4話 死にたい獣?
「…は?貴方は、何を言っているのですか」
それを聞いた瞬間、私の中に激しい怒りが込み上げました。この愚か者は今、何と言いました?殺せ?
この森の中では恐らく強者であろう貴方が?
彼が強者だというその証拠に私達の周囲には生き物の気配がまったくありませんでした。
『オデ《ニクイ、クルシイイタイ》…ハ、モウ《コロスコロス》…ダ…モ、ゴロ《イタイニクイ》タ…ナイ《シネシネ》ネガ《ニンゲン》ゴロジ…デ』
必死に何かを押さえ込みながらも少しずつ言葉を発する彼はとても苦しそうです。
何とか聞き取れた言葉は…
もう、誰も殺したくないから自分を殺せ…でしょうか。
途中、途中で彼以外の怨嗟の籠った声も聞こえます。
二重人格…という訳ではなさそうです。
ただ…彼には“何か”が混じってしまっている。
ですが…それがなんです?
私は1つ溜息を吐きジロリとそれに視線をむけます。
「だから、何です?」
『エ…』
それは一瞬、キョトンとした顔をしましたが直ぐにグゥと唸り声を上げます。貴方、随分と人間のような反応をとりますね。
その間もブツブツと声が漏れていました。
それは人間を心底憎み殺したいという言葉とそれを必死に否定する言葉。
狂気の底で絶望し涙を流す彼に向かって私はあえて辛辣な言葉をかけます。
「殺したくないから自分を殺せ?何ですか?命を奪う事に嫌気がさしましたか。それとも恐くなりましたか?肉食獣のくせに?で?それに耐えられなくなった貴方は他人に自分の嫌なことを押し付けるわけですか。何と、まぁ傲慢で愚かな方でしょうか」
『ア…チガ《イタイクルシイ…コロスニンゲン…コロシテ》』
「違う?何が?違くないでしょう。…私には貴方が何者かは知りません。知りたいとも思いません。ですが…貴方よくそれで今まで生きてこれましたね」
『…《シネシネタスケテシネダレカシネ》』
「それでも貴方は獣ですか。肉食獣ですか。
獣は獣らしくその生き様を、生を全うするべきです」
『チガウ!オデ…《ニクイ》オデ、ハ…《コロセコロス》
彼はそれきり俯いたまま何も語ることはありませんでした。その間も彼はダラダラとヨダレを垂らし、息は荒く、頻りに地面に爪を立て唸り声をあげています。
意味の通らない言葉が延々と響きます。
彼の声と“何か”の声が混じり、もはやどちらの言葉がわからなくなり始めていました。
…生物が、特に肉食動物は他の命を刈り取り己の糧にするため、その空腹をその食慾を満たすため、何より己が生き抜くため強い牙と爪を持ち、その武器を振るうことは当たり前のことです。
それが目的ならば、ですが…
彼の瞳に移るその狂気は、その生物としての本質とは些か異なるものです。あれは…ただ人間を憎み、惨殺し、その快楽を楽しむものの目です。何がそこまで追い詰め苦しめたのか、私には分かりません。わかることといえば、あれは人間の冒した“罪”そのものなのでしょうね。
“それ”に取り憑かれた彼は自分の意思と関係なく殺したくもないのに沢山の人間の命を刈り取ってきたのでしょう。
しかし、それ完全に飲み込まれることなく抗い抵抗する意思を持っています。なんとも強靭な精神力の持ち主でしょうか。
少しの静寂の後、私は深く溜息を吐き出しました。
ビクッと肩を震わせ、恐る恐る顔を上げた彼はその体躯に似合わずまるで小さな迷子の子猫のようです。
…そういえば迷子は私でしたね。
《ニクイニンゲン》…』
「…そもそも、生き物なんてものは常に誰かの犠牲の上に成り立っているものです」
『《コロ、スコロ…ス》…?』
「生きる為に他者の命を奪う、それは自然の摂理です。
当然、狙われた方は抵抗するでしょう。死にたくないからです。ですがこの世に生を受けた物は皆そうやってずっと生きてきました。そうやって他者を生かし、他者に生かされてきました。
私も…そしてあなた方自身も」
『…ナニ、ヲ?《シ…》
「別に?事実を述べている迄です。…貴方が己の生を放棄することは貴方の勝手です、貴方の命です。何を思い、考え、感じ、その結論に至ったのか私は知りません。特にこれといって知りたいとも思いません。ですが、貴方はそうやって多くの他者の命に生かされてきたということを忘れてはいけません」
そう告げると、彼は瞠目し静かにその瞳を伏せました。
その間もその瞳の奥でゆらゆらと感情が揺れています。
“それ”の声も小さく…そして震えていました。
その姿は死を望む者には到底伺えず、本来はきっととても思慮深く賢い生き物のなのでしょう。“それ”も彼同様賢い様です。
…黙っていれば本当に綺麗で格好良いですねぇ。
場違いにもそんなことを思いました。
悲しみに暮れる彼らは美しく、そして憐れです。
「あと、単純に貴方の勝手な思いに他者を巻き込むなと言いたいです」
『…ダガ…オレ、ハ…モ《シ…ケ、テ》
そう言って、自分よりも何倍も小さな生き物に縋るように視線を向ける彼等はとっても…悲しい生き物でした。
己の中に宿る狂気を必死に抑えようとすればするほどそれは大きくなり制御は難しくなるのでしょう。それが己の意思ではなく他人に植え付けられ操られているものだとしたら尚更。
そして私が狂気と呼ぶ“それ”も、行き場のなくした思いを持て余し人間という生き物に向けることしか出来なくなっている。
しかし…本当、ムカつきますねぇ。
彼等をこんなにも苦しめる奴らに、そして、彼等自信にも。
昔の愚かな自分を見ているようで、私にとって辛いものでした。
…ですが、だからこそここで彼等を放っておく事は今の私には出来ませんでした。とっても、とーっても不本意ですが仕方が無いので私は手を貸してあげることにしました。
…かつて私が兄達にして貰ったように。
「貴方は、いえあなた方は何を望みますか?本当は、己の死では無いのでしょう?人間を憎み惨殺したいことでもないのでしょう?」
彼は咄嗟に顔を上げその暗く澱んだ瞳を私に向けました。
「何が、本当の望みですか?」
『《…ネガ…』》
彼等は静かに涙を零しました。
『《…タス、ケテ』》
私はその瞳をしっかりと見つめ、あの時の兄達の様に振る舞います。深く深呼吸をしてから私は大きく胸を張り、声を高らかに堂々とした振る舞いで、他を圧倒するように。
さぁ、言葉を紡ぎましょう。
「いいでしょう。それが本当の望み、願いですね?
…ですが、私はそれが例えどんな事情だろうと、それが己の意思でなかろうとも自らその命を捨てようとした愚か者がこの世で1番大嫌いです!反吐が出る!!…なので私と勝負をしましょう」
『《ハ…?』》
彼はポカン…とした顔をしました。これまた見た目に似合わず人間のような反応です。そのあまりのマヌケ面に少し笑ってしまいました。
私はバッ!と勢いよく両腕を広げ声をはりあげます。
…ちょっと大袈裟ですかね?まぁ、そこはスルーでお願いします。
「どこの世界も生き物がいる限り基本的には弱肉強食でできています。弱者は強者の言うことを聞くのが世の理!!
その理に従って私と貴方で命をかけた勝負をしましょう。
その勝負でもし、私が貴方に敗北したのなら私は貴方の願いを聞いてあげましょう。しかし、私が勝ったら…貴方には私の願いを叶えていただきます。…どうです?やります?」
『エッ…《タス、テ…クレ、ジャ…?』》
彼はそのまま視線をウロウロと困惑したように宙にさ迷わせます。目は口ほどに物を言うとは、正にこの事ですね。なんとわかりやすい…本当、良くも悪くも獣らしくない方ですねぇ。
「意味がわからない、という目ですね」
コクリと頷いた彼は私をじっと見つめると言葉をこぼしました。
『《ド、ユ…?』》
「言った通りです。誰しもがタダで己以外の者を助けてあげると思わないことですね。己の願いを叶えたいのなら己の力で勝ち取ってみてください。まぁ私に勝てるのなら、ですが」
私は意識して好戦的な笑みを浮かべ、その憐れな生き物を一瞥したのでした。