賃金分は働け 2
長いテーブルの端と端に座る。
これだけ遠いと会話しにくくないのだろうか。
サラシナは椅子に座りながら無駄な心配をする。
長いテーブルの端には執事を筆頭にメイドをはじめ使用人が立ちならぶ。
これだけの人間に見られながらの食事って食べにくくないのかしら。
嫁いで2日で転倒、頭部負傷したサラシナはそれを理由に部屋で食事をしている。転倒前に公爵と食事を共にしていたかの記憶は定かではない。
無言の公爵とつつがなく食事は進む。お互い無言なので食事の配膳スピードはスムーズで、食後のお茶まではあっという間だった。
お茶で喉を潤してからサラシナは公爵を見る。
見目麗しく、帝国唯一の公爵であり地位も名誉もあるかもしれないが、公爵家当主としての「仕事をしない男」。
それがサラシナの公爵への印象だった。
「公爵様」
サラシナが声をかけると公爵が顔を上げる。
食事開始から、目が合ったのは初めてかもしれないとサラシナは微かに笑った。
「…夫人は私の事を名前で呼んでいた気がしたが」
「そうでしたか? 記憶が混濁しているためか、あまりよく覚えていなくて」
サラシナは首をかしげる。が、覚えていないものは覚えていない。
そもそも公爵の名前も覚えていない。
「確認したいことがございますの。いくつか質問しても宜しいでしょうか?」
にっこり微笑むサラシナに、わずかに公爵が目を見開いたような気がした。
が、それはどうでもいいこと。まずは確認。
頷いた公爵に予め用意していた質問をする。
「わたくしたちの結婚は政略結婚ですわよね」
「…そうだ」
政略結婚と分かっていて結婚しても、面と向かって政略結婚といわれると思っていなかったのか、公爵は僅かに眉をひそめた。
「公爵様もご存じのとおり、わたくし記憶が少し混濁しておりまして…
結婚時に定めた契約書を確認したいのです。結婚契約書を見せて頂いても宜しいでしょうか」
「かまわない。セバンスに言え」
執事の名前はセバンスと言うらしい。
「セバンスは公爵様の執事でしょうか? それともエバーグリーン公爵家の執事でしょうか?」
サラシナの質問に公爵の後ろに立っているセバンスの肩が揺れる。
「公爵家の執事だ」
「では、公爵夫人であるわたくしの執事でもあるという認識で宜しいでしょうか?」
にっこりと微笑んで、セバンスが確認できるように明瞭な発音を意識して質問した。
「それでいい」
サラシナはにっこりと微笑む。
「承知しました。では契約書は後程セバンスに用意して貰いますわ」
言質は取れた。
ならばもう用はないと席を立とうとしたサラシナに公爵が声をかける。
「夫人は私の事を公爵と呼ぶようになったのか」
そもそもお前の名前なぞ知らん。
嫁いで2日の妻が転倒して医者にかかったというのに一度も顔を見に来なかった。
それゆえにサラシナはメイドたちから「主人から蔑ろにされている名ばかりの夫人」として見下されている。
躾たメイのおかげで食事はとれていたが、今回公爵と食事の席を共にしたために、厨房からどれだけ手抜きをされた食事を出されていたのかもはっきりとした。
それなのに、名前を呼べ?
お前の「夫としての仕事」はなんだ。
サラシナはにっこりと微笑む。営業スマイルだ。
「嫁いで2日で負傷して公爵夫人としての務めが果たせずに申し訳ありませんでした。
今後は体調も良くなりましたし、公爵夫人としての業務を遂行してゆくつもりですわ。
わたくしたちの結婚は貴族としての仕事。お互いに勤めはきっちりと果たしましょう」
そもそもお前もわたくしの名前呼んでないし。
「センバンス、契約書をわたくしの部屋に持ってきてくれる?」
「…かしこまりました」
頭を下げたセバンスと何か物言いたそうにしている公爵を置いて部屋に戻る。
◇◇
「公爵様のお名前ってなんだったかしら」
椅子の背もたれに背を預け、足を組みながらセバンスから渡された書類を読む。
背もたれに背を預けるのも、足を組むのも、淑女としては失格だ。
しかし今は自室。
仕事は業務を円滑にするために、働きやすい恰好でするのが一番。
働きにくい環境では決算期の締めには挑めない。
その脇ではセバンスが良い香りをさせながら紅茶を淹れている。
昨夜、公爵との食事後に自室戻ったサラシナは背もたれを使わずに背を伸ばしてセバンスを待った。
「失礼致します」
入ってきたセバンスにサラシナはため息をこぼす。
「帝国唯一の公爵家の執事は質が良くないのね」
セバンスが顔を上げる。
「先ほどあなたの前で公爵様に確認したでしょう? あなたは公爵様の個人的な執事なのか、それとも公爵家の執事なのか、と。
あなたが仕えるのは公爵家。公爵様であり、公爵夫人であるわたくし」
「…存じております」
「随分と仕事が遅いのね。公爵家の執事ともなれば仕事ができる優秀な人材だと思っていたのに」
「…大変失礼致しました」
サラシナは渡された結婚契約書を流し読みする。
「あなたは公爵様に頼まれた仕事もこんなにのんびりと対応するの?」
サラシナは既に入浴を済ませていた。
「…いえ」
「帝国唯一の公爵家には帝国一優秀な使用人がいるものだと思うでしょう? 少なくともわたくしはそう思うわ。
あなたがわたくしの事が嫌いであったとしても、わたくしに仕えたくないとしても、公爵夫人に仕えるのがあなたの仕事。
それが嫌なら辞めなさい」
サラシナはセバンスを冷たく見据える。
「大変失礼致しました。今後は誠心誠意お仕え致します」
頭を下げるセバンスにサラシナは息を吐く。
「誠心誠意使えてくれたら嬉しいけれどね。わたくしたちにはまだ信頼関係がないわ。だからそこまでは求めない。
今あなたに求めることは侯爵家執事として、業務をお願いしたいだけ」
サラシナの言葉にセバンスが顔を上げる。
「では公爵家執事のセバンス。わたくしに嫌がらせをしているメイド、使用人。どんな類の嫌がらせを行っているかは把握している?」
サラシナが微笑んだ。
翌朝セバンスからはサラシナに嫌がらせをしていたメイド、使用人の氏名。どのような嫌がらせを行っていたのかが一覧となった書類が提出された。
セバンスが淹れた紅茶を飲みながら見ている書類はこれだ。
「ある程度は把握していたのね」
それは一晩でここまで纏めるとは。
「流石、公爵家の執事は優秀ね。お茶も美味しいわ」
「恐れ入ります。
公爵様のお名前はフィリップ。フィリップ・エバーグリーン公爵様でございます」
優秀な執事はサラシナの独り言にもきっちり回答をくれた。
が、サラシナに公爵個人への関心は得にはない。
「では、そろそろ行きますか」
セバンスが淹れた香りのよい紅茶を飲み干して、サラシナは立つ。
セバンスを伴にサラシナが来たのは騎士訓練場。
半裸の上半身からは湯気が出ている者、上着をきっちり着て脇で見ている者、まさに木刀で模擬試合をしている者がいるど真ん中にサラシナは歩を進める。
サラシナの存在に気がついたものから鍛錬をやめて不躾な視線を送ってくる。その視線を感じながら、この鍛錬場にまでサラシナが公爵に蔑ろにされている役立たずの公爵夫人であるという話が届いていることを知った。
まぁ、公爵夫人の仕事は旦那に愛でられる事だけじゃないけれどね。
「団長を」
サラシナはセバンスに騎士団長を呼ばせる。
「あんたがお飾り侯爵夫人か」
書類を持つサラシナの前に、上着を着崩した長身の男が立つ。
「…セバンス。これは?」
目の前の長身の男を無視してサラシナはセバンスへ尋ねる。
「当家騎士団長のジョバンヌ・レオマワールドでございます」
セバンスの回答を聞きながらサラシナは手にした書類を捲る。
「そう、これがうちの騎士団長ね。実力はどうなのかしら?
実家の家柄で役職を得ただけの無能なのか、実力はあったとしても日々の訓練を怠る怠け者なのか」
書類から顔を上げ、ジョバンヌの後ろに立つ集団の顔を見渡す。
「なんだとお前」
つかみかかろうとしたジョバンヌの腕を抑えた腕の主をサラシナは見上げる。
「奥様、騎士団は血の気が多いものが多いのです。どうかお言葉にはお気を付けください」
「セバンス、彼は?」
「副団長のエイダンでございます。平民のため、名はありません」
「当家は平民であっても騎士として採用されるのね?」
サラシナが確認するように騎士団を見渡すが、視線を逸らすもの、嘲るように顔を歪めるものが見える。
「…なるほど」
「おいっ」
完全に無視をされたジョバンヌがエイダンに腕を掴まれたまま、サラシナを恫喝する。
大きく息を吸う。
「あなたは本日この時をもって解雇します。
人事に行って今日までの給与の清算をして貰って。今日24時までにこの敷地内から出て行って」
ジョバンヌだけでなく、その場にいたものが目を見開く。
「…あんたにそんな権限はない」
「執事・セバンス。わたくしは誰?」
「サラシナ・エバーグリーン公爵夫人でございます」
「この騎士団はどのこ所属?」
「エバーグリーン公爵家でございます」
「旦那様はわたくしが公爵夫人としての権限を有するとお認めになっていた?」
「勿論でございます」
「そう。ならばエバーグリーン公爵夫人であるわたくしが、エバーグリーン公爵家の騎士団の人事権も有しているということであっているわね?」
「勿論でございます」
セバンスが腰を折ってサラシナに服する。サラシナはにっこりとほほ笑む。
「わかった? あなたは仕えるべきである公爵夫人のわたくしに手をあげようとした。
そんな無能は騎士はいりません。今すぐに消えなさい」
もう用はないとばかりにサラシナは呆然とするジョバンヌから視界から外す。
声を張り上げる。
「よく聞きなさい。エバーグリーン公爵家の騎士団をただいまをもちまして、団長を解任。副団長であるエイダンを仮の団長に任命します。
今後当騎士団は身分は一切考慮せず、実力主義とします。
近々実力戦を実施。そこでの実力と当家への忠誠や人望などを踏まえて、階級・給与体系を刷新します。
これに不平不満があるものは本日付けで辞めてよろしい。突然のこと。退職金は弾みましょう。
何か質問や疑問があるものは?」
突然のことに呆然とする騎士団員たち。
「…質問をしても?」
ジョバンヌの腕を話したエイダン。
「もちろんよ、エイダン」
「自分は平民で副団長でした。仮とは言え、自分が団長に…」
「そうよ。平民でありながら副団長まで上り詰めたのは実力があったからでしょう? そしてあなたは手を上げられそうになったわたくしを守った。
公爵家の騎士が公爵夫人を守らないければ誰が守るの?」
騎士たちがざわめきだす。
「わたくしは強い騎士が欲しいの。わたくしと公爵家、公爵領を守ってくれる騎士が欲しいの。それが騎士でしょう?
爵位があれば強くなるとでも? 貴族であれば公爵家を、わたくしを守ってくれるとでも?
そんなもの、何の役にも立たないでしょう」
サラシナは一刀両断。
「だから身分で決まっていた階級は刷新します。
悪いけれど、あなたを仮の団長にしたのは今後の実力戦でもっと強い人、公爵家に厚い忠誠を誓ってくれる人がいるかもしれないから。
でもあの時とっさに動いてわたくしを助けてくれたのはあなただけだったわ。とっさの時に行動ができる人をわたくしは信用しているの。
仮団長、引き受けてくれるかしら?」
「…勿論です。
実力戦で勝ち、忠誠心が認められれば自分が真の団長になることも?」
「勿論よ。
みんなも頑張ってね。今後は頑張り次第で上に行けるわ」
喜び勇ものと、戸惑い狼狽えるもの、様々な様を見せる騎士団員たちに、サラシナはにっこりとほほ笑む。