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彼女は確かにここにいた 02

 ほとんど毎週土日も深夜二時半までのシフトが入っていると言うのに、幸か不幸かこういうときに限って土曜の夜が空いたりする。いっそのことバイトが入っていれば、忙しさを理由に断る方向に持っていくことだってできたかもしれないのに。


結局誘いがあった日の翌週末には集まることになってしまった。


着替えが済んでも家を出る気になれなかった。ベッドに腰を下ろすと深いため息が漏れた。スリープ状態になっているパソコンを揺り起こし、ツイッターを開く。



ヒカル @hikaru_humanity 0分


今からこの前話してた友だちと飲み行ってくる。正直全く気が乗らない……。誘いなんて断るべきだった。。。



気が進まないとは言え、そろそろ家を出なければ約束の時間に間に合いそうもない。パソコンの電源を落としてポケットに財布とスマホを突っ込んで家を出た。


駅まで自転車を漕ぐ足が重たかった。それでもなんとか目標にしていた時間の電車には間に合って、立ったまま座席に体重を預けながらスマホを見た。ツイッターの通知が来ている。


スライドしてロックを外した。



 みあ @mia_mamma 21分


 @hikaru_humanity ファイトー!(*^_^*)



その一言を見た瞬間、笑みが広がるのを実感して慌てて唇を強く結んだ。窓ガラスにはそんな奇妙な自分の顔が写りこむ。読んですぐに返信をしてしまったら、待っていました感が出てしまうだろうか。もう一度画面を確認する。リプが来ているのは二十分も前のことだ。



 ヒカル @hikaru_humanity 0分


 @mia_mamma ありがとう!



顔文字を付けようか迷ってやめた。だいたいの年齢はバレているだろうけれど、それでも気持ち悪いおじさんだと思われるのは避けたい。スマホをポケットにしまう。さっきまでこっそりと胸の中で渦巻いていた、人が怪我をしない程度の理由で電車が止まれば良いのにという願いはだいぶ薄まっていた。


 十分後には待ち合わせをしている駅に着く。あれだけ顔を合わせるのが怖いと思っていたはずなのに、実際に会ってみると懐かしさと安心感を覚えた。今回の集まりを企画した壮真が予約してくれていた居酒屋に入る。旧友と飲む酒は素直に美味しかった。



「一人まじで困った先輩がいてさ、そいつ四十過ぎてんだけど、やたらと後輩と一緒に営業出たがってそれで契約取れると一割とか二割とか寄越せって言ってくんの。まー鬱陶しいわ」



自動車部品のメーカーで営業をしている友成が三杯目の生ビールを空にした。四人のなかでは最もペースが速い。大学時代はそこまで酒に強いという印象は無かったが、仕事柄鍛えられたのだろうか。



「あー困るよな。そんで妙に年上だからこっちもなんも言えんし、上司もまあまあ、みたいに諭してくるしな」



貿易商社に務める壮真は近くを通りがかった店員に生ビールのお代わりを頼みながら相槌を打つ。



「何もわからん新人より仕事できん先輩のほうが実際扱い困るよなー」



達也は大手の建築関係企業で働いている。入社前にはゆくゆくは設計図も書いたりするらしい、などと言っていたけれど何をしているか詳しいところは知らない。


その後も三人の口からは止め処なく仕事や会社の愚痴が溢れた。だけど、だからこそ卒業してから三年間も辞めずに働き続けていることは称賛に値すると思う。


出来るだけ自分に話題の矛先が向かないようにと聞くでもなく聞きながら、目立たないようにハイボールを飲んでいた。



「で、光人(みつひと)はどうだった?」



遂にスポットライトが自分に当てられてしまった。愚痴になるような出来事を山ほど経験しても逃げ出さずに働き続ける立派な彼らの前で披露できるような、自分を誇れるような出来事は過去二年間起こっていなかった。



「そうじゃん。光人に会うの、めっちゃ久しぶりじゃね?」


「最後に会ったのいつだったっけ? いっつも全然参加しんもんね」


「銀行ってそんな忙しいの?」



咄嗟に頷いてしまいそうになる。想像以上に忙しくてさ、と三年前に味わったエピソードを脚色して話せばそう簡単には嘘だと見破られないだろう。



だけどふと電車の中で見た文字の羅列を思い出した。ファイトと応援されたのは、ただ昔の友だちと会うことだけじゃなくて、今の自分を包み隠さずに曝け出すことだったようにも思える。



「あー……、実はさ仕事辞めたんだよね。ずっと前に」


「え、まじ?」「まじ?」「いつ?」



三人の声が重なった。苦笑が滲む。



「二年ぐらい前」


「まじか」



四人の間から会話が消える。さっきまで気にも留めていなかった周りの酔っ払いたちの声がはっきりと耳に入ってくる。



「なんで辞めたの?」


「んー……」



理由が無いわけではない。だけどどんな理由も働き続けている人からすれば甘えだとか逃げとして映るだろう。分かってもらえるまで熱弁しようという気も起らない。



「俺には向いてなかったっぽい」



適当に誤魔化して、これ以上踏み込まれても面白いネタは出てきませんよ、という雰囲気を醸しながらハイボールに口を付けた。



「じゃあ今何しての?」


「フリーターしてる」



頼むからこれ以上深堀りしないでくれ。これ以上惨めな気持ちにさせないでくれ。両手を合わせて懇願する代わりに、彼らの立つステージから一段下りるしか仕方なかった。



「辞めたってこと言い出しづらくて、誘ってもらっても顔出せんかった」



ごめん、と言って笑って見せたつもりだったけれど、果たしてそのように見えただろうか。顔の筋肉が痛くなるくらい不自然だったのかもしれない。



「まー辞めたくもなるよな! まじで」



友成が声を張り上げるようにして言った。明らかに自然とひそひそ話のようになっていた声の音量を上げようとしていた。それに続いて壮真と達也も「早めに辞めるのもある意味正解だって」とかなんとか分かったようなことを口にする。



俺だって続けられるもんなら続けたかった。普通の社会人として胸を張って会社の愚痴を言い続けたかった。喉元までせり上がってきた感情を、薄まったハイボールで胃まで押し戻す。あやふやな笑顔を作り続けていると次第に話題は移ろっていった。



「俺そろそろ結婚しようかなーとか思ってんだよね」



壮真が枝豆を頬張りながら何気なく言った。



「え、美沙子ちゃんと?」


「そー」



壮真は大学二年のときから同じ学科の同期の美沙子と交際している。当時から学科内では有名なカップルだった。



「仕事もやっとなんとかなるようになってきたし、なんだかんだ付き合って長いからさ。あんまり待たせても逆に愛想尽かされそうな気がして」


「もー何年だ?」


「今年で六年目」


「やば。そう言われると長いなぁ……」


「まあまだいつプロポーズするかも決めてないし、そもそもその前に別れるかもしれんしな」



照れ隠しではにかむ壮真に、それはないだろう、と二人が声を掛ける。在学中から壮真と美沙子カップルは仲が良かった。かと言って大勢で集まる場面でこれ見よがしにイチャイチャする様子もなく、見ていて自然と応援したくなる雰囲気があった。結婚をして幸せな家庭を築いていく姿が容易に想像できる。



それから話題は自ずとそれぞれの恋愛へと変わっていった。大学時代からモテていた友成は相変わらず女の子をとっかえひっかえしているらしい。達也は昨夏恋人と別れ、絶賛彼女募集中なのだそうだ。話を合わせつつ彼女が欲しいと言っておいた。



飲み放題の時間が終わり、店を出ることになった。三人はこのままカラオケへとなだれ込むようだったが、明日は朝番のシフトなのだと嘘を吐いて先にお暇した。そのほうが自分のためにも彼らのためにも好都合なような気がした。



五月になったばかりの夜。昼間は真夏のように暑かったくせに、日が落ちてしばらくすると寒さの名残が顔を覗かせる。太陽と新緑に騙されて薄着で出てきたせいで、鳥肌が立っている。ホームで電車を待つ人は皆スマホに視線を落としている。これだけ多くの人に連絡が取れるような相手がいる。例に漏れずスマホを見る。ラインの通知は一件も来ていないし、親に迎えを頼むような年齢でもない。イヤホンを刺して音楽を再生すると、再びポケットに滑り込ませた。



土曜日の午後十時過ぎの電車。スーツを着てくたびれた様子の人もいれば、顔を上気させて楽しそうに隣の席の友人だったり恋人だったりと会話をする人もいる。空席がちらほらあったけれど座る気にはなれなかった。ドアの横で座席に凭れ掛かり、窓の外をぼんやり眺めた。都会よりも生活感のある色味をした夜景を見つめながら、三人と自分の立ち位置の差を思った。三人とも会社を辞めたいと口にはしたものの、本気でそう思っているような重さではなかった。嫌だ、辞めたいとは思っていても実行に移すほどじゃない。我慢をしなければいけないことに納得をしている。それが過去の自分にはできなかった。まして結婚なんて真剣に考えたことさえ無い。いつかは結婚したい、できれば三十歳までになんてぼんやり思い描いてはいるものの、二十五歳フリーターの男にまともに恋人ができる気配すらない。思わず吐いたため息で車窓が曇った。



自分が自分を誇れないと、友だちとさえ友だちでいられなくなるのかもしれない。



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