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忘らるる人  作者: 北凪
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第一話「呪い子」その三

「すみません。本当に助かります。それでは一晩泊まらせていただきます」


 旅人は昔父が使っていたという部屋に案内された。俺はそのあとを追って、旅人がドアを閉める前にすかさず一緒に入りこむ。


「ん?どうしたんだい?」


「宿泊料をまだいただいていないので」


 にこりと笑って見せると、旅人は少し慌てた。


「え、ええ?ただじゃなかったのかい?いや、うーん、そうだよね。幾らだい?」


 旅人は渋々といった様子で、服に負けないくらいぼろぼろの袋に手をつっこんだ。


「いやお金はいいです。その代わり旅の話を聞かせてください」


 俺がそう言うと旅人は、ゴソゴソと動かしていた手を止めて快活に笑った。


「ははははっ!なるほど、それが宿代なら幾らでも払わせてもらうよ」


 そう言うと旅人は、自身がしてきた様々な旅の話をしてくれた。山で魔物に襲われた話。家程もある大きさの巨大な花の話。宝石で散りばめられた美しい城の話。一度だけ空を飛ぶ竜を見たという話。どの話も俺の胸をときめかせてくれた。


 旅人が疲れていることは承知していたが、俺はもっと話を聞きたくて、更に話をせがもうとした。

 しかしそのとき、ドアをノックする音と共に、母が声を掛けてきた。


「残り物で悪いのですが、スープとパンはいかがですか?」


「やぁ、これは申し訳ない。いただきます。あ、悪いけど話はまた後でね」


 余程腹が空いていたのか、旅人はパッと跳ねるように立ち上がると、すぐに部屋を出て行ってしまった。


 俺も仕方なく居間の方に行き、側に座り込んでしばらく母と旅人の話を聞いていたのだが、やれどこそこの領では年貢が少ないだの、何とかいう国の辺りでは戦争がよくあって物騒だの、よその村での収穫量はどの程度だの、先程話してくれたこととは正反対で、つまらない話ばかりだったので、俺は眠くなってきてしまった。


 それでも、と、しばらくは粘っていたのだが、母がスープのおかわりを勧めたところでついに限界が来て、俺はふらふらと自分の部屋に戻ると、ベッドに倒れこむようにして横になった。 少しだけ休んで、また旅人の部屋に話を聞きに行こう、そう思いながら俺は眼を閉じた。

 

 小鳥のさえずりが聞こえてくるのに気付いて、俺はガバッと体を起こした。窓から外を見るまでもない。もうすっかり日が昇り、朝になっている。いつの間にか寝入ってしまったようだ。


 俺は急いで旅人の部屋の前に行き、ドアをノックする。


「どうぞ」


 幸い旅人はまだ部屋にいた。だがもう出るところなのか、荷袋を担ぎ出立の準備をしていた。


「ありがとう。久々にぐっすり眠れたよ。やっぱり家はいいねぇ」


 清清しい表情を浮かべている旅人とは裏腹に、俺はがっくりと落ち込んだ。折角久々に訪れた旅人なのに、何故寝てしまったんだ、と、俺は昨日の自分を恨んだ。


「もう行くんですか?」


 分かってはいたが聞かずにはいられなかった。


「うん。朝のうちに出ないとね。暗くなる前には山を抜けたいんだ」


 旅人は部屋を出ると居間にいた母に礼を言い、玄関のドアを開けた。

 強い光が差し込んできて、俺は一瞬目を細める。


「おーいい天気だ。これなら日暮れまでには大分進めそうだ。それじゃ、ありがとうね!」


 後を追って出てきた俺の頭をくしゃっと撫でると、旅人はすたすたと歩き出した。

 無駄だと分かっていたが、俺はしばらくの間、旅人の背中を未練がましく目で追っていた。


 すると俺の思いが通じたのか、旅人が急に振り向いてこっちに戻ってきた。忘れ物でもしたのだろうか?


「どうしたんですか?」


「いやー……その、昨日君と約束したのを思い出してね。悪かったね。話をあんまり聞かせてあげられなくて」


 旅人は面目ないという顔をする。


「あ、いえ……」


 それだけを言いにわざわざ戻ってきたのだろうか。それともまさか、今からまた旅の話をしてくれるのだろうか。俺は思わず少し期待してしまったのだが、


「話をしたいのは山々なんだけど、今日のうちにどうしても北の山を抜けたいからね。時間がないんだ」


 すぐにその期待は裏切られた。だったらいちいち戻ってこなくてもいいのに……俺は何だか腹が立ってきた。


「だからって訳でもないんだけど……これを君にあげるよ」


 旅人は袋から一冊の本を取り出すと、俺の前にぐいっと差し出した。予想外の展開に俺は面くらい、受け取ろうともせず呆然と本の表紙を見た。赤茶けた皮の表紙には流れるような銀の文字でこう書かれていた。

「『ラーシン・ドルズの大紀行』……?」


「聞いたことはないかい?」


 そういえば以前会った旅人が、一度そんな名前を口にしていた気がする。


「旅人の間では知らない人はいない神様みたいな人さ。たった一人でこの大陸中を歩き回ってね。誰もが羨むような冒険をしてるんだ。これはその人の紀行本さ」


「紀行本?」


 本といえば、辞書と料理本と古い恋愛小説くらいしか知らない俺なので、全く聞き馴染みのない言葉だった。


「旅の体験を記した本さ。君は随分旅の話が好きみたいだからね。きっと気に入ると思うよ」


 旅人はもう一度ぐいっと本を俺に差し出した。俺は何となくそれを両手で受け取ったが、すぐに我に返った。


「こ、こんな高い物もらえません」


 前に行商人に本の値段を尋ねてみたことがあったのだが、家の畑で取れる作物の半分を売り払って、ようやく一冊買えるかどうか、というものだった。どう考えても、子供との口約束に後ろめたさを感じたからといって、ぽんと渡していいものではない。


「いいんだよ。昨日家に招いてくれたお礼とお詫びを兼ねてね。ああいう出会いがしたいからこそ僕は旅をしてるのさ」


 本を持ったまま戸惑う俺に旅人は話を続ける。


「君と僕は多分、いや、間違いなくこれから先一生会うことはないだろう。でもね、僕は君の事を一生忘れないよ。旅ではね、一瞬の出会いが一生の思い出になるんだ」


 俺は正直、なんと大げさで恥ずかしいことを言う人なのだろうと思った。けれど「一瞬の思い出が一生の思い出になる」というその言葉は、忘却の呪い子である俺の心に、深く刻み込まれた。


 彼は忘れないと言ってはくれたが、二日後には俺のことを綺麗さっぱり忘れてしまうだろう。しかし俺は、俺だけは忘れない。その出会いは消えない。彼の言う通り、長い人生の中では一瞬の出来事だが、俺にとっては一生の思い出となるだろう。


「と、今言ったことは全部、その本の中に書いてあることなんだけどね、はは。僕はもう最初から最後まで全部暗記してるぐらい読んでるんだ。それに十分すぎる程僕も良いものをもらったからね。このまま去ったら寝覚めが悪いし。遠慮なくもらえばいいよ」


 昨日母が出した野菜スープのことを言っているのだろうか?そんなに腹が減っていたのか。


「……それじゃお言葉に甘えていただきます。ありがとうございました」


 俺は内心小躍りしたいくらい喜んでいたのだが、なるべく平静を装ってそう答えた。


「うん。じゃ、今度こそさよならだ」


 彼は再び俺の頭を撫でると、先程と同じようにすたすたと軽快に歩いていき、やがてその姿は見えなくなった。


「ありがとう」


 もらった本を大事に両手で抱え込むように持ちながら、俺は既にいなくなった彼に向かって、もう一度礼を言った。そして、


「ごめんなさい」


 と、謝罪もしておいた。二日後に、本がいつの間にか失くなった!?と大騒ぎするであろう彼の姿を思い浮かべながら。

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