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忘らるる人  作者: 北凪
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第一話「呪い子」その六

 それから俺の日常は更に忙しくなった。家の畑仕事、他の家の畑仕事の手伝い、走り込みに加え、筋力を上げるための特訓も始めた。重い石を持って何度も上げ下げしたり、太い枝を束ねてあの剣の重さと同じくらいにして素振りしたり、高い木に片手だけでよじ昇ろうとしてみたり、正しい訓練方法なんて分からないから、俺はとにかく考え付いたことは全部試してみることにした。


 その日も思いついた無茶な訓練をして、くたくたになって帰ってきた俺は、母との無味乾燥な食事を終えて部屋に戻ると、ベッドに倒れこんだ。寝る前にラーシン・ドルズの大紀行を読みたかったのだが、俺は訓練の疲れから、そのまま深い眠りへと引きずり込まれていった。


 翌朝、俺は誰かに揺すられて目を覚ました。


「ちょっと、ちょっとボク!起きなさい!」


 まぶたを開くと目の前に母の顔があった。

 まずい!俺の意識は急激に覚醒した。今日は母が記憶を失う日だった。いつもその日だけは日の出前に早起きし、一旦外に出て玄関から入り直すようにしているのだ。でなければ、母にとっては、いきなり見知らぬ子供が家の中で寝ていることになるからだ。昨日は訓練で疲れていたので、ついぐっすり寝込んでしまった。


「まったく……いつ入り込んだの?人様の家に勝手に上がり込んじゃ駄目じゃない。ボクのお父さんやお

母さんは教えてくれなかったの?」


 父はいません。母は眼の前にいますが教えてくれませんでした。というかそもそもここは俺の部屋です。と、口ごたえしたくなったが、今余計なことを言えば説教は長引きそうだ。俺はうつむき加減で適当に「はい」「すみません」と相槌を打って、聞き流すことにした。


 今朝の母の機嫌はすこぶる悪かったらしく、説教は実に1時間にも及んだ。こういう事態を避けるために普段は気をつけていたのに。不覚だった。

 こうなると事情を説明して理解してもらうのにも、普段より時間が掛かる。説教のあとで、いつものやり取りが始まったのだが、結局一段落したのは昼過ぎだった。


 俺はジャイフマンの家に向かうため、森の中を歩く。

 剣術を覚えるための我流の訓練を始めてから半年が経った。


 本来はもっと早く再挑戦するつもりだったのだが、あの日50ブローナを失ったことはあまりにも痛く、どうしても躊躇してしまったのだ。しかし、いつまでも先延ばしにしていても仕方ない。やり方があっていたかどうかはともかく、俺の体は以前よりたくましくなったように思う。訓練をしていてもそれは実感出来た。


 持ち上げる石は最初の頃より大きな物になったし、束ねた枝を振っても、足がふらつかなくなった。無理かもしれないと思っていた片手の木登りも、何とか出来るようになった。俺は間違いなく強くなった、はずだ。何分全て一人でやっていたので確固たる自信はないのだが。


 視界が開け、幾つもの切り株が見えてきた。そろそろだ。

 

 ジャイフマンの家に着くと、何やら獣の唸り声のようなものがかすかに聞こえてきた。この辺に危険な獣や魔物がいるという話は聞いたことが無いが、俺はおっかなびっくり玄関のドアに顔を寄せて耳を澄ませてみる。


「……ぐぉーぅ!がぉぁーっ!」


 どうやら獣の唸り声の正体はジャイフマンのいびきだったようだ。安心はしたが、俺はどうしたものかと少し考えた。ここで起こすとジャイフマンの機嫌を損ねてしまうかもしれない。とはいえ、今日だってかなり勇気を振り絞ってやってきたのだ。帰ってしまうとまた決心がぐらつきそうだ。


 はてどうしたのものか、と悩んでいると、ジャイフマンのいびきが止まった。どうやら自然に目を覚ましてくれたらしい。


 俺は覚悟を決めてドアをノックした。


「こ、こんにちはー」


「ああん!?」


 明らかに機嫌の悪そうな声が聞こえ、俺は思わず帰りたくなるがそこをグッとこらえ、その場に踏みとどまる。


 少し間があって玄関のドアが開き、ジャイフマンが姿を現す。


「なんだぁおめぇは?村の人間……じゃねぇな」


「ジャイフマンさんに剣を教わりたくて来ました。どうか俺に剣を教えていただけないでしょうか。金なら払います」


 ジャイフマンはジロジロと俺を舐めまわすように見た。


「ふぅん……幾らだ?幾ら出す?」


「……10ブローナでどうですか?」


 俺はあえて前回より少なめの額を言ってみた。前は金持ちだと勘違いされてふっかけられたからだ。最初から大して持っていないふりをすれば、無茶な要求はしてこないだろう。


「舐めてんのか?そんなはした金じゃぁなぁ。30だ。30出しな」


 俺の目論見通り、ジャイフマンは前と違って、30ブローナを要求してきた。


「……分かりました。では30でお願いします」


「ふん、いいだろう。入んな」


 家の中に通される。相変わらず汚く散らかっている家だが、奥の壁にある剣だけは以前と同じように綺麗に並べられていた。前にジャイフマンが言っていた「剣は大事に扱え」という言葉に偽りはなかったようだ。


 奥へ進む途中、ジャイフマンに話しかける。


「……まずは試験ですよね。それが出来たら教えてもらえるということでいいですね?」


 俺がそう言うとジャイフマンは少し驚いたような顔をした。


「お?お、おおそうだ。当たり前だ。俺が教えるにふさわしい実力かどうか見てやろう。出来なかったら帰ってもらうぞ」


 あの日と同じようにジャイフマンは小ぶりな曲剣を手に取り、鞘から抜くと、


「ほれ」


 と、これまたあの日と同じように唐突に放り投げてきた。

俺はそうくるだろうと待ち構えていたので、難なく宙で柄を掴み、受け取る。


「振ってみな。ろくに振れねぇんじゃ話になんねぇぞ」


「はい」


 俺は一度深呼吸し、剣をしっかり握り直した。

 様々な訓練をしてきた中で気付いたことがある。剣を振るときに使うのは腕だけではないのだ。足、腰、腹、背、肩。とにかく全身を使うのだ。束ねた枝を振る訓練を始めた最初の頃、よく筋肉痛になったのだが、痛むのは腕だけではなかった。剣は体で振るもの。そう意識してから訓練を続けているうちに、俺は重い枝の剣も何とか振れるようになった。


 とは言っても本物の剣と枝の剣はまるで違う。訓練で使った枝の剣は、出来るだけ同じ重さにしたつもりだったが、やはりこちらの方が重い。重心も違う。何より真剣であることが俺を緊張させる。


「……行きます」


 心を決め、剣をふりかぶる。腕以外にも意識を集中させろ。全身の力を腕に乗せ、またそれによって生まれた力を全身で支えるのだ。


「ふっ!」


 まず俺は真横に薙ぐように振った。ビュウ!という風切り音が鳴る。体は流れることなく、剣はピタリと静止する。続けざま今度は右上から左下に切り下ろす。今度は逆に左上から右下に。最後は真上から下に薪を割るように振り下ろした。踏み込んだ足と腹にしっかりと力を込め、剣が床に届く寸前に止める。半年前とは違い、俺は一度もよろめくことなく素振りを終えた。


「ふぅ〜……どうですか?」


 息をついて安堵する。よかった。内心ドキドキしていたが、やはり束ねた枝の剣とは違い、断然こちらの方が振りやすかった。これはどう見たって成功だろう。俺はジャイフマンの顔をうかがった。


「………………」


 ジャイフマンは口を開けてぽかんとしたまま俺を見ていた。


「あの……」


 何も言わないジャイフマンに声を掛けると、若干焦ったように喋り始めた。


「あ、ああ。まぁまぁじゃねぇか?ま、これくらいガキでも出来らぁな」


 これは合格、という意味で受け取ればいいのだろうか。


「じゃあ、俺に剣を教」


「そんじゃ次の試験だ」


「は?」


 いったい何を言い出したのだこの熊男は。


「別に試験が一つとは言ってねぇだろうが。おら、剣貸せ」


 そう言うとジャイフマンは俺から剣を取り上げた。

な、なんと潔くない大人なのだろう。子供が遊びで負けたときの言い訳のようだ。しかし逆らっても仕様がないので、俺は黙って成り行きに任せることにした。


「そんな二、三回剣が振れたからってどうにもなんねぇ。見てろ」


 ジャイフマンは試すように一度剣を振ると、すぅーっと大きく息を吸った。そして、凄まじい勢いで、剣を縦横無尽に振り始めた。無数の風切り音が部屋に鳴り続ける。まるで嵐のようだ。


「…………」


 長い。もう一分以上は剣を振り続けている。その間ジャイフマンは一回も、いや一瞬も休んでいない。


「…………っ、かぁー!まぁこんなとこか」


 ようやくジャイフマンはその動きを止めた。結局二分以上にも渡り剣を振り回していた。


「やってみな」


 再び俺のもとに剣が返ってきた。これが第二の試験という訳か。

 俺は内心ほくそ笑んだ。日頃の走り込みで体力には自信がある。それに素振りの訓練なんて、二分どころか二時間近くやることだってあるのだ。やることは第一の試験とそう変わらない。


 俺は意気揚々と剣を振りかぶった。


「始めます!」


 ……しかし、結果は無残なものだった。


「……っはぁーっ、はぁっ、はぁっ……」


 俺は三十秒と持たず剣を落としてしまい、床に膝と手をつき、息を切らしていた。

 どうして?こんな早く体力が尽きるはずは……色々と理由を考えようとするが、疲れで頭が回らない。

 顔を上げると、半年前に見たあのいやらしい笑みがそこにあった。


「おーおーひでぇもんだ。これで剣を教わろうってんだからなぁ?不合格だ。十年早ぇんだよ。さ、帰れ帰れ。俺は急がしいんだよ」


 さっきまで大いびきをかいていたくせに忙しいなんて絶対嘘だ。そう言ってやりたいが、呼吸が乱れて声に出せない。


 ジャイフマンは俺の首根っこを掴むと、そのまま強引に外へと放り出そうとした。

 ようやく息が整ってきた俺は慌てて声を張り上げた。


「ま、待って!お、俺の剣の振り方、何が悪かったんですかっ?!」


 このままではまた金が無駄になっただけで、振り出しに戻ってしまう。俺はすがるような気持ちでジャイフマンの顔を見た。

 するとジャイフマンは考えるように数秒間を置いてから口を開いた。


「……おめぇはあれか?一回一回敵に止めでもさしてんのか?」


「え?それはどういうっ……!」


 意味ですか?と尋ねる前に俺は地面に投げ出された。衝撃に一瞬息が詰まる。


「不合格だっつったろ。教える気はねぇ。帰れうっとうしい」


 ドアがバタン!と音を立てて閉まった。


 しばらく俺はその場に留まっていたのだが、中からいびきが聞こえ始めたので、諦めてジャイフマンの家をあとにした。


 半年前と同じようにとぼとぼと来た道を戻る。だが、怒りや落胆はもちろんあるものの、半年前程消沈してはいなかった。

 少なくとも一歩前進はしたはずだ。次の目標が出来た。


「やっぱりまだ体力が足りないのかな?それとも筋力……?」


 俺はぶつぶつと独り言をつぶやきながら家路についた。


 それから俺は体力強化のために、走り込みの時間を増やすことにした。あれこれ考えてはみたのだが、結局息が続かなかったのは体力不足のせいだと結論付けたのだ。

 俺は素振りの訓練を長時間やることもあったので、あの試験も自信はあったのだが、よくよく考えてみると、俺は訓練のときは一振り一振り間を置いて、自分の振り方を確認するようにゆっくりとやっていた。あんな風に激しい連撃を繰り出したことはなかったのだ。


 きっと体力がつけば続けて剣を振ることも出来るようになるはず……そう考えてひたすら前より走り込みに打ち込んだのだが、結果は芳しくなかった。


「はっ、はぁ、はぁ……」


 今日も森の中で特製の枝の剣を振り回していたのだが、やはり一分も持たなかった。こうなると一気に自信を失ってくる。体力の問題ではなく、ジャイフマンが以前言っていた通り、本当に俺には才能がないのかもしれない。


「いや……」


 違う。ラーシン・ドルズも本の中で言っていた。苦難を乗り越えるための最高の武器は、知識でも力でも才能でもなく考えることだ、と。考えるんだ。俺とジャイフマンの違いを。


 俺はあの日ジャイフマンが最後に言った言葉を思い返す。


「敵に止めでもさしてんのか?」ジャイフマンはそう言っていた。無論俺にそんなつもりはない。ただしっかり力を入れて振っていただけだ。


 俺は一本枝を握り締めると、自分の剣さばきを振り返りながら何となく地面を引っかいた。

 ずーっ、ずーっ、と、直線を引いていく。辺にぶれてもいないし、しっかり剣は振れているはずだ。何がいけないのだろう。


 今度はジャイフマンの剣さばきを思い出しながら地面に書いていく。ずっ、ずっ、と小刻みに線を引いていく。何だか網の目のようになった。



「あっ……」


 そこで俺はようやく気が付いた。線の長さがまるで違う。


「そうか……!」


 俺はバッと立ち上がると剣を構えた。そしていつも通り剣を思い切り振り下ろす。

 これか。これが違うんだ。俺はとにかくしっかり剣を振ろうと、毎回思い切り力を入れて、端から端まで、相手を真っ二つにでもするかのように最後まで振り切っていた。


 しかしジャイフマンは違う。断つというよりは、そぎ落とすかのような動きだった。剣を振り切ることなく、刃を流すように次の攻撃へと繋げていた。俺のように直線的ではなく、その軌跡は曲線を描いていた。


 俺は一つ一つの動きに力を込めすぎていたのか。最初の頃は力も無かったので、自分の振る剣の勢いに負けぬよう全身に力を入れていたのだが、これではすぐに息が上がってしまうのも納得だ。抜くべきところは抜くべきなのだ。以前より力のついた今の俺ならそれもきっと可能なはずだ。


 俺は改めて自分の剣さばきを見直すと、再び日々の訓練に明け暮れた。もちろん金を稼ぐことも忘れずに。

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