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ひとりぼっちの百物語  作者: 夏野篠虫
8/100

自殺をやめた理由

 失恋した。

女は真夏のデートの帰り、5年付き合った彼氏から別れを告げられた。別の、好きな人と付き合うらしい。

女は憔悴し切っていてこの世に生を受けたことにすら絶望していた。

社会の、人々の、幸福が疎ましかった。


――どうして自分だけ――

何があってもそう意識してしまう。

暗く濁った感情が胸を満たして渦をまく。

女が自殺を考え始めるのに、そう時間はかからなかった。


気付くとネットで楽な死に方を調べている。

フラっと出かけたと思うと、踏切の前まで辿り着いている。

脳が自身を終わらせることしか考えていなかった。


とうとう樹海や高架の"名所"まで行くようになる。

だが、それでもやはり死ぬのは、怖かった。

飛び降りようとすれば足が硬直する。

首を吊ろうとすれば踏み台を蹴り飛ばせない。


何も見えなくなるのが、何も聞こえなくなるのが、何も感じられなくなるのが恐ろしくて堪らなかった。


でも常に死への願望が全身に堆積していく。

そんな暮らしが一ヶ月続いた。


そして、二ヶ月目に入ろうかというある日。

女は某県にある"名所"の森を訪れた帰り、最寄りの駅で少ない本数の電車を待っていた。


日が落ちて、田舎なこともあり都市へ向かうこちら側のホームには人が彼女以外いなかった。

ベンチに座り、自販機で買った水で喉を潤す。

周囲に田畑しかないような土地だが、街中と比べればまだマシ、というだけで夏は酷暑だ。

無風の構内はじっとりした湿気で満ちていた。

自殺どころではない。失恋直後より、わずかだが心身の調子が戻りつつあった女だったが、脳裏には電車が来たら飛び込もうか、と思考を巡らせてもいた。


女の左側、電車が来るはずの方角をぼーっと眺める。


ホームの端、自殺防止用に設置された青い外灯に蛾やら蝿やらが意味もなく乱舞していた。

その下、灯りの柱が伸びている、かに見えた。


女は、目を細めて焦点を合わせた。黒い柱に被って細い輪郭が浮かび上がる。


黒黒した布地に、首元の白のリボン……?

学生服だった。それも数十年は前と思われる、古臭いデザインの女子制服。ただ……


服だけが、浮いている。


女は思わず口を両手で塞いでしまった。

息を、潜める。眼球だけが動ける。


頭、首、腕が見えない。

ゆっくり目線を下げると、制服のスカートからは何も伸びていない。あるのは、艶のない擦れた靴だけ。


"とうとう気がおかしくなったか。"

自分の精神を疑った女だったが、夢でも幻でもないことは判断できる。目を疑うような光景が十メートル先で起きているのは確かだ。

長めのスカートの裾がはためく。姿が最初から無いのか、それとも身体が透明なのかはわからない。

けど、もしも、ちゃんと手足や顔が見えたなら、きっと綺麗なんだろう。そんな雰囲気が漂っていた。


制服を発見してから、十五分は経った。

初めこそ、未体験の存在に気圧され肝が冷えた女だったが、気分は和らいでいた。


恐怖が小さくなれば、別の感情が大きくなる。

女は好奇心に負けるがままにベンチから腰を上げた。

無人のホームを女が歩く。足取りは軽いが、早くない。


民家の少ない郊外、辺りで明るいのはこのホームだけ。

しかも青く照らされているのは端の一角のみ。

そこに制服だけの少女が佇んでいる――


はずだった。

三メートルほどまで来た時、どうして服だけ浮いているのかわかった。そのまま歩いて接近する。

電柱の柱に着せられていたのだ。

襟元からスカートの裾まで柱に通され、何かで固定されていた。


”鯉のぼりのようだ”と女は思った。


小一時間自分が眺めていた幻想的な風景が、こんな結果に終わるとは思っていなかった。少々がっかりした後、新たな謎に直面した。


”何で制服が柱に着けられているの?”


女の思考は当然の疑問である。

誰かのイタズラ……?

青光を浴びながら瞑想するように考え込む。


「ね゛え゛」


耳に、声が急に滑り込んできた。ひどく掠れた声だ。

プツプツプツっと鳥肌が立った。

半身だけ身体を捻り、首をめいっぱい回して後ろを振り返る。

「え、」


ズタズタに破れたシャツと下着以外何も身につけていない人が、いた。

少女であること、それしかわからなかった。

顔から足先まで正常な肉体が見当たらない。腕や足は明後日の方向に曲がり、全身から骨や筋が飛びだしている。

切傷、擦過傷、火傷、痣、打撲、骨折……素人目に見ても重体なのが一目瞭然な状態。なぜ立っていられるのか理解できなかった。

さらに、首はきつく麻縄の輪で絞められていた。


なのに、彼女は――眩しい笑顔を浮かべていた。

切れて赤黒く染みた唇を歪め、折れまくった歯が垣間見える。


どうして、どうして彼女は笑っているのか。

女は衝撃のあまり動けずにいた。すると、一歩、二歩と前に出た少女が、



「し゛さ゛つ゛し゛た゛ら゛、こ゛う゛な゛る゛よ゛?」



――カーン、カーン、カーン――


「あ、れ」

女はドンッと方を押されて姿勢が崩れた。両腕を振り回すが、重力が女の身体を下へ下へと落としにかかる。


停止しきれず、列車が……



「おい!バカヤロウ!!」

肩が脱臼するほどの勢いで体が引き戻される。

後ろに流れた髪の毛に電車の先頭が掠った。

自分と少女だけだったはずのホームに、仕事帰りのサラリーマンが居たのだ。

何でこんなことした、飛び込みなんて馬鹿なこと……説教を食らった女だったが、突然の出来事の連続が全身を支配して反応ができない。


数分の後、自分が本当に死にかけたこと、それでも命が助かったこと、やっぱり死ぬのが怖いことを、確かに実感した。



ホームには、車掌とリーマンと女だけがいた。



その後、女は自殺願望を持たなくなった。





女が電灯の下で遭遇した制服は、傷だらけの少女の物だったのだろうか。

「自殺したら、こうなるよ?」

音質の悪い少女の言葉が、その満身創痍の肉体の原因を女に明確に突きつけていた。


自殺防止ライトは、青い光で人の気持ちを落ち着かせる効果があるという。

不自然なほど落ち着いた心の隙をつき、現れる少女はその身と死の実体験を与えることで、自殺を思いとどまらせているのか?



それとも、ただ……。





今もまだ、その電灯は駅にある。



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