✴︎頂き物紹介5&後書き✴︎
読者様、番外編とエピローグお付き合い下さり誠にありがとうございます。
相手のことを知ろうとするのは難しく、限度があるものです。花鈴は最終的には蓮に背を向けてしまったけれど、彼を理解しようとした気持ちは決して嘘ではありません。そして葉月もまた蓮とわかり合いたくて一生懸命頑張りました。
もちろん蓮も何もしようとしなかった訳ではなく、自分はどうするべきか精一杯考えたと思います。だけど彼の特性上、対話をするのが難しかったり、相手の言葉の鋭さに耐えきれずに自分が壊れてしまったり、跳ね返すことも出来なかったりしたのです。
人の縁とは不思議なもので、相性以外にも、タイミングとか環境、精神状態、いろんな条件がそろって、関わった人たちの中でもほんのわずかの人と深く繋がるのだと思います。
なので著者は葉月が正しくて花鈴が間違っていたとは思わないのです。この物語の登場人物全てに言えることですが、みんな正しいところも間違ったところも持っているのです。そしてなんの間違いもせず、誰も傷付けず生きてきた、なんて人もきっといないのでしょう。
だからこそ、恋人や家族や友達になれるのって、本当に奇跡なんですよね。
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では今回も素敵な頂き物をご紹介致します。この頂き物紹介の場も第5弾。本当にありがたいことです! 皆様が心を込めて作って下さったイラストや写真を是非ご覧になっていって下さいませ。
✴︎tori様より
https://mypage.syosetu.com/665605/
きりりとした大人の魅力! 主人公「葉月」のイラストを描いて下さいました。
こんな美人さんと目が合ったらドキッとしてしまいます。芯のしっかりした女性っぽさを表現して下さったとのこと。まさに媚びない自立した雰囲気を感じますね。とてもカッコイイ葉月。著者もときめきました!
落ち着いているけれど華を感じさせる色合いも素敵だなぁと思いました。大人の女性にぴったりなタッチです。蓮にとってもきっと自慢のお嫁さんなんだろうなぁと想像するとほっこりあったかい気分になってきます。
toriさん、イケメン女性・葉月の魅力いっぱいなイラストを描いて下さって本当にありがとうございます!
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✴︎空乃 千尋様より
https://mypage.syosetu.com/537857/
空乃さんが作られた『小説家wiki』という作品紹介サイトにて、私のページ用に作って下さったキャッチフレーズ入りの写真。今度は縦書きバージョンでございます! 作者名も入れて下さいました。
以前頂いた写真も素敵でしたが、縦書きになるとまた雰囲気が変わりますね。文字が見やすいように&作者名を入れてわかりやすくして下さったとのこと。こうして私の作品を応援してもらえて本当に感謝しております!
台詞入りバージョンの方も文字を新しくして作って下さいました。2つの葉っぱに白い文字が映えて一層透明感のある雰囲気に。そしてこのシーンは私も思い入れがあるので、素敵な写真と共に使って頂けて光栄なのです。
空乃さん、写真から応援のお気持ちを感じてとても嬉しく思いました。本当にありがとうございます!
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ここからは完結後の頂き物でございます。完結した後も拙作を愛して下さることに感謝の思いでいっぱいです!
✴︎九藤 朋様より
http://mypage.syosetu.com/476884/
著者への誕生日プレゼントとして描いて下さいました! ほっこり癒し系なお祝いイラストです。
あったかくて優しい雰囲気。可愛い猫ちゃんたちにお祝いしてもらえて嬉しいです。辺りには伸び伸びと泳ぐ魚や海月たち。そして蓮と葉月の姿も! 『あたしが大黒柱』の世界観を表現して下さったんだなぁとすぐにわかりました。
みんな賑やかで楽しそうで見ていると著者も明るい気分になれます。おかげで楽しい誕生日が過ごせました。
朋さん、著者の誕生日祝いと心のこもった素敵なイラストを本当にありがとうございます!
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✴︎上条武流様より
こちらも著者への誕生日プレゼントでございます。著者が以前描いた「葉山蓮」の線画をこんなに素敵に塗って下さいました!
最初に出力して下さったのがこちらだそうです。なんて綺麗……! 上条さんはそれから更に色を調整して下さって……
こちらの方が著者の好みに合うかと思って下さったそうです。つまり色違いバージョン。いやもう、どちらも好みでございます! 塗って下さるということが既にありがたいのに色違いで楽しめるなんて感謝感激! 是非どちらも飾らせて頂きたいのですが、とお願いしてご承諾頂きました。
嬉しそうに海月を見つめる蓮はとても幻想的な光に包まれています。まさに彼の繊細で優しい心が映し出されているような柔らかなタッチ。上条さんには蓮がこんな感じに見えるんだなぁと嬉しく思いました。
上条さんは線画を塗る際、そのキャラクターのことをとても大切に思いながら丁寧に塗って下さるのです。首元の緑を帯びた光は葉月を指しているとのこと。「いつも一緒にいるよ」そんな声が聴こえてくるようです。
上条さん、著者の誕生日祝いと愛情こもった美しい塗りを本当にありがとうございます!
皆様からの頂いたイラストや写真、レビューやご感想、Twitterでの読了ツイート、読みましたというお言葉や応援、どれも著者にとって大切な宝物であり、執筆を続けていく上でとても励まされてきました。大切にさせて頂きます。
今回がこの作品最後の投稿なので、この後もうちょっと語らせて頂きますね。執筆をしていた間に考えていたこととか、ちょっとした思い出話みたいなものですが。良かったらお付き合い頂けると嬉しいです。
さて、この後書きの場をお借りして、小説『あたしが大黒柱』に関するいろいろな思い、考えなどを綴らせて頂きます。
まず著者自身も発達障害や精神疾患を抱えています。聴覚過敏は正確に言うと昔からあったかどうかは定かでないんですが、病気の悪化と共に酷くなってしまったようで、今では日常生活のあらゆることが困難になるほど悩まされております(例えば換気扇や電子レンジの音がつらいので台所に長時間立てないとか、多くの音を拾ってしまいやすいので人の多いところだと目の前の人の声が聞き取れないとかです。家族も協力してくれてはいますが、さすがに一日中私のサポートが出来る訳じゃないので、自分でもある程度はなんとか出来ないと困る訳です)
しかしこの物語では、障害や病気を抱えているのは主人公ではなく“主人公の夫”です。何故このような仕様にしたのか。
理由は大きく分けて3つあるなと気付きました。
1つ目の理由。主観的にではなく俯瞰して見たかったからです。
そうすることで私も落ち着いて内容を整理して書けるような気がしました。書く人によると思います。私はその方が言いたいことを伝えやすいと思ったのです。
また、多くの人に知ってほしい内容だからこそ読みやすさも大切なのではと思い、あまり重すぎない描写にしました。蓮は生活をする上で困難なことが沢山あったから“障害”と呼ばざる得なくなってしまったけど、これは本来彼の特性です。それも含めて彼の個性として書きたい、そんな思いも強かったんだと思います。
2つ目の理由。そもそも主観的に書くのが難しかったからです。
障害、病気を持つ当事者としての目線で書いた方が表現しやすいのでは? と思われるかも知れませんが、私にとってそれは傷痕をグリグリ抉るような行為です。
以前、何度か自分の障害や病気についてのエッセイを書いたことはあるのですが、約3000〜4000文字、それくらいが限界です。
この作品の中では蓮視点の番外編を書いてみたことがありましたが、3話でも相当キツイものを感じました。彼の視点で連載していたら私の心が持たなかったと思います。
そして3つ目の理由。これは最近気付きました。
自由を奪われ続けた過去の自分を救いたかったんだと思います。
どんな酷い目に遭ったんだと思われそうな表現になってしまいましたが、私がこの身に受けてきたそれが本当に悪意だった場合もあるし、善意だった場合もあると思っています。しかし皮肉なことに、善意が人を追い詰めてしまうこともあるのです。
中でも怖いのが、意外にも個人が持つ“正義感”なんだと私は思いました。だって本人はそれが正しいと思って疑いませんから、躊躇もせず人に押し付けてしまうこともあるのです。そして従わなければ悪と見なす。使い方によっては凶器になるのだと今でも思っています。
ただ、私が傷付けてきた人もきっと沢山いるに違いない、そう確信しています。私を支えようとしてくれた人たちも大変な思いをしただろうと。
むしろ周りの人たちの気持ちを考えれば考える程、全てを人のせいには出来なくなって、もっと上手く生きられなかったのだろうか……と、つい自分を責める思考になってしまいます。では私はどうすれば良かったのか。いつ、何処で、誰に助けを求めれば良かったのか。そんな疑問もわいてきて胸がきゅうっと苦しくなるのです。
あまり過去を詳細に話すと私のトラウマがフラッシュバックする可能性があるので控えますが、そんな報われない過去の自分に何かしてやれることはないかと無意識のうちに考えたのかも知れないと思うのです。
そして、きっと私も葉月ちゃんに包み込んでもらいたかったのでしょう。蓮は私のインナーチャイルドなのかも知れませんね。
置き去りにしたまま無理矢理忘れようとした気持ち。今からでもいい、助けてくれって叫んでいるのかも知れません。私はそうなる前に、出来るだけ早く救われるような、打ち明けやすいような世の中になってほしいと願います。
私は専門家ではないので役に立つアドバイスみたいなことは出来ないけれど、こういう現状があるということは発信していける。そんな思いに突き動かされました。
道徳は必要だけど、感性、特性が人と違うのは何も責められることではないはずなのです。むしろ人というのは何かしら違っているものです。目立つか目立たないかの差だと私は考えます。
のびのびと生きていける人が増えますように。どうか生まれ持ったものに罪悪感を抱かないで下さい。みんながそれぞれ素晴らしいものを持っています。
最後は私の個人的な思いを語らせて頂きました。ご覧下さった全ての皆様に改めて感謝申し上げます。今まで応援して下さり、誠にありがとうございました。
七瀬渚




