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彼女は確かにここにいた 06


 初めて会った日から、毎日欠かさずメールのやり取りをしていた。これまでは読んだ本の話をすることがほとんどだったけれど、音楽や映画の話もするようになった。バイトを終えた深夜に電話をすることもあった。こんな時間に大丈夫なのかと尋ねても、彼女はいつも大丈夫だと答えた。大学生だから平日も時間を合わせられるのだと言う。そんなものだろうか。自分の大学生活は、一体どんなだっただろうか。


 二度目のデートは、デートという表現には些か抵抗を感じるけれど、映画を見に行くことになった。お気に入りの小説が映像化されたものだ。珍しく恋愛小説を読んだのだけれど、期待以上に良かった。だからこそ映画化が決まったという情報が出たときには少しがっかりしたものだった。だけど今回はみあから声を掛けてくれたのだから、断る理由が無い。夏の始まりに出会った若い男女が恋に落ちるのだが、ヒロインには秘密があって夏の間しか一緒にいられないというベタと言えばベタなストーリーだった。出演者は最近はやりのイケメン俳優とモデル上がりの女優で、女子高大生向けに作り変えられてしまっているだろうと期待をしていなかった。


しかし予想を裏切られた。原作を読んでいたせいでヒロインの秘密を知っていたからか、伏線になっているシーンを見るたびに鼻の奥がツンとした。やばいと思っていると、隣で鼻を啜る音がした。気づかれないようにそっと左を向く。スクリーンの光を浴びて輝くみあの瞳は潤んでいた。ハンカチを目元に当てている。


きっと原作を知らないひとだったら、涙の気配も感じないシーンだっただろう。そんな場面を見て同じような想像をして、同じように切なくなる。感動し、それがとても大切なことのように思えた。


エンディングでは映画のなかの二人がよく足を運んでいた浜辺の映像と、今流行りのバンドの曲が流れる。胸焼けするくらいに甘ったるく愛し合ってはしゃぎあっていたさっきまでの二人と、誰もいなくなった海。歌詞の内容もストーリーに合っていて、エンドロールの途中でも涙を堪える必要があった。劇場内に照明が灯るまで二人並んで動けずにいた。


「映画、良かったですね」


みあの方を向くと、彼女はハンカチと手で顔を覆った。


「凄く良かったです。……泣きすぎちゃって、もうメイクぼろぼろです」


冗談めかして笑った。その笑顔と、感動を共有できたこと、それから素直に涙を流す姿に心を奪われていた。もうすでに恋に落ちていたはずなのに、これでもかと言うくらいに深いところまで突き落とされてしまった。


彼女と離れるなんて、無理かもしれない。そう思った瞬間に、覚悟は決まった。


居酒屋に入っても映画の感想は尽きなかった。


「前半のあのいちゃいちゃっぷりと、後半の落差が大きすぎて切なかったです。ストーリー知っちゃってたから余計に最初のほうの幸せなシーンさえ悲しくなっちゃって、すごく泣きました」

「わかるわかる。こんなに幸せなのにあの結末に繋がっちゃうんだもんなぁ、ってついつい考えちゃいますよね」

「そうなんですよ。私、お客さんの中で一番早く泣いたかもしれないです」


みあはアルコールに強くないらしく、鮮やかなオレンジ色をしたカクテルを飲んでいる。俺はいつもと同じ生ビールだ。それでも彼女よりもペースが速いのは、緊張のせいもあるのだろうか。


「でも二人は結局会えなくなっちゃったけど、短い間だけでも心から本気ですきになったひとと恋人同士として一緒にいられたなら、それでもう良いかもしれませんね」


みあは俯いていた。その表情が酷く寂し気で儚く見えて、胸が苦しくなった。そんな台詞を言わされるような恋愛をしてきたのだろうか。


急に第三者の影を感じて視界が揺らいだ。胃の辺りが熱くなって、嫉妬しているのだと気が付く。今すぐにでも自分の気持ちを打ち明けてしまいたかったけれど、酒の席で口にしたら酔っ払いの戯言だと思われてしまうだろうか。


切り出すタイミングが掴めないまま居酒屋を出て、カフェに移動することになった。けれど二十二時を回るとどこも閉店間際で、入店することが出来なかった。それでもコーヒーの口になっていたからスタバに寄ってラテをテイクアウトした。行き場を失って、自然と地下鉄の乗り場のほうへ足が向かう。もう少しでみあが去ってしまう。意識すればするほどどうすればいいのかわからなくなって、彼女の話さえまともに耳に入ってこなかった。


この前別れた場所と同じ所へ辿り着くと、二人の間に沈黙が流れた。みあが笑顔を見せて明るい声で今日はありがとうございました、と言う。また、と聞こえた。そうじゃなくて。


「待ってください」


振り向く彼女を見て、そういえば前回もこんな風に別れ際に呼び止めたのだったと思いだした。周囲に人はそれほど多くない。みあは真っ直ぐこちらを見ている。


「あの、前回も今日もめちゃくちゃ楽しくて……、本の話ができることも嬉しかったし、カフェで食べたケーキも美味しかったし、同じ映画を見て同じ場面で泣けることに凄く感動しました」


みあは、はい、と言いながら照れ笑いした。


「だから、えっと、なんて言うか……、これからもずっと一緒にいたいなって思ってしまいました」


大きな目をぱちくりさせている。自分の顔が異様に熱を持っていて、きっと耳まで真っ赤になっているのだろうと想像すると目を反らしてしまいたくなる。だけどなんとか踏みとどまった。


「みあさんのことを、すきになってしまいました。良かったら俺と付き合ってもらえませんか?」


面白いくらいにみあの顔がみるみる赤くなっていった。人の顔色がこんなにもはっきりと変わるところを初めて目の当たりにした。


「あ、もちろん今すぐに答えを出さなくても良いので……。気が向いたときにお返事が貰えたら嬉しいです」


慌ててそう付け加えると、そこまでフリーズしていたみあがやっと動き出して金魚のように口をパクパクさせた。口元に手を当てた。


「……照れますね」

「……ごめんなさい」

「こんなの、初めてです」


みあは真っ赤になった顔を両手で仰いでいる。その仕草さえも愛おしくて、どんな結果になったとしてもできるだけ彼女に尽くそうと決めた。


「いつでもいいので……」


そこまで言うと、みあが首を横に振った。


「……お願いします」

「え?」


思わず聞き返してしまった。みあが顔を上げる。二人の視線が直線上でぶつかり合った。


「よろしくお願いします」


これはオーケーということで良いのだろうか。今度は俺が戸惑う番だった。みあは相変わらず赤い顔のまま笑顔で頷いた。意味がふと腹に落ちた瞬間、嬉しさと恥ずかしさが込み上げてきてまた顔が火照った。


「こ、こちらこそよろしくお願いします」


俺が頭を下げるとみあも釣られて下げた。


「それじゃあまた今度」


みあが笑って手を振る。素直にまたね、とことばにすることができた。彼女が階段を下るのを見届けてから自分が使う路線のホームに着いてからも顔がにやけるのを止められなかった。幸福で身体が弾けそうなくらいで、駿介にすぐに報告をした。それからみあにも告白を受け入れて貰えたことがどれだけ嬉しかったかということと、これからよろしく、という内容のメールを送った。結局その日は返信が無かったけれど、高揚感に邪魔されながらも気が付けば眠りに落ちていた。


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