痩せた患者
静まり返る建物内は避難灯の緑色が光る暗い廊下が四方に伸びる。その中心、対照的に白いLEDが煌々と灯る場所がある。
内科病棟のナースステーション、私はそこで夜勤をしている。
看護師として働き始めて5年経つ。
看護学校で勉強も実習も頑張ったが、就職するとやはりこの仕事は大変だと改めて実感した。特に夜勤は肉体的にも精神的にも辛い。初めの頃は慣れないことばかりで失敗をした。
それでも昔から憧れていた仕事に就けて、充実している。夜に弱いのは今も変わらないけど……。
問題があるとすれば、色々と起きることだ。
たとえばこの建物は小児病棟と隣接しているが、午前2時前後に時折アハハという笑い声とペタペタという足音が聞こえる。聞き間違いじゃない。
私が初めてその音を聞いた時は、入院中の子供が病室を抜け出し遊び回っていると思い込み慌てて見に行こうとしたら、
「やめなさい。どうせ誰も居ないから」
と先輩に強く制止された記憶がある。
他にも日々、色んな音や声がはっきり聞こえるが、無視するのがいつ頃からかここの伝統らしい。
病院での似たような噂話は多い。
正直、私も実体験して「本当にこういう現象ってあるんだ」としみじみ感動してしまった。
でも5年もいれば、人間どんなことにも慣れてしまうもので……気にせず仕事に打ち込んでいる。
今も壁をドンドン、バンバンと叩く音がする。
時計を確認すれば針は2時を過ぎていた。丑三つ時は〜とよく言われるのは間違いじゃなく、現象が特に多いのはこの時間帯だ。
今ここにいるのは私含め2人だけ、先輩と私だ。会話もなく、音へのリアクションもないまま仕事に追われている。
ピーーーー
唯一、私たちが反応する音。
ナースコールが、赤いランプと共に静寂を破った。
「いってきます!」
確認すると私が担当する患者さんの部屋だった。
速やかにそこまで走った。
「大丈夫ですかー?」
ドアを開けると同時に声をかける。
中に入る前から部屋に変な違和感があったが、今はそれどころじゃない。
「うぅうっ」
苦しげな呻きが漏れている。
体調が悪化したかもしれない。
天井の明かりをつけて、気を引き締め直してカーテンで覆われたベッドへ。
そこには苦しみに喘ぐ若い患者さんが。
布団をどかし、汗にまみれた身体。痩せて骨が浮き出た細腕と突き出た頬骨が目立つ。
「どうしました? どこか痛みますか?」
「うぅ……はッ!」
「えーと、大丈夫ですか?」
「あぁすみません、ちょっと夢にうなされてたみたいです……」
「いえいえ、体は、つらくないですか?」
「はい……さっきまでの息苦しさは無くなりました。ありがとうございます」
「それならよかったです。またなにかあれば知らせてくださいね」
闘病生活のストレスで悪夢を見たのだろう。
何はともあれ患者さんが無事でほっとする。
おやすみの挨拶を交わし、カーテンを戻して部屋から出た。
ドアを閉める時、私の目に入ったのは壁に取り付けられた空のネームプレートだった。
違和感の正体がわかったかもしれない。
行きより早く走ってナースステーションに帰った。
先輩の怪訝な目線を浴びながら患者名簿を確認すると、あの部屋の患者は先週亡くなっていた。以降、あそこは空き部屋のはずだった。
「どうしたの?」
「――あ、いや、空き部屋のはずなのに患者さんがいたので……」
先輩に正直に言った。
「あー……うん。たまーにあるのよ。ナースコールが勝手に鳴ること」
「はぁ……でも私が見たのは」
亡くなった前の患者ではなかった。
全く知らない人がベッドでうなされていたのだ。そして私を呼んで、会話までした。
「そんな顔しないでも大丈夫大丈夫」
「でも、」
「あ、その患者、どんな見た目だった?」
そう言った先輩の気の抜けた顔に眉間のシワが深まった。
「え? 入院服を着てて、若い男性でしたけど」
「太ってた?」
先輩が真剣な顔で変なことを聞いてくる。
「いえ、むしろ痩せてましたよ?」
「ならやっぱり大丈夫。だけどもし、今度見たその患者が太ってたら要注意。いいね?」
「わ、わかりました…」
見た目はのんびり屋の大人しそうな先輩は、もうこの病院で20年近く勤務しているベテランだ。
私も先生方も強く信頼している看護師の1人。仕事の指導も上手で、後輩の私は新人の時からお世話になっている
その先輩が言った言葉だから、信じてはいる。
けど、空き部屋にいた患者が何者なのか。
どうして太っていたら要注意なのかは教えてくれなかった。
あの日から1週間経ったがあの空き部屋からナースコールは鳴っていない。
痩せた男性は今もベッドで1人うなされているのだろうか。
そして、いつかぶくぶくと太り始めたら……何が起こるというんだろう。




