05 おっさんと誘惑
「あぁー。無駄足だったわー」
銭湯に行くと工事か点検かよくわからなかったのだが、とりあえず開いていなかった。
朝風呂をしようと思ったのに不完全燃焼である。
作務衣に雪駄という作家風のファッションでカタコトと歩き、つい10分前に出たばかりの自宅に着いた。
二階建て全8部屋のアパート。
見た目はあまり新しくないのだが、銭湯とコンビニと本屋が歩いて数分のところにある、俺にとっては最高の物件だ。
この見た目で中が広いのもいい。
「あ、文月さん。おはようございます」
部屋の前で鍵を取り出していると、横からの挨拶。
「ああ、おはようございます」
俺の103号室の右隣、一階の右端にある104号室の住人、新垣さん。
僕より6歳年下のOLさんで、2年前に引っ越してきた、このアパートでは比較的新しい住人である。
未婚の女性なのだが、優しく美人でおっぱいが大きいという溢れ出る人妻感。
純朴であり清楚であり、さらに地母神のような暖かさがある。
艶のあるストレートの髪を、あの毛虫を輪っかにしたみたいなゴムでポニーテールにまとめ、短パンにTシャツという扇情的な格好。
「人前であまりそんな格好をしないほうがいいですよ」
と前々から言おうかと思っていたのだけど、ゴリゴリのセクハラになると分かっているのでもちろん言っていない。
セクハラを気にするような歳になったのだなぁとしみじみ思う。
「あれ、文月さんも銭湯ですか?」
俺も、ということは新垣さんも今から銭湯に行くつもりだったらしい。右手に持つ可愛らしい水玉のビニールバッグからは、バスタオルがひょっこり覗いていた。
「そうだったんですけど、さっき行ったら閉まってたんですよ」
「え! 閉まってたんですか。あの銭湯って休みの日とかありましたっけ」
「俺もよくわからないんですけど、工事か点検みたいで」
「あー、それは残念ですね。一年以上使ってないんですけど、久しぶりに家のお風呂を使わなくちゃです」
口に手を当て、くすりと笑う新垣さん。
この子、俺を落とす気である。
いや、流石にそんな気は起きないけれど。
高校生の時ならば、これはフラグだひゃっほう! などとはしゃいでいたかもしれないが、もう31歳。
現実でフラグというのが発生しても、そのほとんどは杞憂に過ぎないという残酷さをを思い知ってきた。
現実的に考えて、31歳のおっさんが二十代のOLさんにそう言った感情を抱くなど変態でしかない。通報レベルである。
実際俺も含め、年下の女性に対して何も感じない仙人のような男ばかりではないとは思うが、みんな理性で自分を抑えているのだ。
「確かに、俺も久しぶりに掃除しないとですね」
「ふふっ、そうですね」
優しい笑み。
5年前ならば落ちていただろうが、いやはや俺も成長したものだ。
それでは、と軽く頭を下げ部屋に入ろうとして。
「あ、そういえば。文月さん」
何かを思い出した様子の新垣さん。
「どうされました?」
「前から思っていたんですけど文月さんって、ゾンビゲームお好きなんですか?」
別にそれほどではないが、
「またどうしてそんなことを?」
誰かから聞いた、というのもよくわからない。俺が好きなのは格闘ゲームで、ゾンビゲームを好きなのは玲奈だ。
「金曜の夜とか土日になると、いつもうっすらと聞こえてくるんですよ。壁の向こうから、うぉおおおお!!って」
両手をぶらりと下げて、ゾンビの真似をする新垣さん。かわいらしい
「あー......なるほど。そうですね、土日は結構やります」
玲奈が、ではあるが。
小さいとはいえ、こういう人を前に嘘をつくのは申し訳ない。
しかし玲奈が居ることに関して、実は極力伏せてることにしている。
多分身内でなければ、担当編集の神崎さんくらいしか知らなかったのではないだろうか。
何故玲奈を彼女の祖父や祖母に預けないのかとか、玲奈が生まれた時からの話は色々とややこしい事情が絡まっていたりして、中々話にくかったりはするからだ。
そして、玲奈も彼女の両親も、祖母や祖父の話は好んでいない。
「すいません、もう少し音は小さくしますね」
玲奈が。帰ったら言っておこう。
「ああいえ、全然大きい音じゃなくてちょっと聞こえるくらいなので、全然大丈夫ですよ」
夕方だけですし、と微笑む新垣さん。
一様、玲奈も夜の近所迷惑程度のことははわきまえて音量は下げていたようだ。
「それでもやっぱり、これからはもう少し音下げときますね。それでは良い1日を」
「はい、良い一日を〜」
ぺこりと一礼をして、新垣さんは部屋に戻っていった。
なんという心の広さ。
結婚してこのアパートを出て行く日も近いだろう。いい人すぎて悪い奴に騙されないといいが。
おじさんじみたことを考えて、俺もガチャリと部屋に戻った。