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あたしが大黒柱  作者: 七瀬渚
第1章/馴れ初めはこんなんで
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4.連絡よこせって


 発達障害と学習障害を持ち聴覚過敏に苦悩している。

 趣味は魚たちと亀の世話。オタク感の中に何処か独特な幻想的世界を垣間見た。


 声がちっさい上にほとんど喋れない、だけど見た目は至って普通に見えちまうイマドキの若者。


――葉山蓮。



 あの夜、会社の最寄り駅のホームで出会った青年に関してわかった情報といったらこれくらいのもんだ。

 とりあえず自殺は阻止できたし、母親もあの翌日に様子を見に行ってるはずだから、元々通りすがりだったあたしの役目もこれで終わり。



 ……と、思うだろ? あたしだってそう思ってたよ。



 社食でいつもの蕎麦を食い終わった頃、あたしはテーブルに片肘を着いて小さなため息を落とした。

 さっきからぼんやりと眺めているのはスマホの画面。そこにはっきりと映ってる。


『葉山蓮』の文字。


 そうなんだよ。なんとまだ繋がってんだよなぁ。どうなってんだ、全く。



 別にこれはあいつの親に「息子の面倒を見てやって!」とか泣きつかれた訳じゃねぇ。結局タクシー代を現金書留で送ってきたような律儀な親だ。そんなふうに出会ったばかりの他人に甘えるなんてこたぁ思いつきもしねぇだろ。


 あいつだよ。あの蓮って奴がメモ紙に書いてよこして来たんだ。トークに便利なアプリ。あれのIDが書いてあった。


 ついさっきまで死のうとしてた奴とは思えねぇくらいキラキラした目をしてよ。時々うつむいてパーカーの裾を引っ張っては「葉っぱ二つ、葉っぱ二つ」ってあの謎の呪文みてぇのを呟いてた。不思議ちゃんか。


 でもよ、駅のホームの上で起こったあれは事実。突き放す訳にもいかねぇと思ったんだ。

 こいつは壊れやすい面を持ってる。家族と同じ空間にも居られなかったぐらいだ。きっと寂しかったんだろうなって。



 いいよ。あたしが相手してやろうじゃん。今でこそキャリアウーマン気取ってるけど、かつては捨て猫みてぇな寂しさを抱えた後輩たちを引き連れてたんだからな。着いて回られるのなんてだいぶ久しぶりだけど、まぁどう相手するかは感覚が覚えてんだろ。


 そんでいつか飽きたら適当〜に離れてくれりゃあいい。だからホレ、言ってみろよ。どんな重い話だって受けて立つぞ!



 って、腹を括って待ってたんだけどな。



 あれからもう五日。




「送ってこねぇのかよ!!」



 そこに名前があるってだけでまぁ〜見事に音沙汰無しだ。ID渡してきた意味がさっぱりわからん。

 なんだかソワソワと落ち着かねぇ気持ちで頭を掻いたりなんかしていたとき。



「あれぇ? 連絡待ち? 茅ヶ崎さんそういうの珍しくない? なになに、もしかしておと……」


「覗かないで下さい。プライバシーの侵害ですよ」



 パタンと手帳型のスマホケースを閉じたあたしは、あえてげんなりとした顔を見せつけるようにして振り返る。声で誰だか予想は出来てたけどな。


「うわ、あっやし〜〜!」


 ニヤニヤした口元に手を添えていやがる。この業界にしては珍しく程よい筋肉を蓄えた体育会系な容姿。綺麗〜な五分刈り頭がトレードマークの男。

 同じ合成部門の同僚、坂口さかぐちだ。


 前から思ってたんだけど人間観察ってやつ? あの趣味ってあたしにはほんっとわかんねぇ。そんな楽しいもんなのか?


 坂口は勝手にあたしの前の席に座り、できたての蕎麦にこれでもかってくらい七味をかけながら、春が来たか〜なんて勝手に呟いてる。

 今は五月下旬だぞ。馬鹿だろこいつ。



 だけどあたしもやっと理解する。

 多分さっきの叫びは思いっきり声に出てたんだろうし、何度もスマホケースを開けたり閉じたりしていたような……気がする。坂口でなくてもこりゃ気付くわな。


(よし、決めた!)


 と、今度は声に出さずに内心で決意を響かせた。


 気がかりなことがあって仕事に集中できないなんて困るからな。切り替えはそれなりに出来る方だと思うけど、念の為? スッキリさせといた方がいいんじゃね??



 そう、これも仕事に打ち込む為よ!



 そんなふうに自分を納得させて、あたしは仕事終わりにあいつのアパートに寄ることにした。


 いきなりじゃびっくりするだろうからな。自閉スペクトラム症のことなら多少は知ってる。予定外の事態が起きると頭パニックになるっていうし、連絡くらいは入れた上でにしておこう。



 坂口とも一旦別れ、女子ロッカーへ寄ったタイミングであたしは少々ためらいつつも親指で文字を打つ。



『今日、18時30分くらいに行ってもいいか?』



 返信来なかったらそこまでと思っておくか……傍らへスマホをしまおうとしたときに振動を感じた。

 何故だかあたしの胸まで震えたような気がした。


 柄にもなくドキドキしながらケースを開けると……



『はい』



「それだけかいッ……!!」



 あたしは額に手を当て海老反りみたいな格好になった。

 なんだろう、あの不思議ちゃんと、関わってると本当……調子狂うな。




 ともかく許可は出たし、行くって言ったからには行くしかねぇ。

 あたしは普段なら数十分程の残業をすることも多いんだけど、今日はきっちり定時で上がった。


「うわ〜、うわ〜〜!」


 って坂口の奴が冷やかしてたけど構うもんか。時間指定しちまったんだ、しょうがねぇだろ。後は勝手にお花畑な想像でもしてろっつーの。




 あんときはあいつ……蓮の奴がフラフラで立っているのもやっとな感じだったしな、何か癇に障っていきなり暴れ出したら手に負えねぇからってタクシー使ったけど、あのアパート、あたしの職場から割と近いんだ。徒歩20分くらい。まだ薄ぼんやり明るいし歩くのなんて余裕さ。


 ついにアパートの前まで来ちまったあたしは『葉山』の表札を前にごくりと喉を鳴らす。

 18時半まであと……1分。なんだか真っ直ぐ定まらねぇ指先に、ビビってんじゃねぇよと言い聞かせ……



 ピン、ポーン



 この瞬間。あいつは時計を見たかも知れない。ジャストってとこだろう。どうよ、この1分のズレもないあたしの気遣い。

 うん、まぁ自己満足だからドヤ顔しないように気を付けなきゃな。


 たし、たし、と床を踏みしめる音が聞こえる。頰が緩んでくる。じわじわと熱を持った実感が増してくる。



(ちゃんと待っててくれたんだ。健気な奴……)



 そこまで考えたところであたしはかぶりを振った。それはガチャリと音を立てて扉が開くのと同時だった。



 あたしを見上げた蓮は不思議そうに目を丸くした。

 変なところを見られちまったと気付いて顔が熱くなった。


「よ、よぉ。元気か?」


「……ん、ん」


 蓮は小躍りでもするように首をクラクラと縦とも横とも言い難い方向へ傾ける。

 YESなのかNOなのかこれじゃわかんねぇ。



 だけどこいつ多分……笑ってる。


 すっげぇ表情薄いし相変わらず顔色も青白いんだけど、あの謎の呪文を唱えたときと同じ仕草。パーカーの裾を引っ張ってもじもじ。これ、嬉しいってことなんだろ?


「よしよし。お邪魔していいか?」


「ん」


「わ……っ、おい、靴ぐらい脱がせてくれよ」


 背中で扉を閉じるや否やあたしのシャツの裾をちょんと引っ張ってくるから思わず苦笑しちまった。

 わざとやってるわけじゃないんだろうけど、こいつの仕草ってゆるふわ女子にも劣らないあざとさなんだよなぁ。



 水族館みたいな水の匂いがしてきた。なんかこいつの匂いのイメージになりそうだ。



 男にしちゃあ結構綺麗に整頓されてる部屋だよなぁ。下手すりゃあたしんちより綺麗なんじゃね? とか思ってたところへ、蓮が2リットルサイズのペットボトルを前に抱いてやってきた。左の人差し指にはマグカップの持ち手が引っかかっている。


「おぉ、わりぃな」


 って言った側からそれをテーブルに置き、中身を注ぎ、そして自分で飲んだ。

 ……あは。まぁ、いいけどよ。


 見たところ椅子は一つしかないから、あたしはベッドを背もたれにしてカーペットの上に直接腰を下ろす。これも別に構わねぇ。ヤンキー時代なんて地べただったんだし。



 こく、こく、と喉を浅く隆起させた蓮が、からになったのであろうマグカップをテーブルに置いた。

 ベッドの上から触り心地の良さそうなタオルを拾い上げ、それで口元を拭ってる。


「なぁ。あの後お前の母さん、来てくれたんだろ。その……大丈夫だったか? メシとかちゃんと食えてんのか?」


 あたしが問いかけると、蓮はタオルを口に当てたまま頭をクラクラさせた。

 ん〜、なんだろこの仕草。なにせ表情がほとんどないからわかりづらいんだけど、もしかして返答に困ってんのかな?



 そうやって考えていた側から蓮が動き出した。何を思ったのかタオルを抱き締めたまま、頭から布団に潜っていく。

 すげぇな。頭からって初めて見たぞ。腰をぴょこぴょこさせてなんかウサギっぽい。つーか尻をこっちに向けるな。


 布団からひょっこり顔を出した蓮は、お気に入りと思しきタオルで口元をさわさわしながら、もう片方の手をこちらへ伸ばす。



「ハヅキ……ちゃ……」



「ん、何だよ」



 …………




 って、ちょっと待て。



 こいつ今『葉月ちゃん・・・』って言わなかったか!?


 やべぇ、鳥肌立ってきた!

 あたしもう二十九だぞ!? 年上なのわかってるよな? あの夜も“お姉さん”って言ってたもんな? いや、見ての通りお姉さんどころじゃないんだけどな!



 あたしは振り向きざまにあんぐりとしていた訳だが、蓮ときたらお構いなしみたいだ。潤んだ目を細め、あたしの肩を指先でつん、つん、とつつく。


 触ってほしいのか? あたしがおそるおそる握り返したその手は少し……熱かった。



「お前風邪引いてんの?」



 ここでまたあたしのお節介が目覚めちまった。


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