9話
「うふふー。 試し使ってみてくださいー」
クリスティーネに促された俺は、試しに悪役令嬢の手引書を読みたいと念じて見せる。
すると、ポンと音を立て何処からともなく1冊の薄い本が現れた。
表紙を見ると達筆な文字で「悪役令嬢の手引書」と書かれていた。
表紙を捲り1ページ目を確認するとそこには、
『悪役令嬢たるもの、第一に正ヒロインと王子様の間に結ばれたこんにゃくを破棄する事が定石である』
と書かれていた。
しかもご丁寧に、強調までされて、だ。
幾ら何でも、婚約破棄の間違いだと思うが、わざわざ強調していると考えたら大真面目に書いたと思える。
「うふふー。悪役令嬢の手引書は順次アップデートしていきますからー」
得意気な表情をしているクリスティーネだ。
しかし、その表情からは例の悪戯染みた空気を見せているが、しかしこんな便利な道具を貰った手前指摘するのはどこか忍びない気持ちになって来る。
まぁ、日本にある創作物の中では婚約破棄が正解だろうが、この世界での正解はこんにゃくを破棄する事なのだろう。
「分かりました。では早速正ヒロインと王子様の間に結ばれたこんにゃくを破棄してまいります」
俺はクリスティーネに対し、ニコっと笑顔を見せ彼の研究室を後にした。
「田中さんー。行ってらっしゃいませー」
クリスティーネは俺を見送り、俺が自分の部屋へ戻った事を確認すると、押し入れ下段に詰まれている同人誌を何冊か手に持ち押し入れの上段へ戻った。
クリスティーネが同人誌を読む前、こんにゃく破棄の件で腹を抱えながら爆笑していた事を俺が知る由は無かったのだが。
―モブ令嬢A邸―
正ヒロインと王子様に結ばれたこんにゃくを破棄する任務を開始した3日後の事だ。
今日はとあるモブ令嬢Aの館に正ヒロインであるステラ・キルミールを含めた貴族達が集まるパーティがある為、予め立てられていた予定通り家族に連れられ赴いたのである。
それ故に今回の作戦を実行するには絶好の機会であると判断した訳だ。
現在の時刻は丁度正午であり、雲が適度に散りばめられた青空から顔を出す太陽が少々やる気を出す時間で中々の暑さを俺に与えてくれる。
しかし、日本で言うところの春位の暑さでありその暑さは程々の心地良さを引き出してくれるのであった。
今回のパーティでは、屋外での立食形式でありこの青空はまさにパーティ日和と言えるだろう。
思わず、晴れ女ルチーナ・ファルタジナ様のお陰だと調子に乗りたくなってしまうが、そんな証拠も実績も何一つとして無い以上誰にも口に出す事は出来ないのである。
もっとも、念話が可能なクリスティーネには有効範囲次第では筒抜けなのかもしれないが。
パーティ会場の広さは大体100人位が楽には入れる位だが、立食タイプのパーティ会場であるならば、今回のターゲットであるステラ令嬢との接触を優しいと判断して差支え無いだろう。
さて、折角だからとパーティで出された料理を堪能し終わった俺は早速ターゲットと接触を試みる為周囲を見渡す。
すると、少々離れた所に悪役令嬢手引書に書かれていた正ヒロインの外見と一致する貴族令嬢を発見した。
その外見とは、ブラウンカラーのなめらかなミドルヘアーで水色のカチューシャを身に付けた何とも清楚な雰囲気をまとう美少女である。
14歳と、現在の俺と同じ年でありながらも彼女の発育は妙に宜しい。
……くそう、正ヒロインとは言え胸の大きさで圧倒的に負けるのは何か悔しいッ。
少しずつ女性の気持ちが分かった様な気にさせられる俺は、ゆっくりとステラ嬢へと近付く。
「おーほっほ、ご機嫌麗しゅうステラ嬢様。素敵なお愛想をお振り巻きになられお疲れになりません事?」
ステラ嬢に対し、まずは猫の皮を被っていると嫌味を込めた先制攻撃を仕掛ける。
「ルチーナ様、ご機嫌麗しゅう御座います。わたくしは全く疲れるとは思いません。お気遣い有難う御座います」
俺の先制攻撃に対し、天使の様な笑顔を浮かべ丁重なお辞儀で返すステラ嬢だ。
どうやら折角仕掛けた嫌味が効いていない様だ。
それどころか、完璧な対応をされた挙句に天使の様な笑顔を見せられた訳だ。
ちーーーーーくしょーーーーめちゃくそ可愛いじゃねーーーかこのやろーーーーしかもきょぬーの素質を持っているとか日本に居たなら俺の嫁になりやがれーーーーー!!!!!
ステラ嬢と言う天使と出会ってしまった俺は、転生の際女の身体になった事、転生時男の身体になる選択肢もあったハズだがなぜ確認しなかった、と激しく後悔してしまう。
こうなったら、百合展開だって! と良からぬ思考が脳を駆け巡った所でフルブレーキ、今の俺は悪役令嬢であり、ステラ嬢のこんにゃくを破棄してやる任務の真っ最中であると自分に強く言い聞かせ自我を保つ。
気合と根性で精神を持ち直した俺はステラ嬢に向けビシッと指差し口を開く。
「つまらない御託は宜しくてよ? 単刀直入に言うわ、貴女のこんにゃくを私に寄こしなさいっ!」
ハァッ、ハァッ! どうだ! ステラ・キルミール! 悪役令嬢ルチーナ・ファルタジナが見せる渾身の一撃はッ!
俺が放つ渾身の一撃を受けたステラ嬢。あまりの驚きに、目を丸くしたぞ。
よしっ、効果は抜群の様だ!
周囲の貴族達が俺を奇異的に見ているのだが、勿論俺は気付いていない。
その様な状況であるが、ステラ嬢は柔らかな笑みを浮かべると、
「こんにゃく、でございますか? 異国の地の食物であり、無味な食べ物で故にわたくしは好みでありませんが、ルチーナ様が所望されるのでありましたらご用意いたします、しばしお待ちください」
俺に対し一礼するとステラは従者の元へ向かったみたいだ。
よしっ、第一段階は成功だ。
正直、どうなるかってヒヤヒヤしていた。
しかしっ! これでステラ嬢からこんにゃくを奪えるぞ!
ふふん、悪役令嬢のこの俺様がちょっと強く言うだけでこのザマだぜっ! 己の甘さを後悔するが良い!
ここで周囲の(痛い)視線に気付いた俺は、
皆の衆よ! 正義の悪役令嬢ルチーナ様が悪の正ヒロインステラ嬢への裁きをとくと見るのだ!
と、心の中で得意気になる。
恐らく今の俺はドヤ顔をしている気がする。
非常にめでたい頭のまま1時間程経過した所で、ステラ嬢が俺の所へ戻って来た。
手には、こんにゃくとフォークが乗せられた皿を持っており、大きさは店で良く見かけるモノと同じ位で、食べ易い様にと1切れずつ丁寧に切られている。
この辺りの気遣いは、さすが令嬢と言った所だ。
だがしかし、完璧な令嬢である貴様の野望もここで潰えるのだ!
何せ今からこの俺様が、貴様の大事にしているこんにゃくを破棄してやるのだからなっ!
「お待たせしましたルチーナ様」
ステラが、にこやかな笑顔を見せ、こんにゃくが乗った皿を俺に対して丁重に差し出す。
「おーほっほっほっほ、まんまと私のワナに掛かりましたわね、ステラ嬢! これで貴女のこんにゃくを破棄させて貰いますわ!」
俺はステラ嬢が差し出した皿を丁重に受け取り、フォークを使い1切れずつ丁寧に切られたこんにゃくを1切れずつ口に運ぶ。
高笑いと共に受け取りながらも、フォークを使い一切れずつ丁寧に。
幾ら悪役とは言え、令嬢である故に最低限のマナーは守らねばならぬ故一切れずつ丁寧に食す。