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あたしが大黒柱  作者: 七瀬渚
第4章/理解を得るのは困難で
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3.お前はお前だから


 腕の中の蓮に、本当は伝えてやりたいことがいっぱいあった。

 だけど湧き水のように想いが溢れてくるってばかりで、どれもこれも言葉にはならないんだ。


 こういうときってリアクションが大きくなるモンだと思ってたんだけどな、案外そうとも限らないんだなと実感する。


 嬉しい、はずなのに、凄まじい脱力感。メチャクチャ心配して一日の出来事とは思えないくら神経すり減らしたのは事実だけど、怒りの感情は湧いて来ない。


 これでひとまずは安心できる。あたしも、パパさん、ママさん、翼くんに陸くん、花鈴ちゃんも、あたしの職場のみんなも。そういう実感はじわじわと湧いてきた。



「葉月、ちゃ……僕、僕は……う、うぅ……」


 蓮も何か伝えようとしてくれてるみたいなんだけどよ、嗚咽に言葉が飲み込まれちまってて聞き取るのはだいぶ難しい。


「帰ろう、蓮」


 身体を離したあたしは彼へ手を差し伸べる。

 彼はうつむいたままおずおずと触れてくる。

 難しいことは後でゆっくり考えればいいと思った。



 いや……実際は、どうだったんだろうな。



 あたしはこの安らぎにもうしばらく身を委ねていたかったのかも知れない。蓮の正直な言葉を聞くのが怖かったのかも知れない。



「あっ、そうだ。帰りに警察署には寄らせてくれな。一駅だから。余計なことしちまったかも知れねぇけど、あたしどうしても心配でよ、探すの協力してもらってたんだ」


「ん……」



 蓮は小さく頷いた。あたしはよしよしと彼の頭を撫で、手を引いて駅へ向かって歩き出した。




 ここもそこそこのオフィス街。帰宅ラッシュにぶち当たって、駅のホームは結構混んでた。椅子も待合室も空いてないけど蓮の足取りはなんだかおぼつかないから、危なくないようにホームの中でも奥の方で電車が来るのを待ってた。


 まずは蓮の実家に電話、それから花鈴ちゃん。どちらもすぐに出てくれた。

 蓮が無事に見つかったと伝えると電話越しでもはっきり聞こえるくらいの大きなため息をついたところまでそっくりな反応だった。


 ママさんは少し涙声になってあたしに詫びてたな。悪いのはあたしだってのによ。息子の声が聞きたいだろうと思って蓮にも少しだけ電話に出てもらった。落ち着いたらまたゆっくり連絡を取ろうと約束した。


 在宅ワークの事務所はもう留守電になってた。全員退勤したんだろう。しょうがない、これは明日だ。

 あとあたしの職場、川上主任にも伝えなきゃな。そう思っていたところにサアッと風をきって快速が流れ込む。警察署に寄った後にしようと思った。


 まだ実感が充分でないせいなのか、あたしにはあまり周りの音が感じられないけど、本来ならごちゃごちゃうるさい環境だよな。電車の音に放送の音、人々の話し声、あたしの話し声。蓮にはつらいだろうな。早く帰ってあったかい紅茶でも飲ませてやりたい。


 そんな考え事ばかりしていたせいかあたしは油断した。蓮の手を引くのも忘れて先に電車に乗っちまった。



「おい、お前!!」



 野太い罵声が聞こえたのはそのすぐ後だ。

 混雑した車内であたしは振り返り、目を凝らす。


 蓮も電車に乗れてはいた。


 だけどその細い肩は今、大柄な若い男に力強く掴まれている。鋭利な眼差しで睨まれている。

 あたしは震え上がった。すみませんと言いながら人混みを押し除け、すぐにそこへ向かおうとした。



「おめぇ今ぶつかっただろ!? 詫びの一つも無ぇってどういうことよ!?」


「あのっ、すみません! あたしの連れなんです!」


「人が話してんのにヘッドホンも外さない訳!?」


「あの!! 違うんです! それは……っ」



 あたしがやっと辿り着くと、大柄な男は鬱陶うっとうしげな目で今度はあたしを睨んできた。こういうのすっげぇ久しぶり。だけど怯んでる場合じゃねぇ!



「ぶつかったことはお詫びします。勘弁してやって下さい。あとこれはヘッドホンじゃなくて……」


「ああ? なんだ姉ちゃん。俺、こいつに言ってんだけど」


「ごめんなさい。今ちょっと具合が悪くて……」


「知らねぇよ! 普通謝るくらいのこと出来んだろうが!!」



 どんなに腰を低くして宥めようとしても、男の怒りの矛先は蓮へ向かう。ガタガタと震えた蓮は肩を小さくして相手と目も合わせられないままだ。



「ご、ごめ……なさ……」


「あぁん!? 聞こえねぇよ! おめぇ男だよな!?」



 必死に絞り出した声も打ち消されてしまう。

 あたしはついに蓮の前に立ちはだかり、深々と頭を下げた。



「本当にすみません!!」



 頼む。蓮はもう限界なんだ。怒るならあたしにしてくれ。もう昔みたいに喧嘩とかする気無ぇから。

 そんなふうに願いを込める時間だった。


 しばらくして男の方からチッと舌打ちが聞こえた。



「おい、君! いい加減にしなさい!」


 別の声がして顔を上げると、スーツを着た中年の男性が後ろから男の肩を掴んでいた。男は醜く顔を歪ませる。


 それからどけと言わんばかりに人混みを押しのけてあたしらから遠ざかった。

 振り返りざまにこんなことを言った。




「女に守られて情けない奴だなぁッ!!」




 あたしはぐっと唇を噛んだ。それこそ血が出そうなくらいにだ。


 だけどもういい。蓮を無事に解放してくれるならなんだっていいとさえ思ったんだ。昔なら男相手でもブン殴ってただろうに、歳を重ねて守るものが出来ると丸くなってくモンなんだな、人間って。



「こんな少年相手にみっともない」


 男の姿が見えなくなったところで、スーツの男性が眉間にしわを寄せ、ため息混じりに零した。

 我に返ったあたしは彼に対しても頭を下げる。


「本当にありがとうございます。助かりました」


「いやいや、気にしなくていいよ。面倒なことに巻き込まれたね」


 男性は少し身体を屈めて蓮に微笑んだ。



「怖かったね。もう大丈夫だよ。お姉ちゃんがついててくれて良かったね」



 それが夫なんだな。あたしは内心で苦笑した。




 あたしはなんだかんだと切り替えが早い方だと思う。蓮が絡まれたときは必死だったけど、あのリーマンの言葉で少し和んだりもした。


 だけど蓮はやっぱり、そういう訳にはいかねぇみたいだ。


 隣駅に着いて電車から降り立った。

 ホームを少し歩いたところであたしは振り返る。

 迷子みたいに肩を抱き身体を小さくしている蓮がいた。


 ちら、と届いた一言に胸が締め付けられた。あたしは唇をぎゅっと結ぶ。



 今、すっごく小さい声だけど確かに聞こえた。



 僕のせいで……と言って涙ぐんだ。男として大人として、上手く生きられない愛しい夫。


 どうしたらこいつを安心で満たしてやれるんだ。こんなに震えてる心と身体、どうしたら救ってやれるんだ。あたしが強くなってくだけじゃ足りねぇのか?



「あの人なら同じ駅で降りなかったしもう大丈夫だぞ」


「でも、葉月ちゃ、が、怒られた……」


 話しかけてみりゃ蓮の奴、自分が怒鳴られたことよりあたしの心配をしてやがった。

 あたしは数歩進み、片手で蓮の頭を胸へと引き寄せる。



「いいんだ。言いたい奴には言わせときゃいい。あたしはどうってことねぇから」


「僕が、悪いのに……僕……あのとき、声、出なくて」


「わかってるよ。次から気をつけような」



 蓮みたいに泣き虫な男が気に入らねぇって奴はどうしてもいるんだろうな。女が守られる立場で男が守る立場、そういう風潮が未だにあるんだろう。そういうのは本人たちが好きに選んでいいことだと思うんだけどな。



 でもな、蓮。お前はお前だから。大多数の男と同じにならなきゃいけないってことはねぇから。


 それにあたしだって蓮に守られてる。



 手を繋いだらあったかくて、また目頭が熱くなる。あたしが今、こうして立っていられるのだって、お前が傍にいてくれるおかげなんだ。




 オフィスよりかは住宅やファミレスが多い場所。あたしの感覚が少しずつ戻っていってるのか、時々料理のいい匂いが感じ取れる。空は藍色。もう19時近い。夕飯どきだもんなぁ。


 あたしは蓮と並んで歩きながら警察署に電話を入れた。もうすぐ着くんだけどよ、警察の人たちにも世話になったし、早く状況を伝えたかったんだ。




「ご心配おかけしました!」


 警察署内であたしは頭を下げる。迎えてくれたのはあたしの父さんくらいの歳の人で、苦笑いしながら夫婦喧嘩も程々にね、なんて言ってきた。本当に面目ない。


 ちら、と横目で蓮の方を見ると……


「ごっ、ごめ……わく……おかけ、して、もうし……あり……っ」


 いつも以上にたどたどしい声。事の重大さを実感したのか涙目になっちまって。でもまぁ気持ちくらいは伝わってるだろうよ。


 何らか手続きはあるだろうとは思ってたけど、やっぱり本当に捜索中の夫で間違いないのか身元の確認などがされた。今更だけど、捜索願いって結構大掛かりだよなぁ……。




 警察署を出た後はメシどうするか……なんて考えた。安心しきったせいであたしは腹ペコだ。

 そんなときスマホが着信してることに気付いた。


「は? 冴子?」


 すっごい久しぶりにその名前を見た。

 ああ、今まさに自由奔放な歳下の夫に手を焼いてるヤンキー時代からの親友だよ。


 ちょっといいかと蓮に断りを入れてあたしは電話に出る。



『あぁ、葉月ぃ!? やっと出たよ。もう何度もかけてんのに』


「わりぃ、全然気付かなかった。で、どうしたんだ急に」



『は? どうしたじゃねーよ。旦那が行方不明なんだろ!?』



 言われてあたしははっとした。


 またやっちまった。あたし蓮の実家や職場にばかり気を遣って、自分の実家への連絡とかすぐ忘れちまうんだよな。もしかしたらママさんがあたしの実家に電話してくれたのかも知れねぇ。ってかそれしかないよな? で、その話が冴子にも伝わって……



『今何処にいんの!? 私らも今車で回れるところ回って……』


「わりぃ、冴子! ほんっとごめん!! もう大丈夫なんだ! 無事に見つかって、今警察署に行ってきたところなんだ!!」



『はぁぁぁぁ!? 早く言えよ!!』



 頭の上がらない相手がもう一人増えちまった。

 いや、待て。さっき“私ら”って言ったよな。



『おい、旦那無事に見つかったって〜!』


『マジかぁぁ!!』


『心配したぜぇ! 良かったなぁぁ!!』


 よく聞いてみりゃ野太い男の声まで聞こえる。何人で車乗ってんだ!? 冴子の旦那ってこんな喋り方だったっけ?



 あたふたしてたところへ冴子が提案してきた。


『なぁ、葉月たち警察署に寄ってきたって言ったよな。私らも今近くにいるんだ。合流しねぇ?』


 あたしは蓮と顔を見合わせる。冴子が声デカイせいでなんとなく聞こえてたのかな、蓮は頭をクラクラさせて戸惑いを示してる。


『夕飯も今夜は葉月の実家で世話になる予定だったんだ。おいでよ。気分転換にさ』


 散々迷惑かけたのに、冴子はもう気にしてないってふうに、へへ、と笑う。


「うん。ありがと、冴子」


 そしてあたしも蓮に向かって笑うことにした。大丈夫だぞ、怖がることないぞと示す為に(騒がしい連中ばかりだからイヤーマフは必須だけどな)


 蓮は何か感じ取ったのか、あたしに身体を寄せ、あたしの服の裾をちょん、と掴んだ。


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