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ひとりぼっちの百物語  作者: 夏野篠虫
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深夜の喫煙

 虫の声さえ聞こえぬ夜。

「・・・・・・さすがに寒いな」

 マンションの5階に住む俺は毎晩妻が寝た後にベランダで一服タバコを吹かすのが日課だ。

 リビングの大窓を開けた瞬間に肌を突き刺す風、もう一枚上着を着ないと2枚じゃ足りない時期になった。

 煙で匂いが付くからと家の中では吸えなかったから先月電子タバコに切り替えたのに、「匂いが強くなった」なんて妻に言われるもんだから、仕方なく今でもベランダで吸っている。

 細かいことは気にしない、とも言ってられない。今時夫婦が上手くやっていくには夫の妻への配慮は欠かせない。譲歩できることは素直に手を引くし、家事も分担している。

 たったそれだけで円満に暮らせるんなら文句はない。・・・・・・欲を言うならもう少し月のお小遣いを増やしてほしいが。

 一呼吸ごとに生活を振り返りながら、見えない煙を吐く仕草をする。長年の喫煙習慣が電子になっても続いている。


 夜の街を眺めるのも好きだ。5階の我が家からは大して遠くまで見通せないけど、宵闇に点在する街の明かりが幻想的に感じて、勝手気ままな感傷に浸れる。職場の嫌な上司も使えない後輩もこの時間に全部許してタバコと一緒に捨ててしまえる。

 時折、真下の道路を歩く人や車を見てその人の生活を想像するのもいいものだ。遅い時間帯だから滅多に通らないけど。


 今日は誰か通らないかと、口からタバコを離して目線を落とす。



 あ、一人の男が道の真ん中に立っている。


 

 何するわけでもないその男は、じーっと俺の方を見上げていた。

 10m以上離れているのに目が合ったのだ。



 思わず右手の指に挟んだ電子タバコを落としそうになった。手すりに預けていた体重を奥に引っ込めた。



 いったい、いつから見られてたんだ?

 首筋に気色悪いかゆみを感じる。顔をかすめる横風が強くなった気がした。



 もうどこかに行ったかな、そう思い屈んだままこっそり下を覗いた。

 寸分違わぬ位置で男は立ち尽くしていた。首はこっちを向いている。



 今日はもう寝よう。

 電子タバコのスイッチを切り、そそくさと部屋の中に戻った。窓の鍵はしっかりかけた。

 カーテンも閉めて、リビングを通り過ぎ、足音を立てないようにすり足で寝室へ移動する。

 開けっ放しのドアの奥にすやすや眠る妻が見える。

 大きなため息が出た。

 あの体験のせいで別の世界に迷い込んだような感覚があったから、見知った顔に安心したのだ。

 

 たまにはこんな日もあるさ。

 自分に言い聞かせベットに入ろうと腰を曲げた。



 

 ピンポーン。


 玄関チャイムが聞こえた。

 1階エントランスからではない。この家のチャイムの音がする。

 脳裏によぎるのはさっきの、男。

 だがエントランスを経由しないで直接インターホンを押しているということは、このマンション内の住人か・・・・・・?

 いや、そもそもこんな夜更けに尋ねてくるのがまともな人の訳がない。



 ピンポーン。



 まただ。出るまで鳴らし続けるつもりだろうか。

「うぅん・・・・・・」

 隣の妻が寝返りを打った。こんなことで起こしてしまうのは申し訳ない。



 ピンポーン。



 恐怖よりも段々腹が立ってきた。夜中に他人のチャイムを鳴らすなんて単なる迷惑行為だ。


 勢い良く立ち上がった俺は閉めたばかりのドアを開けて、すぐ左の玄関に向かった。



 ピンポーン。



 まだ押してくる。ドタドタ廊下を歩いて壁のスイッチを押す。

 天井に点いた明かりが眩しい。ああもう、ため息をつきながら覗き窓から外を見た。



 白く照らされた玄関前には誰もいなかった。

 どういうことだ? 今時ピンポンダッシュでもされたか? 


 窓から顔を離す。

 怒りは少し落ち着いたが今度は疑問が湧いて出る。

 


 ピンポーン。



 またまた音が鳴ったから急いで顔を戻し外を覗いた。

 

 右も左も下も、当然上にも誰もいない。身体ごと動かしてぐるりと覗いても誰も見えない。

 音から約1秒で確認したのに人の気配がない。


 次こそはと、ドアに張り付いてしばらく監視した。



 ピンポーン。


 あり得ない! ずっと穴から見ていたのに誰もチャイムを押さなかった。


 全身に鳥肌がたった。不気味になって玄関から遠ざかった。


 廊下のフローリングが氷のように素足を冷やした。




 ピンポーン。



 俺の後からチャイムの音が聞こえた。


 反射的に振り返っても、もちろん誰もいない。



 けど、誰かの視線を感じる。


 一歩一歩、ゆっくり廊下を進む。




 リビングへのドアを開ける。

 電気が点いていないから薄いカーテン越しの外の明かりしか差し込まない。

 


 そのカーテン。

 

 向こう側には俺がタバコを吸っていたベランダ。

 窓はちゃんと鍵を閉めた。

 

 それにここは5階だ。

 だからありえない、ありえないはずなのに・・・・・・。




 カーテンに人の影が写っている。

 


 ピンポーン。


 

 響くチャイム音。徐々に音量が大きくなっている。

 目の前の影の方からそれが聞こえる。

 

 心拍数が激増する。

 運動してないのに息が掠れる。


 

 低い腰のまま、カーテンに近づく。


 3m、2m、1m・・・・・・30cmまで辿り着いた。

 


 ピンポーン。



 大音量が耳をつんざく。妻が起きてこないのが不思議なくらいだ。

 

 

 心を落ち着かせるため、肺の空気を入れ換える。何度も何度も。

 呼吸が整わないのは長年の喫煙のせいだけではないと思った。



 右手がカーテンの端を掴む。手汗が布に染み込んでいく。


 

 バッと腕を引いた。



 

 窓の向こう、ベランダにはさっき道に立っていた男がいて、またもや俺と目が合った。

 大きく見開いた、黒目のない真っ白な眼球。


 距離が離れていたときは気付かなかったが、この男、身体と顔の向きがおかしい。


――わかったのは、首が180度曲がって身体と真逆を見ていることだった。

 

 

 俺は叫びそうになるのを、太腿の肉が千切れるくらい強くつねって耐えた。

 


 

 次の瞬間、



「ピンポーン」


 

 ずっと聞こえていたチャイムの音は、男の口から出ていた。

 人間の声じゃない、異常な高さの声。


 後を向く男の腕と手は、チャイムを押す動作をしていた。




 力の抜けた俺は、その場に膝から崩れ落ちた。





 翌朝、起床した妻が俺を発見したとき、座ったまま死んでいるかと思ったらしい。 




 あの男はいつの間にか消えていた。


 鼓膜にはチャイムの音が、あの晩の記憶と共にこびりついた。





 今でも妻に理由は話していないが、俺は今でも我が家のインターホンには出られない。



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