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あたしが大黒柱  作者: 七瀬渚
第2章/恋人時代はこんなんで
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13.家族になっていく


 あれから蓮の家族について少しだけ知ることとなった。

 実家にお邪魔するといつも出迎えてくれるのはママさんだけだったけど、あたしたちは結婚を前提とした付き合い。いずれはきっと全員と顔を合わせることになる。


 そんな未来が近付いていることを蓮も実感したんだろうか、自分から筆談で教えてくれた。



 蓮のパパである利仁りひとさんは大学教授。弁護士の経験があり法学部で教鞭きょうべんっているとのことだ。


 長男(蓮の兄)のつばささんは司法修習を終えて弁護士事務所に勤務したばかり。


 三男(蓮の弟)のりくさんはスポーツ万能らしい。大学では元日本代表選手が監督を務めるサッカーチームで活躍している。マジでプロになるかも知れないくらいの実力なんだとか。


 蓮のママの仕事については何故か教えてくれなかったんだよな。まあ無理に聞き出す気はないけど……。



 更に幼馴染の花鈴ちゃんはファッションモデル。業界ではオバサン、ラストチャンスだって言ってたけど、雑誌の表紙を飾ることがどんどん増えてるし、この間なんて化粧品のCMにも出てたぞ。流れに乗ってきてるんじゃねぇか?



 最近あたしの周りがハイスペック過ぎる。



 だけど誰よりも魅力的に映るのは……



 病院の帰り。散歩がてらに通りかかった公園。


 秋の涼しさとちょっと寂しさを感じさせるグレーの空と、公園の白樺しらかばの木のもとでこちらを見つめてくる。軽やかに揺れる透明感のある髪、じんわり細められた円らな瞳、乙女みたいにほんのりと染まった頰。


 照れながらおずおずと手を握ってくる仕草。


「薬、身体に合ってきて良かったな。蓮」


 時は流れても想いは衰えない。こいつはただ隣にいてくれるだけで、どんなスペックにも勝る。誰がなんと言おうとあたしにとっては一番だ!



 蓮の鬱症状は少しだけ回復を見せ、うっすら笑顔を見せる頻度も増えた。前の主治医の異動先が見つかって、来月にはそちらに転院予定になっている。安心したのもあるんだろう。


「葉月、ちゃ」


 手を繋いで歩く途中、蓮の歩調が緩くなった。あたしの腕がくい、と後ろに引っ張られる。


 唇を一度固く結んだ彼がやがて、意を決したように遠くの空を見据えて言った。



「僕……この街を、出ます」



 唐突な言葉にあたしは目を見開く。

 蓮にとっては考え続けてやっと辿り着いた答えなんだとは思うけど。



「いいのか? というか、別にあたしはいいんだぞ。確かに結婚したらあのアパートは出た方が暮らしやすいと考えてたけど、お前がこの街を気に入ってるならこの中で物件を探したっていい」


「…………」


「もしかして花鈴さんと住んでた街だからか?」



 それはもういい。あたしはそこまで引きずらねぇよ。そう続けようとしたとき、蓮が首を横に振った。



「けじめ……つけたい」



 浮き出た首筋に魅入る。まただ。また、彼が少し大人の男になったような気がした。



「じゃあさ、あたしのマンションに来ねぇか。あたし、お前と出会うまで結婚する気もなかったからよ、悠々自適な一人暮らしの為にそこそこ広さのある部屋を選んだんだ」


「葉月ちゃ、とこ?」


「ああ!」



 あたしは蓮の手を引いて白樺の木の近くのベンチに向かった。先にドカッと腰を下ろし、腕を頭の後ろに組んで空を見上げる。



「もちろん魚たちとも一緒に暮らせるぞ。リビングはだいぶスペース余ってるから水槽全部置いてもそんなに狭くならない。高さは2500mm、洋室で8帖、なかなかだろ? 寝室は共同になるけど二人で寝るのに6帖もあれば充分だし、後はベッドを新調するくらいかなぁ。さすがにシングルはきついだろうし……」


 はっと我に返って見上げると、蓮がぽかんとした顔をして立ち尽くしていた。あたしは舌先を出して照れ笑いする。


「はは、わりぃ。一度見てもらった方がいいな」


 考えるのが楽しくなって一気に喋りすぎてしまった。反省。彼の手を軽く引き隣へ座らせた。首を傾げてもう一度尋ねる。


「今度あたしの部屋に来てみないか」


「うん」


「よし!」


 また話が一つ進んだ。忙しくなるのはわかっちゃいるんだけど、それが自分らの明るい未来に向けてのことなら、ちょっとしんどいのさえ心地良い。M体質じゃねぇぞ?


 ベンチから立ち上がろうとしたとき、蓮がおもむろにイヤーマフを外すのが見えて動きを止めた。


「大丈夫なのか?」


「ん……」


 テレビさえついていない部屋で過ごしているときはたまに外していることもある。最近その頻度が増えたようにも感じていた。耳たぶの炎症もだんだん綺麗に治っていってる。


「この音……好き」


 彼がぽつりと呟いた。


 浮かせていた腰を再び落ち着かせ、あたしも耳をすませてみる。



 サワサワ……


 サワサワ……


 チュン、チュン



 ああ、きっとこの優しい風の音のことを言ってるんだろうとわかった。あと小鳥たちの鳴き声。


 今更だけど、蓮は全部の音が嫌なんじゃない。蓮にだって好きな音くらいあるんだと実感する。


「あとは。どんな音が好き?」


 あたしは尋ねてみる。


「水槽の泡」


「うん」


「魚たち、の……泳ぐ音」


 話しているうちに、蓮の円らな瞳から光の粒が幾つか零れ落ちた。薄い笑みを浮かべたまま何故か泣いている。


 驚きはしたけど心配にはならなかった。何か感極まったんだろうとわかる。


 そう、例えここが乾いた木々と枯れ葉の踊る公園だって、彼は今、あの川と海の楽園にいる。彼の世界は今、潤っているんだろう。



「そうだな、水槽の音は落ち着くな。あたしも好きだぞ」


「あと……」


「あと?」



「葉月ちゃ、の……音」



 そして締め括りにすげぇ恥ずかしいことを言いやがった。




 その日は夕方まで蓮の部屋で過ごして、あたしの部屋を見るのはまた後日ってことでひとまず解散した。


 自宅マンションのドアを開けると、そのあまりの殺風景さに今更笑えてきた。今まで気にしたこともなかったんだけど。


「あたしってば見事に空間持て余してやんの。友達呼んでパーティーでもするつもりだったのかねぇ」


 実際は仕事でキャリアアップしていく程にそれどころではなくなって、大勢でワイワイやるより一人で酒とつまみを楽しむ方がよっぽど楽になってた。


 趣味というほどの趣味も無かった。寂しくはなかったけど、蓮を知ってしまった今、もう元には戻れそうにない。強くなったんだか弱くなったんだかって気分だ。


「これからこの部屋がもっと賑やかになるのか。蓮だけでなく魚や亀も迎え入れて……」


 あたしたちに子どもをもうけるのは無理かも知れない。だけどなかなかの大家族じゃねぇかと思ったら少し目頭が熱くなる。



 そんなときあたしは気が付いた。


「ん?」


 バッグの中で振動している。この長さはアプリの通知とかじゃない、着信だ。


「ママさん?」


 画面を見て何事だろうと思った。たまに連絡を取ることはあったけど、あっちから来ることはあまりなかったから緊張した。


「はい、茅ヶ崎です」


『葉月さん? ごめんなさい、遅い時間に……』


 いえいえと相槌を打ちながらあたしは部屋の中へと進んでいく。電気のスイッチを入れ、バッグを椅子に掛け、通院関係の話だったときの為に手帳とペンを取り出す。



『さっきね、蓮から電話があったの。前に実家へ来てくれた日の帰りに、幼馴染の子に謝ったって』



「あっ……」



 あたしもすぐにピンときた。


 あれからもう二ヶ月は経ってる。蓮が何故、このタイミングで打ち明けたのかはわからない。だけどこれもまた彼なりのけじめだったんだろうか。


 こういうことも報告すべきだったのかなとあたしの背筋に緊張が走る。しかし謝ってきたのはママさんの方だった。



『ルームシェアの話をしたとき、誤魔化すような言い方をしてしまってごめんなさい。帰りに会ったってことは、葉月さんも一緒だったのよね?』


「はい」


『相手が女の子だったことも……?』


「大丈夫です、聞いていました」


『ごめんなさい……』


「い、いえ! 過去のことですし、あたしは本当に気にしてないですから」



 蓮の気持ちがあたしに定まってるとわかってからは本当に気にしてないし。ママさんだって悪気があって隠すような人じゃないってわかってるし。


 だけどママさんは申し訳なさそうに続けた。


『もう一つお詫びしておきたいことがあるの』


 あたしはごくりと喉を鳴らした。そっと椅子を引いて腰掛けた後も背中は強張ったままだった。




『私の仕事はね……看護師なの』


「そうなんですか」



『それも精神科よ』




 ママさんが。


 多分いま、涙ぐんでる。鼻をすする音が聞こえた。



『私、自覚している以上に葉月さんを信頼していたみたい。こんなにあの子を想い、私の我儘な条件に嫌な顔もせず、実行にまで移してくれる。そんな女性は初めてだったから。貴女に呆れられるのが怖いと思ってしまったの』


「そんな……どうして」


『だって精神科の看護師が我が子の障害を見落としていたなんて……私、こんな情けない母親であることを知られたくなかったわ。自分が診ている患者の方が症状重いと思っていたから、蓮はちょっと個性が強いだけだって……ううん、言い訳よね』



 迷子の少女みたいな声。電話越しのあたしは手を握ってあげることも出来ない。


 だけど気持ちの上では、がしっ! と。ママさんの手を握り締めたような感覚だった。



「あたしだって、妹が自律神経の不調で倒れるまで異変に気付きませんでした。小さい頃から一緒だったのに、どんな性格なのかもよくわかってなかったと思います。発達障害という言葉も割と最近広まったものです」


 学生時代は外で好き勝手やってたし、家のことなんて顧みなかった。


 だけど父さんも母さんも、妹の旦那さんも、事前に気付くことは出来なかった。特に殺伐とした家庭でもないのに。それくらい人の内面的な変化を知るのは難しいんだ。例え家族であっても。


「看護師さんだってプライベートでは一人の女性です。全部を把握するなんて誰にも出来ません!」


 だからこその課題なんだ。他人事ひとごとじゃない。あたしも気を付けなければならない。


「それでも蓮さんを一生懸命守ろうとしたじゃないですか。恥ずかしくなんかないです!」


 力を込めて言ってるうちに涙が込み上げた。



 蓮がママさんの仕事の話をしなかったのは、ママさんが自分を責めているのを知っていたからかも。ママさんが蓮のルームシェアの話をぼかしたのは、息子が見捨てられないようにする為。


 そんなことしなくたってあたしは何処にもいかないのに。不器用な親子だよ。



 お互いに涙声で想いを共有した後、会話の中に少し光が射した。



「また会いに行きますね、蓮さんと一緒に」


『ふふ、良い知らせもあるのよ。次に来てくれたときは、陸も家にいるって。恥ずかしそうにしてたけど、蓮のお嫁さんが見たいって自分から言ってくれたの』


「えぇ! なんだか照れますね……」



 元は他人とは言っても、こうやって少しずつ家族になっていくのかも知れない。


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