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あたしが大黒柱  作者: 七瀬渚
第1章/馴れ初めはこんなんで
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6.告白からの「さようなら」って


 なんか、今、蓮の奴が……聞き捨てならねぇことを、抜かした……と、思うんだよな。


 小さなアパートの一室。夕暮れ時の窓際で、唐突に。

 夕焼けと水槽の色が混じり合う中で、二人揃って切なげな紫色に染められながら、それでも高まっていくのは凄く熱いものに感じられた。


「なんだ、急に……なんのことだ?」


 だけどあたしはまだ半信半疑だ。むしろ“疑”の方が上回っている。


 出会った日から毎日のように通い詰めてきたんだからさすがにもうわかる。蓮は言動といい、表情といい、仕草といい、年相応とは言い難い。泣き虫で寂しがりな子どもそのものだ。



 “すき”



 この一言にそんな深い意味が込められているものか。本気にして探ったりなんてしてみろ。魚が好きとかゼリーが好きとか、どうせそんなんだぞ。


 だけど……



「…………っ」


「蓮……?」



 ぎゅっとあたしのサマーニットを握り締めて唇を噛んでいる。長い睫毛はずっと下を向いたまんま。



――ネオンテトラ。あと……グッピー。あと……――



 あたしにこの川と海の楽園を見せてくれたとき、こいつの声はもっとはっきりしてた。円らな瞳はキラキラ輝いてた。

 純粋に好きなものの話をするときのこいつは……こんな顔、しねぇ。だから本当に意味がわかんねぇ。



 どれくらい経った頃だろう。

 あたしが返答に困ったまんまでいる途中、蓮の手がゆっくりと離れた。

 ゆらりとなんかの引力に引き寄せられるようにしてテーブルへと向かう。いつものメモ帳に何かを書き始めた。


(筆談、か)


 あたしはなんとか余裕を取り戻そうとあえて笑みを浮かべてみる。


 本当に考えすぎだよ、あたしってば。

 無心で文字を書き綴る蓮の痩せた背中を見ているうちにそんな実感の方が大きくなった。


 見て拍子抜けするようなモンに違いない。そしたらあたしはこう返してやるんだ。



――バッカ! びっくりさせんじゃねぇよ。アラサー女は必死なんだからよ、変な期待させないでくれよな!――



 実際は必死でもなんでもないけど。明るい声でこう言って笑い飛ばしてやるんだって決めてた。

 それなのに。



 瞳を伏せたままの蓮が振り返った。

 色白にしてはやや血色のいい顔。だけど指先はぶるぶる震えたまま、あたしにそれをよこしたんだ。



 紙面を見つめたまま、あたしは凍り付く。



「……お前、これじゃあネタにできねぇだろ」



 笑い飛ばすなんて到底無理な内容。動揺のあまり零れた言葉にあたしは自分で焦った。


「いや、違うんだ。ネタっていうのは、そういうのじゃなくて……」


 だけど上手く説明できなかった。



 あたしから距離を置いた蓮は、もう立っているのも限界といったふうに瞼を固くつぶり、パーカーの袖の中に手を引っ込める。

 砕け散る寸前のガラスみたいに。身体を小刻みに震わせて。


 蓮の目尻に涙が滲むのが見えた。すまん、あたしも限界みたいだ。



「その……蓮。ありがとな。だけど……あたしの答え、もうちょい時間をくれねぇか。今日中はさすがに無理だと思う」


「…………」



「これ、貰ってっていいか?」



 今日最後の問いかけとなったそれに蓮は小さく頷いた。


 よほど怖かったのか、あのお気に入りのタオルを抱き締めて頭から布団に潜っていった。




 あたしは後ろ髪を引かれる思いを感じつつも蓮のアパートを後にした。

 あいつにもきっと考える時間が必要だ。そんな気がした。


 空はまだすみれ色。こんな薄明るいうちにあいつんちを後にするのは初めてかも知れない。

 もう頭回らなくてよくわかんねぇけど……



 あたしんちの最寄駅前のコンビニで缶ビールを二本買った。

 酒で頭の回転が良くなるとも思えねぇ。むしろ鈍らせるモンなのに、あたし何やってるんだろうな。


 考える時間が必要なんて尤もらしい理由をつけたけど、本当はきっと逃げたんだと気付いたのは自宅に着いてダイニングの椅子に腰かけた頃。



 電気一つをつけたまま、呆然と。着替えもしないまま、虚ろな意識で。あたしはふところから取り出したあのメモ紙に視線を落とす。



『葉月ちゃんにどうしても伝えたいことがあります』



 口に出したら切なく響きそうな言葉ばかりが綴られていた。




『5月15日、僕を助けてくれてありがとうございます。僕、凄くびっくりしたから、間違って葉月ちゃんを突き飛ばしていたらと思うと怖くなりました。葉月ちゃんが無事で良かったです。そして僕を命がけで守ってくれたんだと思うと涙が出てきました』



「ば〜か。そこまで考えてなかったっつーの」



 命がけだなんて大袈裟な言葉。改めて見るとちょっと可笑しくてあたしは笑った。

 そのまま続きを読み返していく。



『僕は葉月ちゃんを失いたくないと思いました。僕は葉月ちゃんが好きです。女の人として好きです。本当はずっと傍にいたいです』



『でも葉月ちゃんは無理をしないでほしいです。葉月ちゃんは優しいから』



『僕は時々在宅ワークの仕事をしています。でもほんの少ししか稼げないんです。僕一人分の生活費も稼げないんです。あまり長く働けないんです』



『葉月ちゃんは行ってみたいところ、ありますか? お腹いっぱい食べたいもの、ありますか?』



『僕は連れて行ってあげることも買ってあげることも出来ません。男らしいことも出来ません。葉月ちゃんが喜ぶこと、僕には出来ないと思います。それでも僕は葉月ちゃんが好きだから、一緒にいると苦しくなります。涙が出ます』



『だから葉月ちゃん』



『今までありがとうございました。葉月ちゃんに会えて良かったです。嬉しかったです』




『さようなら』




 ……あたし、ぶっちゃけ告られんの初めてなんだよ。恋愛経験くらいあるよ? だけど、過去の男はみんな自分からは言って来なくてさ、いっつもあたしが痺れを切らして言ってたの。中にはこっちから言わせるように仕組むヘタレっていうか、あざとい奴もいてさ。わかってはいたけど待つのがかったるいからそれに乗ってたって訳。


 こう言っちゃ悪いけど、蓮なんて、弱虫の典型みたいに見えんのにね。すんげぇ勇気を秘めてたんだな。びっくりしたなんてもんじゃねぇよ。しかも別れの挨拶と一緒とか、なんだよそれ。



 蓮。あたしな、嬉しいよ。単純に嬉しいって思う。



 だけど今までとおんなじって訳にはいかねぇよ。ノリで決めちゃ駄目だろ。

 お前はまだ若いんだし、いろいろ抱えてんだし、簡単に考えちゃ駄目だろ。



 可愛いとは思うけどよ……。




 あたしは缶ビールのプルタブを開けた。ブシュッと音を立てて目くらまししやがる。すっかりぬるくなった中身が泡立ってあたしの指を濡らしていく。溢れていく。



 酒豪と恐れられるあたしだけど、今夜は酔いが回っちまう気がした。


 だってあたしも既におかしいよ。“さようなら”ってことは“もう来るな”って意味だろ? 決めるってなんだ。答えるってなんだ。返事はもうちょい待ってくれだ? 何言ってんだよ。目の前の紙をよく見ろ。蓮はそんなの望んじゃいねぇんだよ。


 素直にそこまでだと受け止めりゃあいいものを何を怖がってんだ……あたし馬鹿じゃねぇの。



 視界がゆらゆらしてきた。

 目の前の空き缶が二つから四つになったりまた二つに重なったりしている。


 あたしも蓮と同じように布団にくるまって熱に浮かされることになるんだろうか。


 今夜、あたしたちは寂しさに震えるウサギみてぇに、同じような格好で同じような夜を過ごすんだろうか。


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