第一話「呪い子」その九
次の日の昼、俺は昨日魔術を教えると約束してくれたタルナのじいさんの家に向かった。
川縁に建っている家は相当古く、壁を押すとギシギシと軋む音がした。俺が小さかった頃から既にこんな状態だったが、よくまあ壊れないものだ。
俺はどうでもいいことに感心しながら、玄関のドアを叩いた。しかし、全く返事がない。
「留守か?」
何となくドアの取っ手に手をかけるとすんなり開いてしまった。平和な村とはいえ、何とも無用心だ。
「タルナさん?」
少し開いた隙間から声を掛けてみるが、やはり声は返って来ない。歳が歳なので、俺は心配になった。頼むから魔術を俺に教えるまでは死なないで欲しい。
俺は勝手に中に入った。
まず驚いたのは目に飛び込んできた本の山だ。棚はもちろん、机や床にところせましと積まれている。本好きの俺にとっては宝の山だ。あのじいさんもしかして結構金持ちなのか?もっと早く知りたかったな。幾らラーシン・ドルズの大紀行が面白いとはいっても、何百回と繰り返して読んでれば当然飽きがくる。最初の頃こそ新鮮な感動もあったが、今では旅の参考書として読んでいるようなものだ。読んだことのない本に俺は飢えていた。
しかし、本はまた今度だ。俺は本来の目的を思い出す。
「タルナさーん?」
呼びかけながら奥の部屋を覗いてみるが、ベッドは空だった。どうやら本当に留守だったようだ。となるとこの状況、俺はまるで空き巣だ。誤解されないうちにとっとと帰ろう。
と、踵を返したとき、目の端にちらりと何か動くものを捉えた。何だろうとかがんで机の下を見てみると、そこには毛布にくるまってミノムシのように寝ているタルナのじいさんがいた。
「また凄い寝方してるな……タルナさん、タルナさん!」
俺が体をゆするとようやくタルナのじいさんは目を覚ました。
「んっ、くぉお……あ〜体が痛むのう……お?誰だお前さんは?盗人か?」
勘弁して欲しい。まだ忘却の呪いも発動していないというのに、俺のことを忘れるなんて。
「昨日酒場で話したでしょう……魔術を教えて欲しいって。クロイ・ヴェルネイスです。すみませんけど、返事がなかったので勝手に上がらせtもらいましたよ」
タルナのじいさんは、ゴソゴソと机の下から這い出てきて立ち上がると、首を回してゴキゴキという音を鳴らした。
「おかしいのう。ベッドで寝たと思ったんじゃが……しかしくるまっとった毛布は、ベッドにあったもの。ということはベッドに行ったのは間違いない。なのに寝とったのは机の下……こいつは……ふむ。謎じゃな」
「いやその謎はとりあえず置いといて、魔術を教えてください」
タルナのじいさんは椅子に座ると、机に置いてあった水差しを手に取り、ジョッキに水を注いだ。それからゆっくりと味わうように飲むと、俺の顔をじろりと見た。
「ふぅ。せっかちじゃのう。朝からせかすな。それとワシのことは師匠と呼べ」
「師匠、もう昼ですけど」
タルナのじいさんはもう一度首を回してゴキリと鳴らすと立ち上がり、寝室に入っていくと節くれだった木の杖を持って戻ってきた。
そして俺の前に立つと、両手で持った杖をドンと床に一突きし、小さな体をぐっと反らした。
「さて!ワシがかの有名なマグラサン魔術学校で学んだタルナ・ランダじゃ。言っておくが、そう簡単に魔術を習得出来ると思うでないぞ!」
昨日言っていた学校名と違うのだが、口を挟むのはやめておいた。
「才能あるものが何年と辛く厳しい修行をやり遂げることで、ようやっと魔術師と名乗れる程の術を身に着けることが出来るのじゃ。もし覚えられんでも恨むなよ」
魔術師の数が少ないのは、身分や貧富の差により、平民には学ぶ機会がほとんど与えられないという理由だけではなく、そもそも魔術の素質を持つ者が少ないというのも大きな理由らしい。努力でどうこうなるものではなく、生まれついた特別な才能がいるのだ。
しかし駄目で元々。覚えられたら儲けものだ。
「よろしくお願いします」
「うむ。まずは魔術の歴史についてとっくりと聞かせてやろう、と思うたが……小僧、魔術を見たことはあるか?」
「いえ、一度も」
本の中でしか知らない。
するとタルナのじいさんはにぃぃと口の端を持ち上げ、嬉しそうに笑った。
「そ〜うじゃろうそうじゃろう。誰でも使えるものではないからのぅ。よし、見せてやろう。これも大事な勉強じゃ。では始めるぞ」
タルナのじいさんは杖を左手に持ち替え、右掌を天井に向けて差し出した。
「……光の精霊エル・イーよ」
そして、何事かつぶやき始めると、突然周りの空気がちりちりとけばだったような感覚に襲われた。俺はごくりと生唾を飲み込む。
「我の身体を扉とし、真なる魔力を呼び覚ませ……輝き出でよ、不動の光球」
唱え終わった瞬間、薄暗かった部屋が突然白く染まった。俺はまぶしさに目を細める。まるで昼間の外のような明るさだ。
見るとタルナのじいさんの手の上には、拳大の白く光る球のようなものが浮いていた。小さな太陽のようだ。全く動くことなく宙に静止している。
俺は初めて見る魔術に、興奮を隠し切れなかった。
「す、すごい……!これが魔術……!」
「ふふん、どうじゃ大したもんじゃろう?と、もうええじゃろう。まぶしくてかなわん」
タルナのじいさんが手で払うような仕草をすると、光球はふっと溶け込むように消え、再び部屋は薄暗くなった。
「魔術の発動には五つのことが必要なんじゃ。まずは触媒。ワシの場合この杖じゃな。次に人が古代に交わしたという精霊との契約文の詠唱。ま、いわゆる呪文というやつじゃな。そして三つ目は特性の付与、四つ目は属性、最後は形状の付与じゃ」
解説が始まったようだが、俺はどうすれば自分にも使えるのだろう、と、そればかり考えていた。確かじいさんはまず掌を上に向けた。それから呪文だ。先程の言葉を思い出しながら、俺はつぶやいてみる。
「光の精霊エル・イーよ……」
「特性というのは、今ので言えば『不動の』という部分じゃの。その場から全く動かんかったじゃろ?」
俺はタルナのじいさんを無視して詠唱を続ける。
「我の身体を扉とし、真なる魔力を呼び覚ませ……」
体に何かが流れ込んでくるのを感じる。これが魔力というものだろうか。
「属性は『光』じゃ。まあ当たり前じゃがこれは契約文にある精霊と揃いじゃの。形状は言うまでもなく『球』じゃ」
先程の光がまだ目に焼き付いている。俺は目を閉じて、忘れないうちに頭に光の球を思い浮かべる。それが宙に現れ、強い光を放つ姿を想像する。何だか背中が妙に熱い。
「輝き出でよ……」
「まあ、呪文の詠唱なんぞまだまだ先の話じゃ。素人が唱えたところで歌にもならん。まずは己に眠る僅かな魔力と精霊の大いなる魔力を感じ取り、それから世界との繋がりを実感するのに半年は……って聞いとんのか小僧!」
タルナのじいさんの一喝が飛ぶと同時に、俺は目を開き、最後の呪文を口にした。体に満ちた力を再び外へと導く。
「不動の光球!」
俺の掌の上、何もない空間に小さな光が生まれた。それは瞬く間に膨らむと、拳大の光球となって部屋を照らしだした。
「な…………?!」
「……っ!で、出来た!」
これが魔術!見よう見真似でやってみたが、こんなに簡単に出来るとは思わなかった!不思議な気分だ。まるで自分がおとぎ話の主人公にでもなったかのようだ。
「これで、これでいいんですよね師匠!?成功ですよね!」
魔術を使えたことで、すっかり浮かれきった俺は、呆然としているタルナのじいさんの肩を掴んでがくがくと乱暴に揺さぶった。
それでハッと我に返ったタルナのじいさんは唇をぷるぷると震わせた。
「な、な、な、何で出来るんじゃぁあああっ?!?」
タルナのじいさんがいきなり叫んだので、俺は思わず耳を手でふさいだ。
「っ!さ、才能、ありますかね?」
「才能あるとかないとかの問題じゃないわい!ええか?これを見ろ!」
そう言うとタルナのじいさんは、持っていた杖を俺の眼の前に突き出した。先程は光球に目を奪われて全く気が付かなかったが、よく見ると杖には紋様のようなものがびっしりと刻まれており、うっすらと青白く光っている。
「さっきも言うたが魔術を使うには触媒が必要なんじゃ!このように魔印が一定以上刻まれたものがな!それがなければ人間に魔術は絶対に使えん」
ツバを飛ばしながらぶんぶんと杖を振るので、俺は少し顔を背けた。
「これは外の力をこちらに引き寄せるための目印みたいなもんじゃ。小僧、どこに隠し持っとる。最初から使えたくせに魔術を習いたいなどとワシをからかいおって!」
タルナのじいさんは突然べたべたと俺の体を、その杖にも負けない程節くれだった手で触り始めた。正直気持ちが悪い。
やがて俺の背中にも手を回し始めたタルナのじいさんが、突然弾かれるように手を引っ込めた。
「熱っ!なんじゃお前、背中どうなっとる?」
そう言うや否や、タルナのじいさんは俺の服をまくり上げた。
「待っ」
慌てて押さえようとしたが、止めるのが遅かった。俺の背中に刻まれた呪いの印が、タルナのじいさんの目の前にあらわになった。
「これは……!小僧、お前……呪い子か!」
「いや、これは、その」
うかつだった。まさか見られてしまうなんて。どの道三日経てばこのことも忘れてしまうだろうが、メモを残されたり、誰かに言いふらされたりしては厄介だ。いったいどうしたものだろうか。
しかし、俺が焦っているのをよそに、タルナのじいさんは納得いったように二、三度頷いた。
「なるほどのう……それ程強力な魔印が刻まれておれば、触媒など不要という訳か。普通人体に刻むなど考えられんが……生まれつき身体に持つ呪い子ならば耐えられるのかも知れんのう……」
そういうものなのだろうか。俺はただの呪いの印としか考えていなかったが、魔力の触媒でもあったのか。大体自分の背中なんて見ようと思っても見られないので、普段、気にしたことはほとんど無かった。もちろん肌は見せないよう十分注意してはいたのだが。
「ふむ……ま、そこそこ才能はあるようじゃの……では、次の魔術を教えよう。今度は光球の呪文のようにたやすくはないぞ。ここでは危ないの。森の方に行くぞ」
そう言って何事もなかったかのように、外に行こうとするので俺は慌てた。
「あ、あの?いいんですか?呪い子に魔術を教えるとか重罪なんじゃ……?」
元々個人で魔術を教えること自体罪なのだ。それを忌み嫌われる存在である呪い子に、となると相当重い罪になるのではないだろうか。俺は魔術を教わるどころか、叩き出されるのではと気が気ではなかったのだが、タルナのじいさんは涼しい顔をして、
「減るもんじゃなし。昨日言うたじゃろ。酒さえおごってくれれば誰にでも教えると。呪い子だろうと魔物だろうと関係ないわい。それとも何か?聖月教がワシにおごってくれるとでも言うのか?ほれ行くぞ」
駄目な大人で本当に良かった。