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あたしが大黒柱  作者: 七瀬渚
第4章/理解を得るのは困難で
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7.待っててくれてる人がいる


 チチ、チチ、と鳥の鳴き声をかすかに感じてあたしは瞼を開いた。

 カーテンは閉まったまま、でも視界はぼんやりと明るんでいる。晴れの空に際立つ紅葉が目に浮かぶようだ。


 哀愁漂う季節でも寂しくはない朝。隣で半身を起こしている蓮の姿に気付いて目を細めた。多分うっすらと微笑みながらあたしを見てる。


「葉月ちゃ……おはよう」


「おはよう、蓮。気分はどうだ?」


「少し……良く、なっ……」


「そうか」


 おのずと手が伸びた。彼の頭をそっと引き寄せ額同士を合わせてみる。うん、熱はなさそうだ。


 蓮の手にスマホが握られていること、それもちょっと震えていることに気が付いて、あたしは彼の躊躇ためらいを察した。


「職場に電話するのか?」


「ん……」


「落ち着いて話せば大丈夫さ。ゆっくり深呼吸してみ?」


 言われた通りに息を深く吸い込む蓮。細い肩がぎこちなく上下する。

 深呼吸って実はあたしもあんま上手く出来たことねぇんだよな。大体焦ってたり緊張してたりする場面だからさ。でもやらないよりかはいくらか落ち着けると思うんだ。



 蓮がスマホを持って廊下に出て行った後ようやく枕元の目覚まし時計に目をやった。午前9時……って結構寝坊したんだな、あたし。


 昨夜はだいぶ息抜きさせてもらったし、そろそろ現実にシフトしていく頃だろうと思った。コンセントから充電器を引き抜き荷物を纏めると2人分の布団もきっちり畳んだ。



 しばらくして部屋に戻ってきた蓮にどうだったかと訊くと、連絡が取れて安心した、また仕事出来るときに教えてくれとのことだ。冷たくあしらわれた感じではなさそうだし、落ち着いて話を聞いてくれる職場で良かったよ。



(でも……)


 蓮と一緒に洗面所に立ち歯ブラシを口に入れたところでふと止まる。思考も手も。


 何かもやもやする気持ちの正体を探っていくうちに、ああこれだってところに辿り着いた。


(このままでいいのかな……)


 蓮は聴覚過敏があったり社会に馴染めなかったのが理由で外へ出る機会が減っていった。そんな状態でも無理なく働く為に選んだのが在宅ワークの仕事だ。


 でもこの頃はそれも上手くいかなくて落ち込んでた。身体もすっかり弱っちまってる。家にずっといる生活……蓮にとって本当に適切なのか?


 あたしがカウンセリング受けるって話もどうしよう。正直に話したら蓮は自分を責めるんじゃねぇのか? 自分と結婚しなければこんなことにならなかった、なんて。


 でも職場で大人気ない態度を取ったあたしは、自覚している以上に隠し事が下手なんだとわかっちまった。家族なら尚更違和感を覚えるかも知れない。


 あぁ〜! どうしたらいいんだ。隠すか打ち明けるかどっちを選んでも蓮の悲しむ顔しか想像できねぇよ。



――葉月、ちゃ……?



 横からパジャマの裾をつん、と引っ張られてあたしは我に返った。とっくに歯を磨き終えた蓮が眉を寄せた心配そうな顔で見つめてる。


「あぁ、はりぃ、はいほうふだへ」


 歯ブラシを口に突っ込んだままだったから自分でも何言ってんだと思うような言葉になった。照れ隠しとボディーランゲージ代わりに悪戯いたずらっぽい笑顔を見せつけてやった。



 歯を磨き終わってダイニングに行くと母さんと冴子が朝食を用意してくれてるところだった。敦と圭介はもう仕事に向かったらしい。見送りくらいしてやりたかったな。何から何まで申し訳ねぇ……そんなふうに思っていたとき、のそりと動く大きな影で父さんが部屋に入ってきたのがわかった。


「おぅ! おはよう!! 二人ともよく眠れたか!?」


「あぁ、おはよう。寝坊しちまってわりぃな。ちゃんと休めたから大丈夫だ」


「大丈夫、です……!」


 あたしらの返事を聞いた父さんが満足そうに笑う。そのままメシを食おうと促してくれた。



 みんなで囲む食卓はドーム状の暖かな光に包まれているように感じる。団欒という言葉がしっくりくる雰囲気だ。


 胃腸の弱い蓮を気遣ってなのかご飯はふんわり柔らかそうな質感。だし巻き玉子にきゅうりの漬物、それに豆腐とワカメの味噌汁。蓮は魚を仲間だと思ってるから鯵の開きを食うのは躊躇ちゅうちょするかもな。まぁあたしは朝からでもガッツリ食える派だし、モンスター級の食欲を持つ親父もいるから余ってもなんとかなるだろ。


 それにしてもこんな充実した内容の朝食を摂るのは久しぶりだ。座るのさえ久しぶりなんじゃねぇか? 行儀悪いとはわかりつつも支度しながらロールパンに噛り付く毎日だったもんな。


『いただきます』


 父さんの手を合わせる仕草が合図になったんだろう、みんなの声が見事に重なった。


 まずは汁物か。柔らかな湯気が立ち上る器を持ち、ゆっくりと口の中へ流し込んでいくと……


(うめぇ……!)


 喉はもちろんのこと、身体中の粘膜が潤うような感覚を覚えた。なんだか童心まで取り戻した気分。ランランとしたあたしの目に次に映ったのは昔大好きだった漬物。


 ポリ、ポリ、ポリ


 この歯ごたえがたまらねぇ! 白飯何杯でもイケそうだ。


(メシってすっげぇな……)


 今更ながらに感動する。ちらりと横目で伺うと、あたしよりずっと遅いペースではあるけれど蓮も優しい表情をしながら咀嚼そしゃくしているのが見えた。


 言葉は決して多くない、それが却ってみんなの心身を満たしているのを示しているようだった。


 食事は人の心を豊かにするんだ。これからはこういう時間をもっと大切にしていかねぇとな。せわしない都会にいるからこそ見失いたくないことだと思った。




「二人とも帰りは私が送ってくよ」


「ありがとう、冴子。でも子どもたちと旦那が待ってるだろ? 最寄り駅までで充分助かるよ」


「そぉ? ならいいんだけど……」


 あたしの隣で蓮もこくりと頷く。一瞬目を丸くした冴子が次第にその目を細めていく。


「葉月を宜しくお願いします」


 童顔ゆえに子ども扱いされることが多い蓮だけど、冴子の口調はまるで違った。優しいけれど確かに“親友の夫”に対する声だった。


 きゅっ、と手を握ってくれる感触。頷きで返す蓮の横顔は愛おしくも頼もしい。



 そうして実家の最寄り駅まで車で送ってもらったあたしらは電車を乗り継いで帰ることになった。今度は手をしっかりと繋いで。マンションや職場付近よりも遥かに本数の少ない電車がやってくるのを待つ。


 車内に乗り込むと休日なのに結構空いてる。

 あたしらが腰を下ろした座席の向かい側には、恋人にも友達にも見える高校生くらいの男女が楽しそうに話してる。こんだけぴったりと寄り添ってるあたしらも多分夫婦には見えないんだろうなと思うと少しこそばゆくなった。



「もうすぐ着くな。お疲れ」


「ん……葉月ちゃ……ありがと」



 マンションの最寄り駅まで着いて改札を出たところでお互いを労る言葉をかけ合った。

 ベッドタウンやオフィス街は休日の方がやや人が少ない。路地に入ったなら鳥の鳴き声や枯葉の滑る音の方が身近に感じられて、ゆっくりとした時間を過ごしたい今のあたしたちの救いとなった。



「あれ……?」


 しばらく歩いていったときあたしは目を凝らした。車が二台、うちのマンションの前に停まってる。ああ、こういうのはたまに見かけるよ。でも片方の車体はまだ記憶に新しい。


 もしやと思ってあたしは速足になった。手を繋いだままの蓮もちょこちょこと後を付いてくる。


 だいぶ近付いたところで運転席のドアが開いた。それも二台同時だったものだからあたしはびっくりして立ちすくむ。



「茅ヶ崎さん!」


「蓮!」



 声も姿を現わすのも同時だった。

 今度は車の持ち主同士がびっくりした顔でお互いを見てる。


「坂口! 花鈴ちゃん!」


 あたしが二人の名を呼んだから二人も理解していったみてぇだ。



 心から安堵したような表情を浮かべながら先に歩み寄ってきたのは坂口の方。いがぐり坊主を撫で回しながらあたしらに言う。


「突然ごめんね。今日休みだし二人のことが気になって来てみたんだ。そしたら留守で、もしかしたら何処かへ出かけてるのかなと思ってちょっとだけ待つことにしたんだけど……」


 そういや蓮の捜索に協力してもらってるとき住所も教えたんだよな。もし見つけたらあたしに連絡を取った上で送り届けられるようにって坂口が提案してくれてさ。


「ありがとう。昨夜はあたしの実家で世話になってたんだ。休みの日まで気にかけてもらって申し訳ないな」


「ううん、いいんだよ。こうして茅ヶ崎さんの顔見れて安心したし……」


 坂口の視線がゆっくりあたしの隣へと移行する。ニカッと白い歯を見せて言う。


「君が旦那さんだね。いつも茅ヶ崎さんにはお世話になっているんだ」


 あたしは緊張しているであろう蓮の肩にそっと手を置いた。


「あたしの同期の坂口だ。お前のことを一緒に探してくれてたんだぞ」


「あ……す、すみませ……あ、ありがとうございます」


 手は袖の中に引っ込んじまってるけど何度も何度も精一杯頭を下げた。よしよし、とあたしは彼の背中をさする。


 そしてもう一人、礼を言わなきゃならない相手の元へ、蓮をそっと引き連れながら歩み寄った。



「花鈴ちゃん、本当にありがとう。あの後蓮と再会することが出来たんだ。花鈴ちゃんが車を出してくれたおかげだよ」


 フン、と鼻を鳴らした花鈴ちゃんがそっぽを向いてサイドの髪を鬱陶うっとうしげに搔き上げる。多分これ癖なんだろうな。


「だから勘違いしないで。おばさんの為じゃないって言ったでしょ。私は蓮の為に……」


 ちら、と横目でこちらを見た彼女が小さく息を飲んだ。直後、美形の顔が赤く染まっていく。への字になった唇なんてひくひくしちまって。



「花鈴ちゃ……」


「べっ……別にアンタの為でもないけど!!」


(じゃあ誰の為だよ)


 あたしは思わず内心で突っ込んじまった。気が付くと坂口も笑いを堪えてる。かつてあたしの恋愛相談に乗ってくれてたコイツはもう大体を察したんだろうな。



「いま名前聞いてやっぱりと思ったんだけどさ、モデルの二宮花鈴さんでしょ? 俺が来る前からここで待ってたよね? 綺麗な人が乗ってるな〜って思ってたんだ!」


「え……何。見てたの。ってかそんなに待ってないし」


 あたしが苦笑いしてる側でなんと坂口の奴、花鈴ちゃんに声をかけやがった。勇気あるな、お前! この一連の流れを間近で見てた上に、こんなあからさまに「余計なこと言うな」って顔されてんのによ。


「しかもツンデレキャラかぁ〜! シビれるなぁ!」


「……なんなの、このオッサン」


 まさかの性癖だったか。あの花鈴ちゃんが助けを求めるような目であたしを見てくるなんてすっげぇレアだぞ。でもな、花鈴ちゃん。


 あたしは彼女の肩にポンと手を置き囁いた。



「坂口はいい奴だぞ」


「は!? 何、私に紹介しようとしてる? バッカじゃないの、おばさん!!」


「だ・れ・が、おばさんだ」



 やっと言い返してやれた満足感であたしはにんまりと笑った。アンタの毒舌を受けても折れない男ってのも結構貴重だと思うんだけどな。


「もういいでしょ。私帰るわ」


 絶対零度の余韻を残して花鈴ちゃんがあたしらに背を向ける。隣で一歩踏み出す気配がした。蓮が身を乗り出していた。



「花鈴ちゃ……! ごめ……」


「…………」



「花鈴ちゃん…………ありがとう」



 運転席のドアを開ける寸前で彼女は止まった。枯葉が舞う中でアシンメトリーの髪がサラリと揺れる。


 彼女にしては珍しい、シャンソンを思わせるような棘の無いしっとりとした声が返ってきた。



「あまりおばさんを泣かせるんじゃないわよ。その人、全然強くなんかないんだから」



 彼女なりのささやかな仕返しだったのかも知れない。でも芯に善意を潜めた人間の言葉なんてあたしにとっちゃ大したダメージにならねぇんだよ、花鈴ちゃん。


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