声・1
1話の終盤~
ブーン
車が電気自動車となって久しい現在。排気ガスにむせることもなく横断歩道前を陣取ることができるのは、地球を汚染しつくさんとする人類の反省の色を少し窺わせる。
ただそれでもオゾン層に穴は開いたままであるし、公害問題は枚挙に暇がない。
帰り道。
(あーもう)
火夏のやつ。……いい奴なんだけど、ナチュラルに追い込んでくる。
ゲーセンからの帰り道。
雪成はゲンナリとしていた。
「でさー、そこのミャック、つぶれちゃったんだってー」
――ミャック。
それは全国チェーンの有名ファストフードの老舗だ。
戦後まもなく日本に狙いを定め黒船よろしく乗り込んできたファストフードチェーン。
日本人の度肝を抜く色とりどりの商品ラインナップ。日本になかったハイカラでおしゃれな制服。看板。etc... 目新しさから大衆の目を引きその売り上げたるや、上陸まもなく飲食業界ダントツ。
「老若男女問わず食べていない者はいない」
そう言っても過言はないレベルでヒットを連発させ全国を席巻した業界におけるチャンピオン。
勢いを現すようにノリにノッていた80年代当時、某店舗勤務(現幹部)竹谷弘実26歳などは「追われる者の苦悩? いや、それって追える者がいて初めて感じるヤツですよね?」などと豪語していたものである。
一言で言えばすごかった。
誰もがミャックの一挙手一投足に注目し、中にはミャックが傾けば日本、いや世界が傾くとさえ嘯いてみせるアナリストまで存在していたくらいに。
※のち、企業から接待を受けていたことが発覚するも「で、なにか?」で済んでしまう。
……
悲しいかな。
盛者必衰。昔個性が光まくっていたバーガーも現代ではパクりにパクられた上に、更には改良も加えられ、気づいたときミャックは有象無象の一つと成り果てていた。
驕りもあったのだろう。
変わらないおいしさは確かにあるが、それにかまけ研究を怠ったミャック。残念ながら食べる側の味覚は時代に合わせ変わっていくことに気づくことができなかったのである――
話を戻そう。
火夏はいいやつだ。
きっと今も落ち込んでいるであろう雪成の為、考える暇も与えないようにひたすら話しかけてくれているに違いない。
なんせ、普段火夏は特別おしゃべりというわけではない。かといってだんまりかと言えばそういうわけでもないけれど。それでもある程度演じているのは火夏を知っているものならば明らかである。
でも。
(聞かされたところで、ミャックのバーガー。食べさせてもらえないしなぁ……)
おいしそうなミャックのバーガー。
親の代以前からある駅前の店舗。食べる機会も以前はなかったわけではないが、普段から徹底して健康管理してもらっている雪成は、どうにも嘘がつけないのもあり一人買い食いするのを躊躇ってしまう。
そこで一度倉田に一緒に買いに行こうとフランクに誘ってみたら、
「すぐにシェフに作らせます」
「あうち」
これである。
ここで外で買って食べるのがいいんだと続けられないのが雪成の弱さなのだが。
ちなみに出てきたのはジャンクフードとはけして呼べない。呼んではいけないコース料理であった。
なぜだろうか。
伝言ゲームの妙である。
なんとはなし、チラリと倉田の方へと視線を向けたのは顔を窺おうとしたわけではない。
本当になんとなく”気持ち”振り返り、目線を気持ち後ろのほうへと向けてみたに過ぎない。
「うっ!」
それでもタイミングよく(よすぎやしないか?)――雪成ら二人のちょうど間、3歩後ろに保ったまま美しい姿勢で歩いていたはずの倉田が――ちょうど視野ぎりぎりに収まる位置にてこちらを凝視していたらば、うっかり声が漏れようもので「?」火夏が一時話を止め小首傾げるも「い、いや」口早にごまかす。
(じーっ……)
(見、見てる)
特に最近ゲーセン遊びを覚えてからと言うものあからさまなまでに監視の目がキツくなっており(と言ってもゲーセンに行くこと自体にケチをつけたりは一切してはこない)こうして目で圧をかけてくるのが倉田流。
さ っ さ と か え れ
と。
視線を振り払うように、頭を振る雪成。
(――そもそもなんで外出中もメイド服なんだろう)
家でならわかる。
わかるだけで今時そんな格好をしているメイドがいったいこの世にいくらいるんだと思わなくもないわけだが……
さすがに平成になって久しくも昭和の面影を残すこの土地柄には合わんだろう。突っ込まざるを得ない。
火夏にしろ学園生にしろこの姿に対して突っ込む者がいない(1年最初期のときだけ「メイドだ」「ホントにいるんだ」とザワめいた)ので今自分が抱いている羞恥心は本物なのだろうかとやや不安に陥りがちではあるものの。
ならば今彼にできる事といえばただ一つ。
可能な限り、考えないようにすること。
それだけだけしかない。
(――はぁ、それにしても)
今日の試験は本当に散々だった。
雪成はどこまでも沈み込む沼地に足を突っ込んでしまったような心境にあった。
(もう……これからは学科だけじゃキツい、よな)
試験とはすなわち誇道学園における鼓動の力を計る実技試験のことだ。
これまで雪成はペンの力だけで辛くも首の皮一枚生き延びてきたがこれからはそうは行かないだろう。
(このままじゃ……)
フォローと言うわけじゃないが――これまでペンの力だけで鼓動科でやってこれただけでも奇跡的と言える。
普通は小学校から『これは!』といえる何かを持つものが鼓動科に進む。火夏にしても決して気まぐれで入ったわけではない。
きわめて狭き門であり、いるだけでも誇るべき学科。学園の華なのである。
ただし地味な奇跡は身近にあっても信用ならないもので、家の力だなんだと言われてしまう始末ではあるけれど――その辺に関してはこの少年、鈍いのか何なのかそれほど気にしていないので関係ない。
問題はそこじゃない。
(このままじゃダメなんだ。このままじゃ)
問題は、あくまで背負うものにあり、格好つけたものの言い方をするならば『矜持』にある。
誰も彼に変わる事を要求していないし変わらなくとも平気なのだと思う。
でもそれでは、
(いけないんだっ! ――)
決意を形に。
思わず力強く拳を握りしめんと右手を心臓へと持ち上げ、――
――
――
――
――
―――――――――――――――― 脈絡などはなにもなく。
<< ドクン!!! >>
「ぅあっ!?」突如として跳ねる、己の体。
スタンガンを押し付けられた人間などなかなか見る機会ないものだが、想像で良い。浮かぶイメージとしては上等だ。
(う! うぅ!)
呻く。
そこへ畳み掛けるように続けてもう一度――<<ドクン!>>「がっ!?」2度目は一度目よりハッキリとした衝撃が突き抜け声がこぼれ出る。
(う、ああ……)
右が左か左が右か千々に乱れる視界。
まるですべてが逆転したかのような奇妙な感覚。
体から精神がはがれていく。
(あぁ……。これは、)
やば、ぃ ――
薄らぼんやりとした意識。
車にはねられる瞬間、妙に冷静に「自分はこれから撥ねられるんだ」と理解するように。
己の意識が持たないこともまた理解する。
ブツ、と。
古いブラウン管のテレビを消したときの、残像を残してフッと消えていく様子が近いだろうか。
あまりにも唐突で脈絡のない話だが。こうして、道路の真ん中で雪成の意識は途切れてしまう。
遠くに――なにか自分を呼ぶ叫び声を聞きながら。
もはやそれに応じるどころか、目線を動かすことすら出来ないままに。
■
横断歩道手前。
雪成が一人決意を堅くせんと右手を持ち上げようとしたちょうどその時その横では、火夏は「ふぅ」と一息、両手の指を交互に絡ませ伸ばしていた。
「うー…ん! っと……それにしても、ここの信号ってやたら長いよね」
実際、この時差式信号機は歩行者にまったく配慮されておらず、ずいぶんと前だが某テレビ番組が『日本の長いもの探し』という斬新な企画の取材で訪れたことがあるほどに長い。
「車、ほとんど通らないのに」
そのとき誇道はまだ建設前と言うこともあり、信号を渡る人間が限られていたものだからそれほど問題にもなっていなかったが、今現在は町に出る学生が少ないとは言え以前に比べれば確実に利用者も増えたわけで、一部から改善を求められているわけだが今だ音沙汰がない。
一説には学園側の要請であえて信号を放置することで学生たちが遊びまわるのを防止していると言う噂もなかったわけではないが真偽は不明。
極め付けに、
パァー
特に車の流れが激しいわけでもないのに聴こえてくるクラクションの音。
目の端に映る立ちながらに貧乏ゆすりをするおじさん。
あまり気分のいいものではない。
火夏もこの信号待ちにぶつかるたび小さくイラつかないでもないが、まぁ彼女としては横に並び歩く絶賛反抗期実施中な困った少年に話しかけるのが最近の彼女のトレンドになっているのでさしたる問題にはなってない。
「ね? ユキ――」
なので「いやだな」という表情をどうも作りきれていないと自分でもわかってはいるが、雪成は自分のほうを向いてないしまぁいいかな、なんて。
それでもまさか向かないどころか意識をどこかへやってしまうとは思うまい。
「ユキちゃん!?」
ぐにゃり。
――突然、振り向いてみれば何の前触れもなくグラリ、いや”ぐにゃり”と揺れ倒れかける雪成。
糸の切れた人形という表現があるが、実際は軟骨をぬいたイカ。
「っ!!」
瞬間、一陣の風が火夏の頬をかすめると同時、雪成の体を倉田が全身で支えている姿が火夏の目に映る。
ひざがアスファルトに掠りさえしていない。
「ど、どうし、いったいなにが」
先ほどまでの笑顔のまま固まる火夏。
信号機の赤い光が夕暮れの中ひきつった彼女の顔を照らす。
「いったい」
少し罅の入った、地域の努力でタバコがまったく落ちていないアスファルトの帰り道で、
ミャックの話が尽き、
なんとはなし信号にケチをつけてたその最中。
隣を歩く幼馴染が軟骨をぬいたイカに――じゃなくって、倒れたのである!
「なにが……」
……
ぼうっと、考える。
今日は――
試験。
そう試験。
これからは能力ごとにずっと専門的になり、能力に応じた専門のコーチもそれぞれにつき、中学時代よりもずっと実践形式でライバルたちと切磋琢磨して行くためのリトマス試験紙。
はじめの一歩。
今度の結果如何ではせっかく鼓動科に進んだにも拘らず他科への移動、下手すれば退学だってありうる。
火夏だって、実のところ少し緊張しながら臨んだ試験。
結果はまぁまぁだった。
シュートとガード、ヒールがやや高く、ストライクとロックが低い。
女の子にありがちっちゃありがちな能力値を示していた。
少しホッとして、
でも全然ホッとできない幼馴染が、散々で。
朝、自分よりずっと気合が入りまくってて「お?」と思うも結果は散々で。
試験が終わり、沈んだ雪成についていく形でこのところ通っているゲーセンへと行き、
いつもより少し長めに格闘ゲーム、レースゲーム、シューティングゲームを眺め、
小銭が尽きるのを合図にまっすぐ寮へと向け歩いてそれで……
それで……
……
それから彼女はゆっくりと視線を上げ、
――現実に戻る。
「……っ! ふ!」
顔を振る。
いや! 違う! いけない!
今はぼうっとしてる場合じゃない――落とし込む。
そうだ、幼馴染が倒れたのだ! と。
結局固まっていたのはものの5秒。
両の手で雪成の顔をガシっ! 鷲掴み「ふくふくー!」覗き込むと、
・
・
・
「……あれ?」
疑問符を浮かべることとなる。
なんたって、覗きこんだ先にあるものが――
「えーと」
やや苦悶を感じさせるも、
人を心配させる類のものではなく「あ、こいつ悪夢見てるんだな」なんて、ある程度親しい人ならちょっと微笑ましくなってしまうようなそんな――
「……」
寝顔、だったから――
カァー…
カァー…
カァー…
「……あれ?」
古いアニメの画が浮かぶ。
「ユキ、ちゃん?」
動脈などを手早く確認する火夏。だがやはりというべきか脂汗が滲むでもなく痙攣もしていない。
少し呼吸が浅いようだが体温も、なによりも心音に乱れがないのだから……寝顔なのだろう。
「え? ん? え~と?」
――まさか、急に眠気に襲われた? とか。
いやいやまさか。
路上だよ? 帰り道だよ?
そう思うほどに、普通、なのである。
病人のそれが一切ない。
じゃあ、新しいわがままの形? 帰りたくない的な。これなら彼の状況をかんがみればありえなくもないけれど。
あるいは。まさかまさかの抱きついた勢いで寝てみただけとか。
これはさすがにないかな?
はたまた、ええと、ほかには――
多角的な面から捉えてみることにする。
なんて柔軟な頭脳をしているのだろうか。さすがは誇道学園生徒という他はない。
火夏は改めて倉田の方を見る、が倉田はそんなことは関係なしと抱きとめるばかり。絶対に、膝の一つも大地には触れさせないという決意を滲ませている。無表情だけど。
雪成の症状がどうであれ、まずは倒れかけたと言う事実のみが大切なのだろう。
「うん」
わかりきった姿に納得の頷きを一つ。安心する。
そこで「う~ん」と人差し指をこめかみに当てると、
「……大丈夫、ではありそう?」
誇道の生徒は小学生の時分からレスキューに関する技能を学んでいる。
特に鼓動科はその名の通り心音のスペシャリスト育成を目的創設された学科。
高学年にもなれば心音の乱れだけで疾患の場所までわかるほどである。
まだまだスペシャリストの卵とはいえそんな彼女が心配ないと判断したのだから間違いないといって良い。
ざわざわ。
なんにせよここであまり考えている時間もありそうにない。
次第に周りに人が集まりはじめている。それはそうだ。横断歩道前。学園も近い。そこでとてつもなく美人のメイドに抱きしめられた抜け殻少年。
寝ているだけとわかった以上はとりあえず起こさねばいろいろ問題だろう。
これ以上ここで考えても納得のいく答えが出るとも思えないし。
――うん。
火夏が再び頷くと倉田も同意とばかり目を一つ閉じ――開く。
「ぼっちゃま。――失礼」
平坦な声で主に呼びかけるメイド倉田がおもむろに「はっ!」小さく息を吐く。すると膝の上で仰向けに置かれた雪成の背中辺りからはドンと鈍い音。小さく跳ねる。
見た目としてはバックブリーカー。
いたそう。
それでも病気の類でないならば。
……
……
…
「――ユキ」
「ぼっちゃま」
二人が見下ろす中、
「……、ぅ」
「ユキ!」
まもなく。ゼンマイ人形よろしくビクンビクン小さく痙攣し、ぎこちなくも息を吹き返す。すごい。
これぞ誇道の誇るメイド気付け術のなせる業!
誇道に属するものはメイドもまた一流!
すぐさま倉田は膝の上から雪成を下ろす――と、いつの間にか敷いたハンカチの上に座らせ自身の体を背もたれとして雪成の体勢を楽にする。雪成と身長にさほど差はないが苦労している風でもない。
「ぅ、うぅ……か、かな?」
「うん!」
「お、おぁ……あ」
「うん?」
「………………あー」
「?」
雪成の声は小さく「何?」 ちんぷんかんぷん。
それでも何か言わんとしているのはわかるので火夏は耳を近づけ……
「……かな。おれはぶ――」
「おれはぶ? ……ちくわぶ?」
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溶ける意識。
ゆがむ境界。
果て無き0秒の世界。
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――最初がいつだったか。
わかるのはそれが雪成の都合などお構いなしで起こるということだけ。
気づいたときには決まってとても懐かしい気がする、けれど知らないはずの何もない――あるのは無数の扉だけ。立ちつくす自分を自覚する。
「……ここは」
部屋はずいぶんと広く、奇妙な手作りのガラクタがそこら中に落ちており不気味さを演出している。
薄暗い。かとおもえばはっきりと隅々まで見える。
室内であるにも拘らず学園にある月明かりに照らされたガラス張りの植物園を思い出す。
揺れる壁。
室内なのに風を感じる。
「どこだ」
そのくせ寒くも暑くもない。
それにだ、ここに来てからずっと。変な声が、ぼんやりとだがささやくような――かと思えば3軒隣から叫んでいるような……
(……)
あまりに不確かなので声は自分に話しかけているようでいて、実際は違うのではないかと思えるその声。
なのにどうしてか。
明確に、自分に対し声をかけているのだと確信”して”いる自分がいる。
ならば声をかけて応えてあげようか。
誰とも知れない声に対し恐怖を感じるでもなく、むしろ親しみを覚えた雪成は口を開く。
(あ――あれ?)
でも応えることは出来ない。
なにかが。なにかが自分には決定的に欠けている気がして――声が出せない。
根本的ななにかが。
(……? ……! ……っ ――)
するとなんでか知らず。
彼はワケもわからず無性に寂しくなって。
闇雲に、声を頼りに扉を開け走るのだ。
走る以外に方法がないと泣きじゃくる子供のように。
止まり方を忘れてしまった回遊魚のように。
延々と……。
延々と続く通路を延々と。
延々と。
「声・2」へ続く
分割しました
あと並びかえしました
気絶時のイメージをラストにもってくることで
場面転換ユキ(気絶まで)→火夏(火夏目線気絶まで)→ユキ(気絶中)→火夏(気絶からの目覚めまで)
から
ユキ(気絶まで)→火夏(気絶から気絶からの目覚めまで)→ユキ(気絶中)に