第一話「呪い子」その五
旅人になると決めたあの日から一年が経った。
畑仕事の手伝いを終えた俺は、今日も森の中を走っていた。春を迎えた森は、柔らかな空気で心地いい。遠くでピュイッという鹿の鳴く声も聞こえてきて、のどかな気持ちになる。
「ふっ、ふっ、ふぅ〜……ちょっと休憩するかな」
俺は額の汗を手の甲で拭うと大木の根元に腰を下ろした。
毎日走り続けることで体力はついてきたが、俺は戦う術を知らなかった。もちろんそういう事態を避けるのが一番なのだが、いざというときには自分の手で戦うしかない。となると、覚えるべきは、ラーシンも本の中で何度もその腕を披露した、剣術と魔術だ。しかし、
「魔術は無理だろうなぁ……」
大木の幹に背を預け、上を向いた。幾重にも折り重なった枝葉の隙間から、かすかに空が見える。
村の側にある森に住む木こりのジャイフマンは、昔腕の立つ衛兵だったと聞いたことがある。彼に教わることが出来れば剣術は多分何とかなるだろう。しかし魔術に関してはどうにもならないかもしれない。
大きな町に行けば聖月教が設立した魔術学校なるものがあるらしいが、そこまで行くのがまず大変だし、基本的に入学出来るのは貴族と王族だけ。あとは、多額の寄付金を用意出来る商人くらいだという。
実質的に平民が魔術を覚えるのは禁じられているようなものだ。中には安い額で、聖月教に無断で誰にでも教える、外れ者と呼ばれる魔術師もいるらしいが、当然大っぴらに、魔術を教えます!などと言っているものはいないだろうから、探すだけでも一苦労だ。それにそもそもこんな田舎の村に魔術師がいるとは思えない。更に加えて言うなら、魔術を覚えるのには特別な才能がいるという。魔術習得のためにはあまりにも壁が多すぎる。
「ま、いいか」
とりあえず魔術は諦めて剣術を覚えることにしよう。そう結論を出すと、俺は立ち上がり早速森の奥へと向かった。
しばらく走っていると、急に視界が開けてきた。周りを見ると切り株が幾つも転がっている。
小さな頃に一度だけトッドとここに来たことがある。子供たちの間でとある噂が広まったのだ。ジャイフマンは巨人で、見かけた子供は片っ端から食ってしまうという根も葉もないものだったが、当時の俺とトッドはそれを信じて、半ば肝試しにジャイフマンを見に来たのだ。しかし大きな木が幾つも切り倒されているのを見て急に怖くなり、結局どちらともなく走って逃げ帰ったのだった。
さすがに十二歳になった俺は、こんなところに人食い巨人が住んでいるなどとは思っていない……思ってはいないが、自然と足の動きは緩やかになった。断じて怖い訳ではない。ただ騒がしくしては迷惑だと気を遣っただけだ。
歩いていると遠くに煙が昇っているのが見えた。それを目印に更に進んでいくと、ジャイフマンの住居であろう家を見つけた。煙は屋根にある煙突らしきものから吹き出ている。
しかし、これを家と言っていいものだろうか。我が家だってお世辞にもいい家とは言えないが、これに比べたら遥かに高級だ。子供が木切れを適当に繋げて作ったのではないかと思うほど、隙間だらけだ。中で何かが動いているのが見える。恐らくあれがジャイフマンだろう。
玄関の前まで来て、俺は今更ながら重要なことに気付いた。
「……呪いで忘れてしまうのにちゃんと教われるのか……?」
三日で剣術を習得などまず無理だろう。少々面倒だが、その都度、自分はここまで教えてもらったことがある、ここまでは出来ると説明するしかないか。まどろっこしいが、きっとそれで何とかなるだろう。
俺は意を決して、ドアと思われる板切れをノックした。
「誰だっ!?」
いきなり野太い声が中から響いてきたので俺は一瞬怯んでしまう。だが、とりあえず言葉は通じるようで安心した。
「あ、あの!ジャイフマンさん、ですよね?お願いがあって来ました!」
精一杯声を出したつもりだったが、思うように大きな声は出なかった。
「あ〜ん?」
ドアの隙間からかすかに中の様子が見えていたのだが、急に何かで全部ふさがった。その直後ドアが乱暴に開き、中からこげ茶色の大きな物が現れた。
それが毛皮を着た人であることに気付くのに数秒かかった。
「何だガキじゃねぇか。何の用だ」
中から現れた人物は熊のような大男だった。いや、むしろ大男のような熊と言った方がしっくりくる。背丈は俺の倍近くもある。腕も足も毛むくじゃらで、顔を見てもどこから髪だか髭だか分からない。俺は何故巨人の噂が広まったのか今になって納得した。
「け、剣術を教えてもらいたくて来ました。ジャイフマンさんは、前にどこかのお城で衛兵をやっていたと聞いたことがあったので……」
その威圧感に気後れしながらも、俺は何とかジャイフマンに目的を告げた。
ジャイフマンはそのドングリのような眼でジロリと俺をにらんで、ふんと鼻で笑った。
「どうして俺がおめぇに剣を教えなきゃなんねぇんだ?邪魔だ。帰れ」
そう言ってドアを閉めようとするが、そう言われることは想定済みだ。
「金なら払います!」
俺がそう叫ぶように言うと、ジャイフマンはドアを閉める手をぴたりと止めた。
「へぇ……ガキが幾ら出すってんだ?え?」
俺はこの一年で70ブローナ近く金を貯めていた。銅貨70枚。これで親子二人が一週間は食っていける程の額だ。
「……そんなには出せませんけど30ブローナぐらいなら」
この金は本来旅費にあてるためのものだが、必要とあらば仕方ない。俺は思い切って30ブローナを懐の袋から取り出すと、ジャイフマンに差し出した。
それを見たジャイフマンは一瞬驚いた顔をした。
「……ガキの割には持ってやがんな。おめぇ貴族のガキか?言葉遣いも気色悪ぃし」
「いえ、俺は」
答えようとした俺をジャイフマンが手で制した。俺はそれで一旦黙るが、ジャイフマンはその手を下げようとしない。俺に向かって掌を見せ続けている。どういう意味かと思って、俺が再び口を開こうとすると、
「50ブローナだ」
50だって?!剣術指導の相場なんてものは知らないが、幾ら何でも高すぎる。大人にとってはそれ程大した額でもないのかもしれないが、それは俺が半年以上かけてようやく貯めた額だ。子供だからといってなめられないようにと、最初に高めに言ったのがまずかったのだろうか。しかし、値下げ交渉などしたら、この気難しそうな男の機嫌を損ねてしまい、教えてもらえないかもしれない。
「分かりました……お願いします」
俺は泣く泣く更に20ブローナを出すとジャイフマンに渡した。
ジャイフマンがニィっと笑う。
「まさか本当に持ってやがるとはな。まぁとりあえず入れ」
ジャイフマンはその巨体をずらすように下がるとアゴをくいっと動かし、俺に入れと合図した。
俺は恐る恐る中へと足を進める。中も外に負けない程ぼろぼろで散らかっていた。肝心の商売道具である斧は、ほこりをかぶって床に転がっていた。教わる相手を間違えたかもしれない。
しかし、そんなことはすぐに全く気にならなくなった。奥の壁に整然と掛けられている幾つもの剣に俺は目を奪われた。大きさも形もそれぞれ違っている。何もかも古ぼけて汚い家の中で、その一角だけが輝いて見えた。
呆然と見ている俺をジャイフマンが追い抜いて、壁の剣の中で最も小さかったものを片手で無造作に取った。そして鞘から剣を抜くと、品定めするように柄から刃の先までじっくりと眺めた。
それは掛けてある他の剣とは違い、刀身がほんの少し湾曲していて、刃は片方だけにしかなかった。やや細身で、長さは刀身を含め70センチ程だろうか。ジャイフマンが持っていると何だか随分と小さく見える。
「おめぇに使えそうなのはこれくらいか。ほれ」
ジャイフマンが唐突に抜き身の剣を俺に向かって放り投げた。
「のわぁっ!」
俺が慌てて飛び退ってかわすと、剣はガチャン!と派手な音を立てて床に落ちた。
「何すんですか!」
「バカヤロウ!剣は大事に扱え!」
逆に怒られてしまった。理不尽だ。
「じゃあ投げないでください!」
「何言ってやがる。実戦じゃ今のと比べ物になんねぇ速さで刃が飛んでくんだぞ。あれくらい受け止められねぇでどうすんだ。いいから早く取れ」
それはそうかもしれないが何もいきなり投げることはないだろ……と心の中で抗議しつつ、俺は言われた通り床に落ちた剣を手に取った。
ズシリという金属の重みが手から全身に伝わる。薄暗い部屋で鈍く光る刀身に胸が高鳴る。
「……験だ。振ってみろ」
「は?今なんて?」
剣に注意を引かれていてよく聞き取れなかったが、今試験と言ったのだろうか?
「聞こえなかったのか?」
「は、はい」
俺は両手で柄を握ると、一度肩の辺りまで上げる。それから思い切って一気に振り下ろしてみる。
「うわっ、と、と」
遠心力で体が剣に引っ張られ、バランスを崩して俺はよろめいた。
それを見ていたジャイフマンがパンッと両手を合わせて一度大きな音を出すと、
「そこまで!よし失格だ!帰れ!」
そうハッキリと俺に告げた。
呆気にとられる俺からヒョイと剣を取り上げる。そこでようやく俺は我に返った。
「は、はぁ!?何言ってんですか?失格って何です?授業料渡したでしょう!50ブローナも!」
「誰がいつ授業料だと言ったよ。あれは受験料だ。俺が教えるにふさわしい実力を持ってるどうか試してやるってぇことだよ」
ジャイフマンがいやらしい笑みを浮かべる。
俺は動揺して敬語も忘れ、ジャイフマンに食って掛かった。
「ふ、ふざけんなよ!だったら金返せ!」
大人にこんな口の利き方をしたのは初めてかもしれない。
「そっちこそふざけんな。一度貰った金を返す訳がねぇだろうが。少なくともこれくらいは出来ねぇと話になんねぇんだよ。おめぇにゃ才能のかけらもねぇ」
そう吐き捨てるように言うとジャイフマンは片手で剣を構え、凄まじい速さで空を十字に切り裂いた。ビュッ!ビュッ!という小気味いい風切り音が部屋に鳴り響く。俺とは比べ物にならない速さで、しかも片手で剣を振ったのに、その体は全くふらつくことなく、刃はピタリと微動だにすることなく宙で止まった。
「………………」
俺はジャイフマンの巨体に似合わぬ俊敏な動きに唖然とする。
「この程度のことが出来なきゃ教える気にもなんねぇなぁ。おら、とっとと帰れ。二度と来んな。また来たら叩っ斬るぞ」
強引に外へと押し出され、ドアを閉められる。すっかり消沈した俺は、何も言えぬまま来た道を戻り始めた。
森の中をしばらく歩いていると、段々腹が立ってきた。半年以上掛けて貯めた金を5分足らずで無駄に失ってしまった。何が受験料だ。何が試験だ。そもそもこっちは剣術を教えにもらいに来たど素人だ。なのにいきなり剣を振らせて才能が無いなんて無茶苦茶もいいとこだ。
「もうっ!なんだよっ!」
俺は地面を一度思い切り踏みつけた。じぃんという痺れが足を伝わる。それから大きく勢いよく息を吐くと、その場にどかっと座り込んだ。
……落ち着いて冷静に考えてみよう。結果は最悪に終わったが、他に教わる相手はいないのだ。それに素人目に見てもジャイフマンの腕は確かなようだった。やはりあいつに教えを請うのが一番だろう。だが明日、明後日また行ったところで今日の二の舞になるだけだ。金をむしり取られて終わりだろう。本気ではないと思うが叩っ斬るとまで言っていた。少なくともジャイフマンが忘却の呪いで記憶を失うまでは、近寄らない方が良さそうだ。
「でもどうしよう……」
一瞬途方に暮れそうになったが、俺はジャイフマンの勝ち誇ったような顔を思い出して、また腹が立った。金を失ったことよりも、あの見下したような眼に我慢出来なかった。くそっ!何がこれくらい出来なきゃ話になんねぇ、だ!いいさ。だったら完璧に出来るようになって、見返してやる。文句のつけようもないくらいにな!