒められるのよ?」
毒を飲むような厳しい教育をされるオズは、遠出が出来ないのかもしれない。
コリンナの家だって、魔獣や隣国の襲撃の可能性があるので必ず誰かが領地に残って警戒をしているのだ。
子供であるコリンナにはまだ分からない事情があるのだろう。
がっかりしたものの、それならば最近母から字を褒められるようになったのだから、手紙を書こうと思いついた。
実に良い考えだと思えたが、何故かオズは悲しげに首を横に振った。
「コリンナからの手紙は欲しいが……いや、ダメだな。やはり10年経つまで……私のことは忘れていておくれ」
「忘れる?どうして?私まだ小さいけど、オズお兄ちゃんのこと忘れないよ?」
「いやダメだ。忘れなければならない。そうでないときっとコリンナが苦しい思いをすることになる。だから……忘れているんだ」
「どういうこと?ねぇ……オズ、お兄…ちゃん」
10年競争しようと言ったはずのオズが、自分のことを忘れろと言う。
コリンナには意味が全く分からなかった。
確かにまだ自分は小さいけれど、初めて来た王宮という非日常の中でこんな風に仲良くなった彼のことをすっかり忘れてしまうなんてことは、いくら幼いとはいえありえないだろう。
驚くコリンナの髪をそっと撫でたオズが、一瞬ぎゅっと目を伏せてコリンナの額にそっと唇を寄せた。
白くてまあるい額に一瞬だけ触れた温もりに、トクンと胸が熱くなると同時に、コリンナは急に睡魔に襲われて夢の世界へと誘われていく。
己の膝の上に上半身をトサリと倒した小さな少女の髪を、オズは宝物でもあるかのように少し震える指で優しく撫でた。
「コリンナ、必ず10年経ったら君をこの王宮に呼び寄せる。きっとその時になったら、君は今日のことを思い出すだろう」
「……おもい…だす…」
「そうだよ。だから今はおやすみ、コリンナ。私は今日、君から戦う力をもらった。だから、待っていて?」
「……」
「眠ったか。……まだまだ弱い私だが、必ず君を迎えられるだけの力をつけてみせよう。それに…どうやら君の一族がどれほど我が国に貢献してきているのか、全く理解していない者が多すぎるようだしな」
遠ざかる意識の中で、優しいオズの声が聞こえたような気がしたけれど、それが事実だったのか、それとも夢だったのか……オズとの思い出をすっかり忘れてしまったコリンナには分かるはずもなかった。
それからしばらくして、何故か目覚めたコリンナが座っていたのは父を待っていたはずのベンチではなく見覚えのない部屋のソファで、目の前のテーブルには美味しそうなお菓子と良い香りのお茶が置かれていた。
いつの間にベンチからこの部屋に移動したのだろうかと不思議に思ったコリンナだったけれど、目の前の美味しそうなお菓子の誘惑に勝てず、些細な疑問はすっかり頭の片隅に追いやられてしまったのだった。
コリンナが王太子との出会いを思い出せない理由にようやく少し触れられました。
まさかのオズ本人のせいでした。
しっかりものの幼児ですね。
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