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026_ベルナルド・ファイナス

 


 夜、宿の窓から赤く怪しく輝く月を眺める。


「綺麗な月だ……。土地が変われば月も変わるんだな……」


 帝都で見ていた月はもっと黄みがかっていたし、大きさも小さかった。

 帝都から遠く離れたこのバーニングガーデンでは、月がとても大きく見える。


「僕はこっちの月のほうが、自分を主張している感じで好きだ」


 あれほど嫌いだった天職のガチャマンやスキルのガチャが、今は頼もしく感じる。

 変われば変わるものだと、なぜか苦笑いが出る。


「だけど、今の僕はスキルも使えるようになったし、もっと強くなれる……」


 ここでふと思う。強くなったら偉いのかと。


「僕はなんで強くなろうとしたのか……? そうか、強くなることで誰かに引け目を感じず生きられると思っていたんだ」


 それは間違いではないかもしれないが、強くなった今なら分かる。

 強さだけがすべてじゃないと。


 あの勇者を見れば分かるじゃないか。

 強くても中身がない空っぽだったら、生きている意味はないのではないか。


「神降ろし……か」


 冒険者ギルドの支部長であるダジムは、ラックに帝都へ向かってほしいと頼んできた。

 帝都どころか帝国にさえ戻る気はなかったが、自分に関する神の言葉とはなんだろうか?


「ラック様、迷われているのですか?」

「帝国に帰ることはないよ。でも、神降ろしは国や教団の思惑とは切り離して考えなければいけない気がするんだ」

「神降ろしは特別なことですから、それについては理解をしなければいけないということですか」


 月を見上げて、どうするか考える。


 ラックが月を見上げている頃から時は遡って十日ほど前。

 バーンガイル帝国の帝城では、皇帝が勇者ベルナルド・ファイナスの捕縛命令を出した。

 その命令書には皇帝の他に教皇の署名もあり、帝国とサダラム教が勇者を見限ったことを表していた。


 今回、この捕縛命令を発令するにあたり、皇帝はベルナルド・ファイナスの素行やドライゼン男爵領で起こった大侵攻のことを調べ上げていた。

 そして、ベルナルド・ファイナスが有罪だと確信を持って命令を出したのである。


 ファイナス侯爵屋敷に近衛騎士が踏み込んだ時、ベルナルド・ファイナスは婚約者である聖騎士アナスターシャ・モーリスとお茶会の最中であった。


「ベルナルド・ファイナス殿。貴殿に捕縛命令が出ています。大人しくご同道願います」


 その口上を聞いたベルナルド・ファイナスは、激高して剣を抜こうとした。


「僕が何をしたと言うのか!?」

「ドライゼン領で発生したモンスターの大侵攻と言えば分かりますでしょうか?」


 近衛騎士のバカにしたような口調が気に障ったベルナルド・ファイナスは、その近衛騎士に切りかかろうとした。

 それを止めたのは聖騎士アナスターシャ・モーリスだった。


「ベルナルド、これは何かの間違いです。ここは大人しく従いましょう」

「アナスターシャ。僕がこんな辱めを受けるのを我慢しろと言うのか!?」

「そうしなければ、貴方は反逆者になってしまいます」


 アナスターシャ・モーリスは冷静に状況を判断していた。

 これほど冷静なのに、なぜラックに対してあのような行いをしたのかと思う人物はここにはいなかった。


「近衛殿、ベルナルドの扱いは」

「もちろん、丁重に扱います」


 ベルナルド・ファイナスはアナスターシャ・モーリスに説得されて近衛騎士に連行されていく。

 城の一室に軟禁されることになったベルナルド・ファイナスは、これもラックのせいだとラックに対する憎しみをつのらせていく。


 その日よりベルナルド・ファイナスに対する尋問が数日行われたが、ベルナルド・ファイナスはモンスターの大侵攻とドライゼン男爵暗殺について完全に否認する。

 このことは最初から予想されていたため、皇帝は魔法契約書を用意していた。


「ベルナルド・ファイナス殿。この魔法契約書にサインをしてもらいたい。貴殿にかかっている罪状を考えればここで潔白を証明するほうがいいだろう」


 そう提案したのは、ベルナルド・ファイナスの弁護を担当するネリス伯爵である。

 壮年のネリス伯爵はベルナルド・ファイナスへ魔法契約書を差し出す。

 しかし、ベルナルド・ファイナスは契約書の内容を読んでわなわなと怒り出す。


「こんなものにサインなどできるか!」


 怒鳴るベルナルド・ファイナスに、ネリス伯爵は首を横に振る。


「その魔法契約書にサインしないということは、貴殿にかけられている嫌疑を認めるという意味になりますぞ。貴殿が何もしていないのであれば、魔法契約書にサインして速やかな釈放を勝ち取るべきでしょう」


 魔法契約書に書かれた内容は、ドライゼン領のモンスターの大侵攻に関してとドライゼン男爵暗殺に関することに対して嘘の供述をしてはならないというもので、これを拒否するということはベルナルド・ファイナスが有罪だと自分で言っているようなものである。


「バカげている! 僕は勇者だぞ! なぜこのような扱いを受けなければいけないのか!?」

「その通りです。ですから、冤罪で有罪にならないためにも、魔法契約書にサインを」


 サインなどできるわけがないのだ。

 ドライゼン男爵領にモンスターの大侵攻を意図的に起こすように命じ、ドライゼン男爵暗殺を命じたのは、ベルナルド・ファイナスその人なのだから。

 もし、魔法契約書にサインしてしまったら、そのことを供述しなければいけなくなる。これまでのようにただ否認するというわけにはいかないのだ。


 ベルナルド・ファイナスはただ単にラックへ嫌がらせをしたかっただけなのだ。

 いつもアナスターシャ・モーリスのそばにいて、目障りなラックを絶望の淵へ叩き落としてやりたかっただけなのだ。

 アナスターシャ・モーリスのそばにいるべきなのは自分であり、ラックではないということを分からせる。

 それにドライゼン男爵が死んで後継ぎも死ねばラックが領地に帰ると思った。そんな子供のような考えで命じたのだった。


「ネリス伯爵、早く僕を解放するように陛下へ仰ってください」

「正直に言いますが、ベルナルド殿の立場は非常に悪いと思ってください。このままでは、動乱罪でベルナルド殿は有罪になりますぞ」

「僕は勇者です! その僕が犯罪者なんてあり得ない!」

「ですから、冤罪を晴らすためにも、魔法契約書にサインをと言っているのです」


 進退窮まるとはこのことであろう。

 ベルナルド・ファイナスはどうしたらいいのか、分からなくなってしまう。


「明日、またきます。それまでに魔法契約書にサインしておいてください」


 ネリス伯爵はゆっくりと立ち上がって、ベルナルド・ファイナスに一礼して部屋を出ていった。

 その瞬間、ベルナルド・ファイナスは魔法契約書をくしゃくしゃに丸めて扉に投げつけ、ワインボトルに口をつけて呷った。


「くそっ! なんで僕がこんな目に! これもあいつだ、あの役立たずのラックのせいだ!」


 ベルナルド・ファイナスは自分の行動に責任がつきまとうという当たり前のことも知らなかったのだ。

 幼い時から勇者、勇者、勇者ともてはやされて育ったため、常識のない傲慢な性格になってしまった。

 ある意味、彼は被害者なのかもしれないが、それで片づけるには彼のやったことは大きすぎるのである。

 下級とはいえ貴族を暗殺し、モンスターの大侵攻をわざと発生させた。


 下級貴族の暗殺はどさくさに紛れてのものだったので、誰も調べることはないはずだった。

 モンスターの大侵攻もわざと発生させたと思われないように、自分がしっかりと後始末をした。これで済むはずだったのだ。


 しかし、神降ろしによって、魔王を倒すためにラックの支援が必要だと公言されてしまい、そのラックが図らずも暗殺犯たちに出会ってしまった。

 こんなことは想定していなかったベルナルド・ファイナスは、婚約者であるアナスターシャ・モーリスと呑気にお茶会をしている間抜けぶりだ。


 ラックがガチャというスキルの使い方に目覚めなければ、ベルナルド・ファイナスは今でも勇者として栄耀栄華を謳歌していただろう。

 だが、今の彼は限りなく有罪に近い容疑者という扱いを受けている。


「そうだ。あいつを殺せば、あいつさえいなければ!」


 その日の夜、勇者ベルナルド・ファイナスは見張りの近衛騎士を五人も殺害して帝城を脱出したのだった。

 その報告を寝室で聞いた皇帝は、首を左右に振って「愚か者めが」と呟いた。


 

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