008_神降ろし
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ラックとゴルドが旅立った半月後。
ロムニス子爵は帝都に赴き、息子のドライゼン男爵家相続を申請した。
申請理由はラックが心神喪失状態で政務を遂行できないため、隠居して家督を譲ることにしたというものだ。
この申請は翌日には受理されて、ロムニス子爵の息子によるドライゼン男爵の継承が決定した。
ここまで早く相続が決まった背景には、ロムニス子爵の息子がラックに近い血筋だからだ。
貴族は血統を重んじる生き物であり、それは帝国でも重んじられている。
ロムニス子爵の息子のドライゼン男爵継承が認められた二日後、ロムニス子爵は息子のドライゼン男爵を連れて、国の重職にある人物の屋敷巡りをしていた。
貴族というのは横の繋がりも大事だが、権力者たちに顔と名前を憶えてもらわなければならない。
「―――そのようなわけで、ドライゼン男爵家を継承することになりました。閣下におかれましては、どうかドライゼン男爵をお引き立ていただければ、これ幸いにございます」
ロムニス子爵とドライゼン男爵はこの後しばらく帝都で活動することになる。
こういった地味な挨拶回りを行い、ドライゼン男爵領の復興のために国の予算を引き出すという思いがある。
ラックにはないコネクションを持っているロムニス子爵だからこそできることだ。
周囲の貴族もこうやって挨拶をしにくるロムニス子爵とドライゼン男爵に土産を持たせなければいけないという思いになる。
別に挨拶を受けたから便宜を図るのではなく、頼られたから便宜を図るのだ。そして、ドライゼン男爵領の復興に絡んで何かしらの美味しい汁を吸おうというのだ。
ロムニス子爵が帝都で活動して数日、そろそろ領地に帰ろうかという頃。
帝城の大広間に主だった貴族たちが集められることになった。
まだ帰っていなかったロムニス子爵とドライゼン男爵も帝城の大広間の末席に顔を並べることになった。
今回、どのような理由で貴族たちが集められたのかは、ロムニス子爵の耳には入っていない。
ロムニス子爵だけではなく、ほとんどの貴族の耳に入っていない。
こんなことは滅多にないことである。
大広間の上座には三段高い場所がある。
その三段高い場所には皇帝がその玉体を預ける玉座があるのだが、今回は玉座の横にも豪華な椅子が置かれている。
つまり、皇帝の他にもう一人、要人がその椅子に座るのだが、皇帝と椅子を並べることが許されている人物は限られている。
このバーンガイル帝国で皇帝と椅子を並べることが許されているのは、サダラム教の教皇しかいない。
その帝城の主たる皇帝が入場すると、貴族たちは跪いて皇帝を迎えた。
皇帝は働き盛りの四十代で、明るい茶色の髪の毛の上には宝石が散りばめられた宝冠が存在感を主張している。
今回はその皇帝の後から、貴族たちの予想通りの人物も入ってきた。
「皆の者、面を上げよ」
玉座に座った皇帝が貴族たちに声をかける。
威厳のある声に、ロムニス子爵やその息子のドライゼン男爵は身が引き締まる思いだ。
「此度、皆を集めたは、余の儀にあらず」
皇帝は横に座る白い髭を生やした教皇を見た。
教皇は威厳があるように見えず、教皇が纏うマントがなければ好々爺といった感じである。
「教皇猊下より重要な発表がある。皆の者、心して聞くように」
この場にいる数百という貴族たちが承諾の声をあげる。
その貴族たちの最前列には、勇者ベルナルド、聖騎士アナスターシャ、賢者ローザ、そして聖女カトリナの姿がある。
貴族よりも一歩分前に出た四人は、ひと際目立った存在である。
存在感が上位貴族以上の四人も、今回はどういった要件で呼ばれたのか理由を聞いていない。
しかし、聖女の祖父である教皇が現れた以上、サダラム教に関係することだと考えているのは、四人だけではなく貴族たちもである。
教皇は立ち上がって、懐から巻物を取り出して広げた。
「昨日、神降ろしがあった」
教皇は皇帝に一礼してから、発言した神降ろしという言葉は、サダラム教だけではなく皇帝にとっても重要なものである。
神降ろしというのは、天職である。
この神降ろしという天職をもった人物は、一生に一度だけ神の声を聞くことができるのである。
神降ろしは神事であるため、神降ろしの天職を持っている人物はサダラム教において手厚く保護されている。
「神降ろしのお言葉である!」
貴族たちはその言葉に、跪いて頭を下げた。
神降ろしの言葉は、それすなわち神の言葉なのだ。
それは勇者であっても貴族同様に跪き、皇帝でさえ玉座に座ったままだが宝冠の載っていいる頭を軽く下げた。
「魔王が復活した」
その言葉を聞いた貴族たちが騒然となったのは、言うまでもない。
だが、勇者はやっと魔王と戦えると頭を下げながらいやらしく口角を上げる。
「静まれ! 神降ろしを拝聴している最中であるぞ!」
皇帝が貴族たちを強い語気で諫めると、大広間は静けさを取り戻した。
教皇は皇帝にわずかに頭を下げてから、再び巻物を読み出す。
「今回の魔王はとても強く、勇者、聖騎士、賢者、聖女だけでは勝てないであろう」
大広間に物音がまったくしなくなった。貴族たちにとってそれほどにショッキングな発言なのだ。
この神降ろしの言う通りであったら、勇者がいても魔王軍の侵攻を防げないということである。絶句するのが当然であろう。
だが、その中にあって一人だけ立ち上がった人物がいた。
それは当代の勇者であるベルナルド・ファイナスである。
「教皇猊下に申しあげる!」
自分が役立たずと言われているようで、我慢できなかったのだ。
「ベルナルド・ファイナス、控えぬか! 神降ろしのお言葉を拝聴している最中であるぞ!」
皇帝が勇者ベルナルドを止めたが、教皇は柔和な表情で勇者ベルナルドを見つめるだけである。
これは勇者ベルナルドをバカにしているわけでも見下しているわけでもない。
神降ろしを伝えている最中に、神降ろし以外の言葉を発言してはならないからだ。神降ろしというのは、それほどに厳格な決めごとがあるのだ。
「くっ……。ご無礼いたしました」
勇者ベルナルドもファイナス侯爵家の長男として生まれた以上、神降ろしの重要性と決めごとについて知っている。
勇者ベルナルドは歯噛みし、再び跪いた。
「教皇猊下、申しわけござらん。神降ろしをお続けくだされ」
皇帝に促されて教皇は頷き、巻物に目を向ける。
「史上最悪、最凶の魔王を倒すため、勇者たちを支援する天職を持った者がいる。その人物の支援をうければ勇者たちは魔王を倒すことができるであろう」
勇者たちでも勝てないと聞いた時には絶望という言葉が頭の中に浮かんだ貴族たちから、ホッとするような声が漏れた。
皇帝が咳ばらいをして、貴族たちに静かにしろと促す。
「勇者を支援する人物が持つ天職はガチャマン。その人物の力があれば、勇者たちは強くなれる。ガチャマンの天職を持つ人物を探し出すのだ」
教皇が皇帝に頭を下げて、神降ろしの内容が以上だと知らせ席に座る。
ガチャマンという天職を初めて聞く貴族は多い。
だが、この大広間の中に、そのガチャマンの天職を持った人物を知っている者は確実にいた。
ラックを従僕にしていたアナスターシャも、ラックの天職がガチャマンであると知る一人である。
そして勇者ベルナルド、賢者ローザ、聖女カトリナもラックの天職のことを知っている。
さらに言うと、ラックと血縁関係にあるロムニス子爵や、その息子のドライゼン男爵もラックの天職について知っている。
他の貴族たちはラックが役立たずなのは知っていたが、聖騎士の犬と蔑むだけでその天職のことを知る者は少ない。
「皆に問う。勇者たちを支援するガチャマンなる天職を持った者を知らぬか? 何としてもその者を見つけ出して勇者たちの支援をしてもらわねばならぬ」
俯いているアナスターシャの顔に脂汗が滲む。勇者の顔が歪む。
ここで手を上げた人物が、貴族たちの最前列にいた。
「おお、聖女殿。ガチャマンなる天職を持った者を知っておるのか?」
聖女カトリナが立ち上がった。
「はい、陛下。ガチャマンなる天職の持ち主は、ラック・ドライゼン殿にございます」
ドライゼンと言えば、最近モンスターの大侵攻のあった土地ではないかと皇帝は一瞬頭によぎった。
「そのラック・ドライセンなる者は、今、どこにいるのでだ?」
「ドライゼン男爵領にいるはずです。陛下」
「やはりドライゼン男爵領と関係のある者だったか……。だが、ドライゼン男爵はモンスターの大侵攻において、死亡したと聞いたが……?」
「大侵攻時、ラック・ドライゼン殿は帝都におりましたのでご無事にございます。ただ、お父上のドライゼン男爵がお亡くなりになったため、ドライゼン男爵家を継いで領地に入られたよし」
「そうか、ならばすぐにそのラック・ドライゼン男爵に使者を出すとしよう!」
ここで焦ったのが、ロムニス子爵だ。
話の主役であるラックから、ドライゼン男爵を息子が継承しているのだから、ここで何も言わなければ後からどのような咎めを受けるか分からない。
「お、恐れながら!」
ロムニス子爵はほぼ最後尾に近い場所で手を上げた。
「何か!?」
皇帝だけでなく、この場にいた貴族たちの視線がロムニス子爵に集まる。
「臣、ジョナサン・ロムニス子爵が皇帝陛下に上申申しあげます」
「申せ」
「ラック・ドライゼンは某のいとこちがいになる者にございます」
「おお、そうか! その方、直ちにラック・ドライゼンを帝都に招聘するのだ」
「残念ながらラック・ドライゼンは、現在、この国にはおりません」
「なんだと!?」
皇帝が思わず声を荒げたことに、ロムニス子爵が怯む。
「どういうことか? なぜ、ドライゼン男爵が我が国におらぬのだ?」
声を荒げたのを心の中で反省しても臣下に謝罪することはない。
「は、ラック殿は家を継いだのですが、家族をことごとく亡くした喪失感からとても領地経営ができる状態ではございませんでした。そのため、血縁である我が子に男爵家を譲って療養することにしたのでございます」
「子爵の話は分かった。だが、療養するのになぜ他国へいくのであるか?」
「それは……」
ロムニス子爵が言いよどんだことに、皇帝は何かを感じた。
「神降ろしのことはこれまでである。子爵はこの後すぐに余の執務室へ。聖女殿も。以上である!」
皇帝が教皇を促して、大広間を後にした。
そこでロムニス子爵に近衛騎士が寄っていき、皇帝の執務室へ案内をした。
勇者ベルナルドと聖騎士アナスターシャは、皇帝の執務室に向かうロムニス子爵に厳しい視線を向けているが、ロムニス子爵はあえて二人を見ないようにした。
皇帝の執務室へ入ったロムニス子爵と聖女は、すでにソファーに座っている皇帝と教皇に臣下の礼をとる。
「二人とも、そこに座るがよい」
聖女は躊躇わずソファーに座ったが、さすがにロムニス子爵は躊躇した。
「構わぬ、座れ」
「は、はい……」
ロムニス子爵がソファーに座ると、紅茶が四人の前に置かれる。
「飲むがいい」
教皇と聖女は皇帝と話をするのに慣れているだろうが、地方の子爵家の当主であるロムニス子爵にとっては初めてのことで、ティーカップを持つ手が震える。
多分、美味しい紅茶なのだが、ロムニス子爵は味わう余裕などなく、まったく味が分からない。
「して、ラック・ドライゼンについて聞こうか」
「は、はい!」
ロムニス子爵はラックがアナスターシャの従僕だったこと、そしてアナスターシャに酷い扱いを受けていたこと、さらに男爵家を継ぐためアナスターシャの従僕を辞めることになった時に死ぬほどの折檻を受けたことを皇帝に話してきかせ、聖女もロムニス子爵の話を肯定した。
「なんと、聖騎士ともあろう者が……」
教皇は聖女から時々ラックのことを聞いていたため驚きはしなかったが、皇帝は心の底から怒りが湧き上がってくるのを感じた。
「ロムニス子爵に問う。ドライゼン男爵領の復興について国から支援はなかったのだな」
「はい。ラック殿は無一文の状態で領地に入りました。某の息子がドライゼン男爵を継承しました時も知り合いの方々に復興予算をとお願いして回った次第にて」
ドライゼン男爵領の復興のために予算が組まれ、その予算を承認した記憶が皇帝にはあった。
つまり、ドライゼン男爵領の復興予算がどこかに消えてしまったことになる。
これは由々しきことであり、皇帝はアナスターシャのことを含め、頭が痛くなってきた。
「ラック・ドライゼンの行き先は分からぬのか?」
「ラック殿は二度と帝国には帰ってこないと言い残し……。申しわけございません……」
ロムニス子爵たちと面談した後、皇帝はラックについて調査と探索する直轄部署を緊急に立ち上げた。
そして予算のことも調査の対象になったのである。
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