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遠征部隊
没収された阿片の総量は、なんと一万九千百八十七箱そして、
二千百十九袋と記録にあった。
英国と清国の間に数々の諍いが続いたと云う。
その頃の初代商務監督はウイリアム・ジョン・ネーピアであった。
ネーピアは、帝国の武力を後ろに清国を悉く追いつめたが遂にその目的を果たす事が出来なかった。
止むなく彼は清国を後にして母国に引き下がる事になった。
さて、大英帝国はその威信をかけて
極東の権益を守ろうと動き出した。
1840年(道光20年)イギリスは極東に波頭を乗りこえて東洋艦隊を送り込む決断を下した。
英国の保守党ジェイムズ・グラハムは
「このような不義の戦争には、たとえ勝っても如何なる栄光もえられない」
と非難したという。
ウエルズリー
アトランタ
クゥイーン
マダガスカル
ヤング・ヒービー
メルビル
エンタープライズ等々
より優りの軍艦の
大遠征部隊であった。
(陳舜臣著「実録 アヘン戦争」一部引用)