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ひとりぼっちの百物語  作者: 夏野篠虫
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青い紐

 女には、二十歳になった今でもよくわからないことがいくつかあった。

一つは、不自然なほど自分だけ大きな事故や病気からギリギリ助かるということ。

 二つ目は、物心ついた頃から、右手の小指になにやら“紐”が結ばれていた。

 紐はどこか遠くの何かと繋がっていて、今では黒く細くなってしまったが、幼いときにはもっと青く太かった。女以外の人には見えていないようで、なんとなく人に言う気もなかったため誰も知らない。

 女が五歳の頃、好奇心旺盛な幼稚園児だった彼女は一度だけ、紐がどこに繋がっているのか確かめようとしたことがあった。たぐるようにしてひたすら先を追いかけた。歩いて歩いて、どれほど時が経っただろう。気付けば全く知らない街にいた。大きくなってから知ったが、女が住んでいる街から一㎞も離れていない場所だった。しかし、小さかった女にとってはとても怖いことだ。不安感に押しつぶされそうになり、思いっきり泣いた。日が落ちる頃、慌てて探しに来た母親にこてんぱんに叱られた。

それ以来、紐の行く末を調べたことはない。

 不思議なことに変わりはなかったが、女にとって特に害があるわけでもなく、物に引っかかったり引っ張られたりするわけでもなかったので、小学校入学くらいには無いものと扱っていた。

 

 害はない、と言ったが、女には助かることと紐以外にさらにもう一つ幼いときから不思議なことがあった。

 月に一度は見る、同じ夢だ。

 その内容は、真っ暗な場所に女一人だけがいる。夢の中だと、紐は結ばれていない。すると、暗闇の向こうから小さな、生まれたての赤ん坊がこちらにやってくる。

どこか見たことあるような、でも知らない。その赤ん坊に生気はない。青白い顔。女はその赤ん坊と遊ぶ。どうして遊ぶのかは女自身にもわからない。

しかし、突然赤ん坊は息絶える、という夢。

 他人が見たら不気味とか怖いと思うかも知れないが、女はなぜか怖さを感じなかった。

 その代わり、見るたびに胸に悲哀が広がる。翌朝目覚めても、それはしばらく無くならない。

こんな夢をもう十五年は見ていた。


夢も紐と同様に放置していた、そんなある日。


「そういえば、言う機会がなくてね、あなたにずっと言ってなかったことがあるんだけど。」

たまたま、二十歳の誕生日に実家に帰省したとき、世間話の途中、母親がそう切り出した。

「ん?なに?」女は素っ気なく聞き返した。

「そのー、今だから言えることなんだけどね、あなたを生んだとき、実はもう一人いたのよ。」

「え?どういうこと?」

「あなたは、本当は双子だったのよ。」これまで生きていて全く知らなかった自分の話だった。


「じゃあ、その双子はどこにいるの?」女には双子どころか姉妹も兄弟もいなかった。

「先にあなたが生まれて、次にあの子、あなたの妹が生まれるはずだったんだけど……」母は少し間を置いて続けた。

「もう一人は死んじゃってたの。首にへその緒が絡まって……窒息死だって先生が。」

知らない情報が次々と耳に飛び込んできて、思考に時間がかかる。

まさか。自分にそんな過去があったなんて。

女は、複雑な気持ちだった。双子として生を受けるはずだったのに、生きているのは自分一人。しかし、記憶に欠片も残っていない妹がいたのは事実。

女に罪はない。でも、なんだか申し訳ないと、どうしようもない罪悪感がこみ上げていた。


はっと、女は気付いた。

夢の中の赤ん坊、そしてこの右手の黒く細くなった紐の正体。

自分の双子の妹。

昔青っぽかった紐は、へその緒だ。

母親に言われなければ、一生知らずに過ごすとことだった。

無視して生きてきたとはいえ、長年の疑問に終止符が打たれた。

妹と女は今も繋がっていたのだ。


その日の夜。

女は初めて自分からあの夢を見たいと思った。

あの赤ちゃんが、自分の妹と知ったからだ。改めて姉として、せめて夢の中でくらいあの子を幸せにしてあげたかった。

彼女の望み通り、あの夢を見た。

いつも通りの暗闇。ただ、違うのは赤ちゃんがいないこと。

どうしてなのか。ようやくちゃんと向き合うことができたのに。

もしや、もういなくなってしまったのか……?

嫌な予感がよぎる。

静謐が包む空間で、いつも以上に感覚が研ぎ澄まされる。

闇の向こうに、何かいる。妹、なのか?

すると、黒をかき分け一人の赤ちゃんが出てきた。妹だ。


ほっと胸をなで下ろす女だったが、違和感に気付く。

妹の後にまだ、何かがいる。

何も見えない目先の空間を凝視する。

大きい塊が、動いている?

もっと目を凝らす。

大きなもの……ではない。小さな生き物が密集している。

女はそれが何かわかり、ぎょっとした。

群衆、それもただの群ではない。

全て赤ん坊だった。

何百、いや何千を越えるほどの赤ん坊が、モゾモゾ動きながらこちらにやってくる。

皆、干からびてまるでミイラのようだ。


女は直感的に思った。――あれに同情しちゃダメだ――

そして触れてもだめだと感じた。しかし、逃げるに逃げられない。こちらに向かってくる妹がいるのだから。

見捨てることはできない。だがこのままでは二人とも引き込まれてしまう。

大勢の赤ん坊だったものが一斉に向かってくる。あたりは悲しみや恨みを含んだ泣き声で満たされた。

どうすることもできないまま、群衆があと五メートルのとこまで来たとき、妹が止った。そして、


プツン


とはっきりとした音が聞こえた。

瞬間、妹と群衆はまとめて暗闇に、落ちていくように吸い込まれていった。


呆気にとられる女は、その場にへたり込み、夢の意識が消えていった。



目覚めたとき、恐らく生まれたときからあったはずの紐が、右手の小指から無くなっていた。

そして、それ以降赤ん坊の夢も見なくなった。



あの時の夢を振り返ると、女はいつも有名な話を思い出す。

芥川龍之介の『蜘蛛の糸』だ。

地獄に落ちたカンダタが生前、一度だけクモを助けたことを仏様に認められ、天から垂らされた蜘蛛の糸を辿って地獄を抜けようとする。その様子を見た他の罪人達はカンダタに続いて糸を登り始める。大勢の人がぶら下がれば糸が切れると思った彼は、他人を蹴落とし自分だけが助かろうとする。その姿を見た仏は糸を切り、カンダタは再び地獄に落ちた、という話。

あの時、女の妹は、女だけでも助けようと自らを犠牲に女を助けたのでは?

紐を伝ってやってきた他の赤ん坊を貯めるため、共に再びあの世へ戻ったのでは?

女が病気や事故から助かるのも、無事に生まれたのも、お腹の中からら今の今まで、最後の最後まで、女の身を守ろうとしたのではないか?


カンダタは己の保身だけを考え地獄に落ちた。

女の妹は姉のことだけを思いいなくなった。



どうか、妹は天国に行って今度は自分のために生きて欲しい。



女は毎年自分の誕生日に、そう願い続けている。



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