(2)ウルフィアズ男爵家
ヒロイン登場回、というよりヒロイン一家紹介回です。
ここまでがプロローグみたいなものなので、2話一気読みがおすすめです。
その日ウルフィアズ男爵家は、朝から屋敷中が上を下への大騒ぎだった。
騒ぎの始まりは朝一番に王都から届けられた一通の手紙で、その封筒には見間違いようのない王家の封緘印が押されていた。
社交シーズンの夜会の案内でもないにも関わらず、王家からこのような手紙を頂くなど当主でさえ初めてのことで大層驚きもしたが、何より一家を驚かせたのはその中身であった。
『貴家の長女コリンナを王太子オスヴァルトの婚約者として迎えたい』
要約すればそういった趣旨の手紙は、国中の令嬢が憧れるであろうものであった。
現在の王太子殿下は勤勉で優秀な生真面目さと、王族特有の輝くハニーブロンドにブルーグリーンの瞳の美貌の王子として有名だ。
幼い頃こそ身体が弱く、1歳下の弟君が王太子になるのではないかという噂も囁かれたというが、弟殿下とも大変仲が良いと評判で、若者らしいしっかりとした体躯で剣術でも才を見せるオスヴァルトが王太子であることに、今や不安を抱くものなどいないだろう。
だからこそ、一家は困惑しきりだった。
「お父様、これは……何かの間違い、でしょうか?」
「うむ……宛名は間違いないようだが、一体どのような意図があるのかは分からんな」
眉間の皺を深くして考え込む父ラオウルは、四十路半ばとなる今でも、若い頃と変わらぬ引き締まった筋肉と、艶やかな鉄紺の髪を持つ精悍な男である。
その一人娘のコリンナは今年デビュタントを迎えた15歳であるため、貴族令嬢として一般的にいえば婚約の申し込みがあってもおかしくない年齢だといえた。
王太子殿下はコリンナより3歳年上の兄ウォルフラムと同じ18歳だったはずなので、年齢的なバランスは悪くないだろうが…。
しかし幼い時分にたった一度だけ両親と共に王城へ行ったことはあったものの、先日開かれたデビュタントの夜会にすら、この家の持つある事情で参加しなかったコリンナは、当然のことながら王太子殿下にお会いしたことはないはずだ。
会ったこともないのだから見初められたという訳でもないだろうが、かといって政略結婚という可能性はますます考えられないとハッキリ言えた。
「コリンナ、お前何も心当たりはないんだよな!?まさかとは思うが、王領まで入り込んで猟をしたりしてないか?!」
「ちょっと…お父様はともかく、兄様は失礼ですわ!子供じゃあるまいしそんな初歩的な失敗する筈ないでしょう!」
「ねえさん、おうじさまのおしろにいくの?!いじめられたりしない?」
「いやいや、まだ結婚じゃなくて婚約……って、ありえないから心配しなくていいのよ、ウルリック」
父によく似た兄ヴォルフラムは焦ったように失礼な発言をしてくるが、それを実際やらかしたのは10歳の頃の兄本人であったはずだ。
基本的にはしっかりしている癖に意外とそそっかしい兄と一緒にしないで欲しいと、コリンナはジロリと睨む。
ウォルフラムも本気で疑っていたわけではなかったようで、両手を軽く挙げて降参の意を示した。
こんな兄だが、勉学においても領地経営においても次期男爵として十分に優秀な男であり、何より武勇もウルフィアズ家の名に恥じない実力を有しているのだから、地元の娘たちには非常にモテる。
コリンナとしては彼を見て頬を染める娘たちに、中身は悪戯坊主のままであるとバラしてやりたいとつい思ってしまったりもする。
焦った様子で私のスカートをギュッと握り締めて半泣き顔になったのは、今年5歳になったばかりの弟、ウルリックで、身体能力は既にかなり高いものの、まだまだ甘えたい年頃の姉さんっ子だ。
「まぁまぁ、皆少し落ち着きましょう?とりあえず朝食でも…」
「朝食はさっき食べましたよ。お母様こそ落ち着いてください」
「あらまあ、そうだったわね」
落ち着いて、と相変わらずポワポワした隣国の魔術師一家出身の母に言ったものの、自分宛の婚約打診にも関わらず心から不思議そうに首を傾げるのはコリンナも同様だった。
とにかく、時折王領での魔獣や賊の討伐に絡んで国王陛下に呼び出されているらしい父以外は、王家の方とお会いしたことがないのはコリンナに限らず母や兄も同様であったから、何故コリンナを王太子殿下の婚約者にしようなどという話が出てきたのか、家族全員全く想像もつかなかった。
しかも、顔合わせの為に登城して欲しいと指定された日付は2週間後。
お受けするにもお断りするにも、何らかの裏事情を聞くにも、とにかく1度はお会いする必要がある。
まあ、王家からの打診を断れるのかどうかは置いておいての話だが。
「ああっ!!そうですわ!どちらにしてもまずはお金をなんとか掻き集めましょう!」
面識はないと思いつつも、どこかで何かしらの接点があっただろうかとコリンナが悩んでいると、不意に母が焦ったような声をあげた。
母よ、何故最初に思い出したのが朝食だったのか……と、コリンナは美人な割に少々残念な母に内心ツッコミを入れたが、その声に弾かれたように顔をあげた父も兄も、金色の目を大袈裟に思えるほどにカッと見開く。
幼いウルリックまで父と兄につられてしまったのか、何故か同じように目を見開いて魔力を上げてしまっている。
おそらくは大事な事を見落としていたショックの表情なのだろうが、なんとなく彼らが魔獣と対峙しているときの表情に似てるなぁなどと、当事者のはずのコリンナはついつい傍観者な気分で少しばかり可笑しくなってしまった。
どうやらこの縁談話には、現実味を感じていないコリンナ本人より、家族の方が余程焦っているようだった。
「確かに!母上その通りです!父上、先月頂いたバイラー侯爵家からの討伐謝礼金はまだあるのでは?」
「う…スマン、先週例の橋を架け替える指示を出した時に村の者達に前払いしてしまったのだ」
「あー…うん、ですよね。まぁそんな気はしてました」
兄の問いかけに、大きな体を小さくしてションボリと肩も眉尻も落とす父。
ウルフィアズ家の気質というか家風というか、兎に角非常時の為の備蓄を除いて、この家の者たちは自分たちの手元に富を残そうとはしない。
いつでもよく言えば領民優先、悪く言えば全く貴族らしくない家だ。
嫡男である兄ヴォルフラムも、父の返答は予想済だったようだ。
「それは仕方ないわよ。でもラオウル、借り入れせずになんとかできそう?」
「ああ、何か売れる物はぐらいあるんじゃないかな…確か隣の伯爵領で魔獣討伐した時に頂いた壺と絵画がまだ残っていたような気がするが」
「ダメですよ父上。絵画の方はありますが、壺は東の村に感冒が流行った時に治癒師にお礼の一部で渡したではないですか」
「そうだった!うーむ…」
そもそもお金がいる時に、何か売る物は、と考えてしまう時点で正直色々問題があるのだが、そのあたりは一向に気にした様子もない。
父もこれで母もああだから、せめて兄に嫁いでくれる奇特な女性には『貯蓄』という言葉を兄の脳味噌に叩き込んでもらいたい。
まあ、それもこれも我が領の収入があがれば良い話なのだけれど。
「ラオウル、私のイヤリングのルビーを売りましょう!代わりの石はそのうち貴方が山から魔石か水晶でも取ってきてくださったら良いですもの」
「母上、それなら私が今から取りに行きましょうか?」
「いえ、ヴォルは今すぐ早駆けで東の公爵領の商店でルビーと絵画を少しでも高く買い取りして貰って来てちょうだい!」
「ははうえ、おかねないの?おれのたからものもうれる?」
「まぁまぁ、ウルリック。貴方は心配しなくていいのよ?」
ちょっと待って。
そのイヤリングって、結婚するときに隣国のお祖父様たちがお母様に下さったものじゃなかった?!
ウルリックの宝物って、初めて自分で倒した魔熊の爪よね?
そんなものまで売らなきゃいけないぐらい我が家に貯蓄がないことにもビックリだし、王城へ行くのにそんなにお金が必要なことにもビックリなんですけど。
「え?!お父様お母様?ヴォル兄様?…お金がそんなにいるのですか?」
「おいおいおい、コリンナ。お前まさかそんな服で……王城に行く気か?」
「あ…やっぱり、ダメですか?」
「「「ダメに決まってる(でしょう)!」」」
普段から平民より少しマシ程度の格好しかしていないコリンナは、当然王城へ着ていけるような素敵なドレスなど1枚も持ってはいなかった。
このウルフィアズ男爵家の娘がこの国の貴族令息に嫁ぐことなど到底ありえないので、まさか必要があるなどと思えなかったのだ。
使う宛てもないドレスを買うぐらいなら、屋敷や領地の整備などに使った方がずっと良いと、コリンナ自身も一家のものも考えていたからだ。
兎にも角にも今日には王都へと出発して、なんとか王城での謁見に失礼がない程度のドレスを中古でも構わないから大至急入手して私が着られるようにしなければならない。
そんな訳で、家族や使用人総出で『売れる物探し』をした為に、屋敷中がてんやわんやの騒ぎになっているのだ。
そう、王都まで一週間かかる片田舎がここウルフィアズ男爵領なのだ。
王都から遥か南の森の畔にある小さな領地の領主ウルフィアズ男爵家は、領民と共に果樹園や畑の世話をしたり、領主自ら狩りをしながら森の見回りをするような、家族経営的な典型的田舎貴族だ。
それだけなら、この王国内に数多くいる貧乏貴族家の1つだといえる。
ただ、この家が他家と明らかに異なる点が1つだけある。
それはこの一家がこの国の貴族で唯一、『獣人の血を濃く受け継いでいる貴族』という点だ。
平民には今ではそう珍しくもない獣人だが、150年程前に隣の大陸にある獣人国家ケーニヒベスティから王国へ交易を求める使節団が訪問してくるまで、この大陸には獣人が住んでいなかった。
その為、当然のことながら王国の貴族は人族ばかりであった。
そんな中、このウルフィアズ男爵家が最初に叙爵されるに至った切欠は、先々代の国王陛下が外交で隣国へ赴いた際、山中で大型魔獣に襲われた所を当時冒険者であった初代ウルフィアズ男爵アードルフが、たまたま通りがかりに一行を救った恩賞だった。
アードルフは銀黒色の髪と黄金色の瞳を持った細身の偉丈夫であり、三角に尖った銀色の耳とフサフサと揺れる大きな尻尾を持っていた。
人族の血も多く入っているものの、元々先祖は狼獣人なのだという。
ちなみに獣人や半獣人でも、コリンナ程の歳になれば魔力操作することで耳や尻尾を隠すこともできるようにはなるものの、冒険者や騎士をしている獣人達は、むしろそれらを見せることで自分の力をアピールすることの方が多い為、ウルフィアズ一家も普段は耳や尻尾を隠すことなく生活している。
彼らに獣人の血が入っていることは、この国の貴族ならば知らぬものはいないし、下手に隠す方が後で問題になることもあったという事情もある。
ともあれ、当時の国王一行は彼の異様に驚きながらも彼への恩を忘れることはなかったのだ。
その時賜ったのは一代限りの騎士爵位で、騎士爵という名誉ある肩書きと報奨金が与えられたに過ぎず、身分としては平民と変わらなかった。
しかし、その数年後に他国と紛争が起きた際に叙爵された恩義に報いようと奮起したアードルフは、一族を率いて大軍を退ける目覚ましい働きをしたことで、男爵位と現在の領地を与えられたのだった。
異例の出世劇と異様の出自に眉をひそめる者も当然少なくはないが、与えられた領地が時折魔物も出る森にほど近いこと、ほとんど王都で社交をすることもなく控えめなこと、近隣の領地からの魔獣討伐依頼にも素早く対応する為領民たちの人気も高く、更には彼らの領地で育てられた隣大陸の果物が昨今貴族達の間で大変人気を博していたこともあり、貴族たちからも進んで関わろうとはしないが爪弾きにされることもないというのが、ウルフィアズ男爵家の現状であった。
だからこそ、今回の婚約話に一家は大層驚いたし、当主のラオウルなどは、何かしら内密の任務があって婚約話を隠れ蓑に呼び出されたのではないかと勘ぐる始末だった。
シリーズをずっと書いて来て、やっとこの世界に獣人いるけどあまり出てこない理由っぽいことも書けたなぁと安堵しています。
前作視点で見れば、ウルリックの姉×アルノーの従弟というカップルです。
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