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忘らるる人  作者: 北凪
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第一話「呪い子」その一

少しでも楽しんでもらえたら幸いです。

  第一話 呪い子 その一


 世界は広い。そんなことは誰に言われるまでもなく、子供でも知っていることだろう。

 しかし、人は見知らぬ土地に足を踏み入れたとき、やはり改めてこう思うのだ。世界は広い、と。


 俺は大陸の東端にある小さな農村で生まれた。幼い頃の俺は、世界の広さを知らないどころか、自分のいるこの村こそが世界そのものだと信じていた。そして、この世界に絶望していた。


「よう、見ない顔だな。黒髪って珍しいな。どっから来たんだ?」


 人懐っこい笑顔を浮かべた金髪の少年が気さくに話しかけてきた。

 ジロジロと興味深げにこちらを見る彼は、俺の十年来の幼馴染のトッドだ。しかし、ふざけている訳ではない。彼は本当に俺のことを知らないのだ。一昨日、俺のことを全て忘れてしまったのだ。


「あっちからだ。じゃあな」


 そんな異常な状況にもすっかり慣れっこになっている俺は、適当にあしらうと、くるりと背を向けた。


「あっ、おい……」


 なおも話しかけてこようとするのを無視して、俺は足早にその場を立ち去った。


「やっぱり外に出るんじゃなかったなぁ」


 まだ日の明るいうちに外に出たのは失敗だった。これで呼び止められたのは四回目だ。普段は部屋にずっとこもっているのだが、今日は朝から快晴で、あまりにも日差しが気持ち良さそうだったので、つい外をぶらついてしまったのだ。


 歩いていると程なく木造の古い家が見えてくる。

 自宅にたどり着いた俺は、すぅと息を大きく吸ってから、玄関のドアをノックした。幾つになってもこの瞬間は緊張してしまう。


「はーい」


 中から女性の声が聞こえてくる。数秒後、ドアがギィと音を立てて開いた。


「あら?ボク、どこの子かしら?」


 我が家の玄関のドアの隙間から顔を覗かせた、薄茶色の長い髪に銀色の眼をした優しそうな顔の女性は、俺の母だ。その母が不思議そうな顔をして俺を出迎える。ほんの一瞬だけ心がざわつく。


「えー、こんにちは。突然で訳が分からないとは思いますが、俺はあなたの息子です。まずあなたの部屋にあると思うのですが、自分の日記を確かめてみてくれませんか」


「あの……誰か他のおうちと間違えてるんじゃないかしら?それとも何かの遊び?」


 案の定母は怪訝な顔をする。しかし、このやり取りももう何百回と繰り返してきたことだ。


「俺はエナン村のアリシャ・ヴェルネイスの子、クロイ・ヴェルネイスです。クロイという名は、父の名をそのままもらったものです。父はここよりも東の遠い国から来た人間で、十二年前にここを訪れ、その時にあなたと出会い、結ばれた。しかし、父はすぐに村を出て行ってしまい、それからは行方知れずです」


 俺はつらつらと劇の台詞でも言うように、実の母に自己紹介をする。実に馬鹿げているとは思うが、そうする必要があるのだ。


「え…………」


 母の顔色はみるみる変わっていった。


「ち、ちょっと待ってね!日記……日記だったわね」


 そう言うや否や、母はドアを開け放したまま、奥へと引っ込んでいった。

 俺は中には入らず、その場で座り込んで、じっと待つことにした。ちょっと待てとは言われたものの、毎回ちょっとでは済まないことをよく知っているからだ。


 三十分程経って、ようやく母が戻ってきた。顔はすっかり青ざめている。


「私の子、なの?本当に……?」


 母はまだ信じがたい様子だったので、俺は切り札を出した。


「御使いの家に行ってみてください。記録が残っています。俺はここで待ってますから」


「え、ええ……」


 母は動揺しつつもドアを閉め、鍵を掛けると、御使いの家に向かって歩き出した。俺はその背中を座ったまま見送る。


 御使い、というのは聖月教という、この大陸全土に広まっている宗教団体での一つの職名だ。聖月教は多くの国と密接に結びついていて、行政にも深く関わっている。それはこの辺境のエナン村でも同じだ。聖月教で最も位の低い御使いが派遣されており、出生記録などは御使いによって全て管理されている。


「はぁ」


 家の壁に寄りかかって、ため息をつく。ゆっくりと流れ行く雲を眺めながら、俺は先程の母とのやり取りを思い返す。何度も何度も同じ会話を繰り返すことで、俺は自分の心がまるでさび付いていくように感じていた。


 俺は母を知っているが、母は俺を知らない。日記や出生記録を見て、俺が息子であると一応は理解してもらえるものの、そこには思い出も愛情も、何も、ない。

 ずっと一緒にいたはずなのに、俺を知らないという幼馴染も母も、決して病気という訳ではない。これは俺自身に原因があるのだ。そのことを知らされたのは、俺が五つになった日のことだった。


 当時俺は、毎日泣いてばかりいた。友達になったはずの子からは、何故か度々知らない振りをされ、母も妙によそよそしく、まるで他人の子供をあやすような言い方をするのだ。訳が分からず、俺はただただ泣いて日々を過ごしていた。


 そんなある日、御使いが家にやってきた。


「まだかえってきてないです」


 丁度その時母は出かけていたので、俺は聞かれる前にそう言った。自分に用があるとは考えもしなかったからだ。


「そうか、君が……なるほど。その黒い髪は父親に、その銀の眼は母親によく似ている」


 御使いがとても悲しそうな目をしたのをよく覚えている。


「……?」


「今日は君にとても大事な話があって来たんだよ。君は誰かに突然忘れられることがあるだろう?」


 そう言うと御使いは、俺の生まれについてゆっくりと話し始めた。


 ある日この村に、傷だらけの父が訪れた。父はこの辺りでは珍しい黒髪で、遠い東の国からやってきたという。父はクロイと名乗り、傷の癒える間この村に置かせて欲しいと村長に頼み込んだ。村人たちは渋々と受け入れはしたものの、面倒ごとには巻き込まれたくないと、必要以上に父と関わろうとはしなかった。


 しかし、母だけは違った。土地に不慣れなうえ、怪我でろくに動けない父に同情し、すすんで世話をした。それがきっかけで二人は親しくなり、やがて母は俺を身ごもった。


 だが、俺が生まれる前に、父は当初の約束通り傷が癒えると、この村を出て行ってしまった。

 母は悲しんだが、それでも「大切な子だ。一人で立派に育ててみせる」と、周囲の人間によく言っていたそうだ。


 そしていよいよ俺が生まれる日、家には出産を手助けする産婆と、出生を見届け記録する御使いが来ていた。その日は春だというのに雪がちらついていたという。


 朝から十数時間にも渡り、母は苦しみ続け、日が完全に落ちきって辺りが暗くなった頃、ようやく俺が生まれた。


 しかし、歓喜の声に沸くことなく、そこにいた全員が息を飲み、目を見開いた。

 俺の背中にはひび割れた六角形の魔印が、あざのように刻まれていたのだ。


「おお……なんということだ……この子は呪い子だ……」


 御使いは手に持っていた聖書を慌ててめくりながら言った。


「の、呪い子?そんな……」


「この子は……忘却の呪いを受けておる。この子の姿を見たり、声を耳にした者は、三度日が昇ると、こ

の子のことを全て忘れてしまうのだ」


 呪いを受けて生まれる子供は稀にいるらしいが、この忘却の呪いに関してはほとんど記録にも残っていないほど珍しく、また強力なものらしい。


「我が子のことを覚えていられないなんて……!どうにか、どうにかならないのですか!?」


 母は叫ぶように懇願したそうだが、御使いは首を振った。


「私にはどうにも出来ない……すまない」


「う、うう……」


「かわいそうに、かわいそうにねぇ……」


 産婆はすすり泣く母と俺をなでながら、涙を流した。

 こうして絶望の中、俺は生まれた。


 御使いから聞いた話を元に俺が想像した部分もあるので、事実とは多少違っているところもあるかもしれない。何せ五つの俺には話も言葉も難しすぎて、半分も理解出来なかったのだ。

 しかし、その後も度々御使いは俺の家を訪ねてきて、全く同じ話をしてくれたので、歳を重ねるうちになんとか理解することが出来た。


 最初に話に来てくれたときもそうだが、もちろん御使いだけが俺のことを忘れずに覚えていてくれた、という訳ではない。御使いの家にある出生記録には、俺が忘却の呪い子であることが記されており、また、俺が五つになったら呪いについて話すべきだ、というメモも挟んであるそうだ。


 それを書いた御使い自身はすっかり忘れてしまっているのだが、村で新しい子が生まれる際に出生記録を開くと、そのメモが目に入るため、その度俺のところへ話しに来てくれる、という訳だ。

 大変ありがたいことなのだが、さすがに同じ話を何度も涙ながらに語られるのは辛いので、そのメモは処分してくれと、二年前に来た時に頼んでおいた。


 俺は初めてその話を聞いた時、俺についてのメモを、村中の人間にあらかじめ渡しておけば、色々面倒が省けていいのではないか、と、そう思ったのだが、それは御使いに止められた。書いた覚えも、もらった覚えもないメモが家にあれば、皆不審がるだろうし、それ以前に呪い子は忌み嫌われる存在で、迫害を受けることもあるからだそうだ。


 自分の呪いを理解し、俺が世界の誰からも忘れられてしまう人間であることを知った時、俺は、自分がこの世で最も孤独な人間であると悟った。俺のことを覚えている人間は俺しかいないのだ。世界で、たった一人だけ。


 それから俺の世界は大きく変わった。何もかもが意味のないことに思えた。一時期は自暴自棄になり、悪事も働いた。とはいっても所詮子供のやることなので、せいぜい畑の野菜をまだ育ちきってないうちに全部引っこ抜いてしまうとか、人の家の壁に石で傷をつけて落書きをするとか、その程度なのだが。


 それでもイタズラをして、誰かから怒られている時は、生きている実感を得られた。しかし結局は、それもすぐに空しくなってやめた。何をしても三日で忘れ去られてしまうし、それどころか俺がしたことなのに、他の誰かが濡れ衣を着させられ、咎められることさえあったからだ。俺は嫌われること、憎まれることすら許されなかった。


 そして俺は、あらゆる人間との繋がりに興味を失った。それは母に対しても例外ではなかった。幼い頃はなんとか母に好かれようとした。綺麗な花を摘んできたり、家の中を掃除したり、料理を手伝ったり……母は、ただぎこちない笑顔を浮かべるだけだったが、それでもいつかはと信じて、出来る限りの努力をした。


 だがそれらが全て無駄だったと分かってからは、俺は母と距離を取るようになった。それが一番楽だと気付いたからだ。


 最早今の俺にとって、母はよく知る他人でしかない。特に愛情もない。ただ、世話をしてもらっていることには感謝している。母は全く見に覚えの無いはずである俺を、今までずっと引き取って、育ててくれていた。愛情はなくともそれは間違いのない事実だ。出生記録にちゃんと俺が息子であると記されているとはいえ、まるで実感がないのに、と感心する。


 まあ母にしてみれば、十一年間ではなく、三日だけ奇妙な子供を預かってるようなものなのだろうが……。

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