第一話「呪い子」その七
季節は巡り、また春が訪れた。
俺は十三歳になった。あの本に出会うまでは、そして旅人になると決めるまでは、一日が三日にも四日にも感じたものだが、目標を定めてそこに向かうための努力を始めてからは、時間が飛ぶように流れていった。
今日で三度目の挑戦となる。今度こそはジャイフマンを見返してやりたい。
「お手並み拝見と行こうじゃねぇか」
ジャイフマンがふんぞり返って俺を見ている。
「…………」
半年振りの真剣だ。俺は確かめるように最初はゆっくりと振っていく。それから徐々に速度を上げ、あの時ジャイフマンが見せてくれたように、嵐のような剣舞を披露する。鋭く、細かく、激しく。けれど無駄に力は入れない。剣の重みを十分に利用し、俺は剣を振り続ける。。
三十秒……一分……二分を超えても俺の手は止まらない。
「…………もういい」
もうすぐ三分に達するというところでジャイフマンが口を開いた。
振り回していた剣をピタリと止める。体はすっかり熱くなっていたが、俺はまだ息を全く切らしていなかった。文句なしの出来だろう。どうだ!とばかりに俺はジャイフマンを見たが、ジャイフマンの様子はこれまでと違っていた。
俺のことをじっと見つめているのだが、不満気という訳でもなく、感嘆している風でもない。何やら遠くを見るような目をしていた。
「おめぇ……どこで教わった?」
「え?いえ、我流です、けど」
ジャイフマンの剣さばきを参考にはしたものの、実際ほとんど自力で覚えたようなものだ。
「嘘こけ。俺の目は節穴じゃねぇぞ。ちっとでたらめなところはあるが、今のはカルミナの衛兵剣術だ。どこで教わった?」
いつになく真剣な表情をしている。本当のことを言うべきだろうか。とはいえ、あなたのを見て覚えました、などと言えばまたややこしいことになる。俺は真実を少しぼかして答えることにした。
「昔、こんな感じで剣を振るう人を見たことがあるんです。その人の動きを真似るようにずっと練習してきたので、似ているのかもしれません」
それで納得してくれたのかどうかは分からないが、ジャイフマンは片手で顔をなでるようにすると、しばらく黙り込んだ。かすかに目元が光っているように見えるが、まさか泣いているのだろうか。
「……おめぇ、剣術覚えてどうする気だ?傭兵にでもなりてぇのか?それとも山賊でもする気か?」
「い、いえ!ただ旅をするときに身を守る術が欲しいなって、そう思っただけで……」
俺は正直に答えた。
するとジャイフマンは一度ゆっくりと頷いてから、俺の目を真っ直ぐ見た。
「……懐かしいもんを見せてもらった。分かった。教えてやってもいい」
「あ、ありがとうございます……!」
長かった。ここまで来るのに丸一年掛かった。ようやく俺は実力を認めてもらえたのだ。
「……で、授業料は幾らくらいですか……?」
達成感に浸りつつも、俺は気になっていたことを聞いた。何せ子供に難癖つけて金をふんだくろうという、がめついジャイフマンのことだ。既に今回も受験料に30ブローナを払ってはいるが、当然それとは別に要求してくるだろう。しかし返ってきた答えは意外なものだった。
「金はいい。いっぱしになるまでとことんしごいてやる。明日から来い」
いったいどういう心境の変化なのだろう。だが、何にせよ俺にとってはありがたいことだ。
ここからだ。やっと旅立つための第一歩を踏み出せたような気がする。俺はグッと拳を握り、気合を入れ直した。
柔らかい木漏れ日が差す森の中で、カカンッ!カンッ!という乾いた音がこだまする。
右に左に駆け回りながら、俺は木剣でジャイフマンに飛びつくように斬りかかった。
ジャイフマンは俺より一回り大きい木剣で斬撃を難なく受けると、声を張り上げた。
「ちっ、このっ、くそったれが!確かに明日から来いとは言ったが、二日連続で朝っぱらからきやがって!ちったぁ遠慮しやがれ!」
二日連続、とジャイフマンは言ったが実際はそれどころじゃない。俺は実力を認められたあの日から今日まで三年と三ヶ月、幾度となくジャイフマンの下に通い、手ほどきを受けていた。
三日経つとジャイフマンは何もかも忘れてしまうので、当然試験も受け直しになってしまう。となると、その都度金を払うことになるので、その金額もバカにならなかったが、おかげで俺の腕はめきめき上達した。最初の頃なんて、目の前で木剣を振り回されると足がすくんで、踏み込むことすら出来なかった。木剣といってもその辺の枝を持ちやすいように削っただけで、本気で何かを斬りつけたりしたら、こっちの方が折れてしまうような代物なのだが。
しばらく打ち合ったあと、ジャイフマンは構えを解いて、肩を怒らせながらこちらに向かってずんずんと歩いてきた。
三年の間に俺の身長は随分伸びた。今でも大きいことには変わりないが、あの頃は熊のように見えて怖かったジャイフマンも、今ではただの大柄な髭男にしか見えない。
にらみつけてくるジャイフマンを俺は正面から見返した。
「ったく、おめぇ昨日も言ったろ!いいか?衛兵剣術の真髄は四肢を狙うことにあるんだ。頭だの腹だの無闇に狙うんじゃねぇ!」
と、実際は昨日だけでなく三年間言われ続けたのだが、どうしても分かりやすい的である頭や胴体を狙ってしまう。大体手や足を集中して攻撃するなんて何だかみみっちい。俺が昔読んだ恋愛小説に出てきたキザな貴族は、一刀のもとに悪者を斬り伏せていた。ああいう格好いい戦い方がしたいのだ。
「一撃で相手の急所を突いて仕留めようとすんのは、余程の達人か大バカヤロウだけだ。おめぇはどっちだ?ああ?!」
「……どっちでもないです」
「だったら言う通りしやがれ。人間てのはな、どんなど素人でも本能で、急所だけは咄嗟に守ろうとするもんだ。狙ってもそうそうまともに当たるもんじゃねぇ。だが手や足は別だ。熟練者でも注意が行き届いてねぇことがままあるからな」
教わるようになって分かったことだが、ジャイフマンはあんな外見なのに意外と理屈っぽい。
「でも手や足を斬ったところで倒せないでしょう」
俺は言われっ放しなのが悔しくて、少しだけ反論する。
「知ったような口利くんじゃねぇ!おめぇ今日だけで何回斬られた?実戦ならとっくにおっ死んでんだぞ?腕を斬られりゃ剣が持てねぇ。足を斬られりゃ動けねぇ。ついでに言えば出血多量!もうそれで勝負ありだ」
ジャイフマンは木剣を担ぐように持つと、んんっと一度咳払いし、節をつけるように言った。
「葉摘み枝打ち茎を折れ、つぼみ落とすにゃ十年早い。これはカルミナの衛兵が入隊した際に真っ先に教わる言葉だ。葉は手、枝は腕、茎は足だ。つぼみは言わんでも分かるな?」
もう何十回と聞いて耳にタコが出来た言葉だ。ジャイフマンは何かというとこの言葉を口にする。
「肝に銘じとけ。今日はここまでだ」
訓練が終わると、俺はくたくたになった体を引きずるようにして帰宅した。母は畑で取れた作物を隣町に卸しに行ってるので、家には誰もいない。
俺はベッドに体を横たえると、枕元に置いてあった本を手に取った。毎日欠かさずと言っていい程読んでいるラーシン・ドルズの大紀行だ。
ここ数年は体力作りだの剣術の訓練だので、旅人になろうとしているというよりは、戦士にでもなろうとしているんじゃないかと錯覚してしまう毎日だったが、俺は決して夢を忘れてはいない。全ては旅立つ日のための準備なのだ。ラーシンも言っている。準備を怠らぬ者だけが生き残れるのだ、と。焦ってはいけない。
二時間程眠ってから、俺は村の酒場に向かった。
ここ三年で変わったのは、身長や剣の腕だけではない。金の稼ぎ方も大きく変わった。これまでは、よその家の畑仕事を手伝うことで駄賃をもらっていたのだが、もらえるのはせいぜい多くて2ブローナ程度だった。子供の俺にはそれが限界だったのだ。
しかし俺も今年で十五歳になった。この村では十五歳といえば大人と同じ扱いだ。働くことも許可される。俺は酒場で働くようになった。酒場には旅人がよく来るという話を聞いていたので以前から興味はあったのだが、子供だった俺は、何度行っても門前払いをくらうだけだったのだ。
夏の強い日差しを受けながら歩いていると汗が吹き出てきた。
手で額を拭いながら砂利道を進むと、村の入り口の側にある酒場が見えてきた。石造りの年季の入った建物だ。俺が生まれるずっと前からあるらしい。
ドアには「閉店」という看板がかけられているが、俺はそれを無視して中に入る。
薄暗い店内の奥では店主のバーボスが何やら忙しそうに作業していたが、入ってきた俺に気付くと手を止め、顔を上げた。
「まだ店はやってないよ。出直してくれ」
「いえ客ではなく、ここで働かせて欲しいんです」
そう俺が頼むと、バーボスは形の整った髭をなでながら考え込む素振りをした。
「ふむ……若いな。酒場で働いたことは?」
「あります」
それから名前や年齢、出身などあれこれと聞かれた。年齢はともかく、名前と出身はごまかすことにした。この村では誰も彼もが顔見知りなので、詮索されると面倒だからだ。とりあえず俺は、隣町から来たロイ・ネイスと名乗った。やがてバーボスは髭から手を離し、結論を出した。
「よし採用だ。いやね?正直言うと渡りに舟なんだよ。何故だか分からないが今日は妙に忙しくてね。とても一人じゃ手が回りそうになかったんだ。昨日まではそうでもなかったんだがなぁ」
と、不思議そうに首をひねっているが、そりゃそうだ。昨日まで俺が働いていたのだから。今は俺のことをすっかり忘れてしまっているが、昨日のうちに二人分の仕事を用意してしまったのだろう。
「じゃあ悪いけど今日から、というか今から頼むよ」
俺は早速仕事を始めた。まずは店内の掃除だ。
俺はほうきで床を掃いた後、絞った雑巾で隅々まで拭いていく。それから今度はテーブルに上げてあった椅子を全部下ろし、テーブルとカウンターを別の布巾でしっかりと拭いた。
何せ客は上品な貴族ではないので、食い散らかすわ飲みこぼすわ吐くわで、一日でも掃除しなかったら、ゴミ溜めのようになってしまうのだ。
食器類はバーボスが用意しているので、俺は奥の食料庫から芋や野菜を持ってきて、皮をむき、程よい大きさに刻んでいく。この店の名物はコガラシイモの揚げ物だ。といっても料理は三種類しかないので名物という程でもないが、何せ安くて量が多いのでよく注文が入るのだ。俺は芋だけ多めに刻んで置く。
横から俺の仕事ぶりを見ていたバーボスが感嘆のため息を漏らした。
「ほぉ〜……ネイスくん、手際がいいねぇ。酒場で働いた経験があるとは言ってたけど、まるでずっとこの店で働いてたかのようだよ。いや助かるねぇ」
その通り。実際ずっとこの店で働いているのだ。緑花の月からだからもう三ヶ月になる。
開店準備を終え、表の看板を裏返すと、間もなく客がやってきた。小さな村なので大体来る客は決まっている。今日もトッドの父親が一番乗りだ。
「いらっしゃい」
「揚げ芋とエール」
トッドの父親は店に入って座るなりすぐ注文をしてきたが、バーボスは店のドアが開いた時点で既に調理を始めていたので、間を置かず料理が出来上がる。
俺はひしゃくでエールを樽からジョッキに注いで、揚げ芋と一緒にテーブルへ運ぶ。
「お待たせしました」
「はっはっ、別に待ってねーぞ」
と、快活に笑って俺の掌に5ブローナをチャリンと落とすと、上機嫌でエールをぐびぐびと飲み干した。
代金は注文の品を持っていった時にその場でもらうことにしている。何せ酒が進むと客の記憶があやふやになり、飲んだ飲んでないで後々もめることがあるからだ。
俺がおかわりを注ぎに行くと、また客が入ってきた。
夕暮れ時。この時間は丁度村の男達が仕事を終えて帰ってくる頃なので、次から次へと客が来る。
夜になるともう俺は立ち止まる暇もなく、カウンターとテーブルを行ったり来たりの状態だ。
そんな目の回るような忙しさの中で、俺はとある客がしていた会話が気になったので、側を通るときにさりげなく耳を立てた。
「へぇ魔術師ねぇ。生まれてこの方見たこたねぇなぁ」
「本当かどうかは知らねぇがな。興味もねぇし」
魔術師?俺は強く興味を引かれて、仕事も忘れ思わず声をかけてしまった。
「あの!魔術師がいるんですか?この辺りに?」
いきなり店員に話し掛けられた客は、一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに笑って答えてくれた。
「ははは、自称、な。俺ぁ一度も魔術を使ってるところなんざ見たことねぇよ」
「どこに住んでいるんです?村の近くですか?」
つい前のめりになって聞いてしまう俺に、客はグッと体を反らした。
「な、なんだそんなに魔術に興味あんのか?だったら直接本人に聞いてみな。ほれ、近くに住んでるも何も、あそこにいるタルナのじいさんのことだよ」
客が指差した方を見る。カウンターの奥の席で、しょぼくれたじいさんがちびちびと酒をすするように飲んでいた。