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彼女は確かにここにいた 04

 酒と旧友のアドバイスのおかげで身も心も温まった状態で帰宅した。ルーティーンでパソコンを立ち上げて、ツイッターを開く。


ヒカル @hikaru_humanity 0分

久しぶりに会う友だちと飲んだ。いつ会ってもやっぱり居心地がいい。


時刻はすでに深夜一時を迫っていた。平日のこの時間帯はタイムラインから少しずつ人が減っていく頃である。明日もバイトは夜番で時間にも気持ちにも余裕があるせいか、鼻歌を歌いながら風呂に入った。さっぱりして部屋に戻ってくると、複数のリプライとお気に入りが来ていた。


 みあ @mia_mamma 21分

 @hikaru_humanity おかえりなさい! 楽しめましたか? この間お勧めしていた本を読んでいます。続きが気になってこのまま朝まで読み続けちゃいそうです(笑)


彼女からのメッセージを読んだ瞬間、今しかないと頭の中で声がした。誰のものだったかはわからない。メッセージのアイコンをクリックすると「みあ」のIDが表示される。画面下部のボックスにカーソルを合わせる。


 こんばんは。夜遅くにごめんなさい。いつもリプありがとうございます。それからお勧

 めした本を読んでくださってありがとうございました。


なんとなく不自然と言うか、何を伝えたいのかが不明瞭な文章になったけれどそれ以上考えるとまた堂々巡りに逆戻りしそうだったから、送信ボタンを押した。こういうのは勢いが大切なのだ。きっと。


送信が完了すると今度はノートパソコンを閉じてしまいたくなった。心臓がどくどくと部屋に響くくらいの音を立てて、手に汗が滲んだ。画面上にはリプライの通知が数件届くけれど、それらに反応するだけの精神的な余裕がない。


どれくらい待っただろうか。返信を確認することが恐ろしくていっそこのまま眠ってしまいたかったけれど、興奮して心地の良い眠気はどこかに飛び去ってしまっていた。意味もなくスマホを触ったり読みかけの文庫本のページを開いては閉じたりすることを繰り返した。大きく息を吸って吐いて改めて画面を見ると、封筒の形をしたアイコンの上に1を丸で囲んだようなバッチが付いている。手から力が抜けそうだ。それでもクリックすると一番上のメッセージが青くなっている。「みあ」から返信が来ていた。


 こんばんは。実は眠れなくて本を読んでいたくらいなので、大丈夫ですよ。こちらこそ

 わざわざDMありがとうございました。「水槽のなかの夢」面白いですね。少しだけ読

 んでまた明日にしようと思ってたのに止められそうにないです……(笑)


いつも通りの丁寧な文章だった。それが他の誰の目にも触れずに自分のもとに届けられたということが特別感を演出していて、嬉しさが胸にじわりと滲む。


 お返事ありがとうございます。あの本、面白いですよね。読めば読むほど新しい謎が出

 てきて、答えが気になりすぎて止まらなくなるんですよね。俺も初めて読んだときには

 一気読みしました。


すぐに返信をしてしまうとメッセージが返ってくるのを待ち詫びていたという余裕の無さを印象付けてしまうのではないかということに送信をしてから思い当たって、少し落ち込んだ。けれどそんな心配をよそに「みあ」からの返信も数分で来た。


 まさにそうなんです! 一つの謎の答えが出たと思ったら、それってつまりこういうこ

 となんじゃ……って新しい疑惑が浮かんできて。それをイオ博士たちと一緒に読者にも

 考えさせて体感させてくれるところが堪らなく面白いです。


誰かが自分が勧めた本を実際に手に取って、同じように心を動かしてくれる。それは容姿や性格を褒められることよりも素直に嬉しかった。こんな風に真っ直ぐに伝えてくれる存在をありがたく思うと同時に胸の奥をぐっと掴まれたような感覚に襲われた。何故だか泣きそうにさえなる。いつもよりも丁寧に内容を考えて、誤字や脱字の無いように何度も文面を見直してから送信した。数分で返信が来る。日本中の多くの人が眠ってしまった静かな真夜中に、起きているのは二人だけで秘密の時間を共有しているような感覚。静かな充足感と、それ以外の激しい感情を覚える。


突然こんなことを言ったら困らせてしまうかもしれませんが、もっとみあさんと本やいろんなことについて話がしてみたいです。良ければ今度お茶でもしませんか? もちろん断ってもらっても大丈夫です。


時間の経過とともに勇気が萎んでいってしまいそうで、一度だけ軽く読み直して送信した。「みあ」は一体どんな人なのだろうかと想像してみる。どんな顔をしているのだろうか。年齢はいくつだろうか。平日の真夜中に起きているということは、学生だろうか。読書以外にはどんな趣味があるのだろうか。好きな食べ物は何だろうか。


そんなことをぼんやりと考えている間に数分が過ぎていた。未だに返信は無い。不安がじわじわと込み上げてきて想像さえもままならなくなった。壁に掛けてある時計の針の音が聞こえてきた。カチッという音とともに後悔が湧き上がってくる。顔も知らない男から会おうと誘われたら警戒するに決まっている。せめてもう少し時間を掛けるべきだった。せめて不快感を与えたことに対して謝ろうとメッセージを作成しかけたときだった。


私もヒカルさんとお話してみたいです。緊張しますが……、お茶したいです。


短いその文章を何度も何度も読み返した。目を擦って瞬きをしてからもう一度読み返した。これが己の欲が生んだ夢じゃないことをどうにかして確かめたかった。


ありがとうございます。めちゃくちゃ嬉しいです。またみあさんの都合が付く日時などを教えてください。


お互いのスケジュールを照らし合わせたところ、ちょうど一週間後の火曜日の午後に会うことになった。複数のカフェと大型書店が入っている駅ビルで待ち合わせだ。そこまで決めると、お互いにおやすみなさい、と送り合ってやりとりは終わった。


布団に入っても一向に眠気を感じず、ひたすら暗い天井を見つめていた。居ても立っても居られなくなって、駿介に報告のラインを送った。しばらくすると良かったな、と返ってきた。一体あいつはいつ眠っているのだろうか。もしかして二十四時間起きているのかもしれない。駿介だったらそんなあり得ないこともしてみせるような気がする。くだらない想像を巡らせるうちに眠りに落ちていた。


 「みあ」に会うまでの一週間で何ができるだろうと考えた結果、サボりがちだった美容院に行くことにした。カットでボリュームを抑え、できそうにないアレンジを教わった。その足でアパレルショップに寄ったけれど、何が良いのかもわからないし男性店員がお洒落過ぎて怯んでしまい、結局何も買わないままに店を出てカフェに逃げ込んだ。アイスカフェモカを飲みながら駿介に事の次第をラインして、持ってきていた本を開いた。しばらくするとスマホの画面が急に明るくなって駿介の名前が表示された。慌てて通話アイコンをタップする。口元に手を当てて出来るだけ小さな声を出した。


「もしもし。今大丈夫?」

「うん、まあまあ」

「なに、お前、結局服買えんかったの?」

「だって何買って良いかわからんしさ。店員も店もお洒落過ぎて気後れするわ。ていうか疲れる」

「ほんといろんなこと気にしすぎだろ。店員だってお客に声掛けるのも仕事の一つとしてやらないかんだけだから、別に何とも思われてないって」

「まあそれはそうだけどそれを抜きにしても何を買ったら良いかわからん」

「さっぱり目のやつ着とけば間違いは無いでしょ」

「さっぱり目ってどんなん」

「どんなんってとりあえず白いシャツと細身のパンツでもあれば良いんじゃないの」

「白いシャツも細身のパンツも種類がありすぎてわからん」


そこまで言うと電話口でため息が聞こえた。駿介はもともとファッションセンスもあるし顔も整っているから何を着てもそれなりの様になるかもしれないが、俺はそういうわけにもいかない。バイト仲間以外の女性と会うことなんてそれこそ久しぶりで、学生時代にはそれなりに持っていたのかもしれないノウハウも全て忘れてしまっていた。


「ミツさー、あんまり期待しすぎんなよ。お互いに顔も知らんどころか、会話もしたことない相手なんだから実際に会ってどう思うかなんてわからんし。気合入れ過ぎて微妙でしたってなってもいかんしさ」

「それは……、まあそうだけどさ」

「だから気楽に行けばいいって。とりあえずシンプルな服着てってさ」

「そうだよなぁ」

「それか店員に初デートなんですけど、何着ていけば良いですかって聞くかだな」

「そっちのほうがレベル高いわ」


思わず笑ってしまった。お洒落で同年代かもしかすると年下かもしれない店員にそんな相談をすることに抵抗を覚えたけれど、それも一つの手なのかもしれないと思った。肩に入っていた力が、駿介と話したことですっと抜けた。ありがとな、と言って電話を終えた。


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