聖書:狭い世界で暮らしていた男バゼルの話
人生には2度のチャンスがある。
壱は生まれ出て母親に縋る産声。
弐は七五三である。バゼルは産まれた時に
父親への偏見があった。父親は子が出来た事を
心の底から喜んだのだが、バゼルには
容姿端麗な父親が認められなかった。
はっきり言えば、己の容姿を気にする父親など
要らなかったのである。その念波は、
父親に伝わり、やがて父親はその子に飽き、
別の子を欲しがるようになるのであった。
次に産まれた子は、目が見えない為、父親と
母親の容姿など気にしなかった。母親は歌が
上手く、次に産まれた子(名をラナタ)は耳が良く
何に於いても裕福であった。
バゼルの思いがわかる子など居ろうか。
だが父親はバゼルに対して、同情の気を持つのである。父親「バゼル、こっちへ来なさい。私の
話をしてあげよう。」バゼル「…。」父親「バゼル、
私は産まれてついぞ兄にも姉にも好かれた事は
なかった。この容姿を嫌う人は多い。昔は顔が良い
者は苦しかった。表で悪い事をする人がいても立場が有利だからね。何も出来なかったよ。」
バゼル「悪い事を看過してたの?」
父親「そうだ。心だけが傷ついて
堕落していったよ。バゼル、お前にはそんな息子に
なってほしくはない。だから聞いてくれ、父さんの思いはひとつだ。男として、ただ生き抜くだけで良い。」バゼル「…。」
「背中は父さんが守ってやる。後ろから肩を
握って、崩れないよう支えてやる。」
この日、バゼルは男としての己の自信を
確かに得たのである。12月25日の事であった。
時は、基督の日から4月10日、バゼルとラナタは
七五三ではないが二人は初衣装を着ていた。
ラナタは相変わらず目が悪いがラナタの側では
母ミルラが側に居た。バゼルは、神社で絵馬を
書いていた。裏には狐と狸と鼠が三括り勾玉に
乗っている絵が描かれている。喜鐘神社は
優しい雰囲気の漂う鐘づくり体験の出来る
神社である。四人は仲良く一枚の写真に
笑顔で写った。街の中を、
色んな鳥が舞う1日であった。(了)