自転車のクラスメイト
それは私が高校生の時でした。
私はクラスの男子がキライでした。
だけれども仲良くやっていなかったのかと言われればそういうわけではなく、うまくやっていた方でした。
その時なにか嫌なことをされていたとか、特定の苦手な人がいるということではなくて、簡単にいえば男性自体が苦手だったのです。
それは小学生くらいの時からずっとそうでした。
ガサツで相手の気持ちなんて考えない子供。
繊細のかけらもなく、人の神経を逆撫でることばかりする。
小さい頃から私の中でそれは重大な悩みでした。
いくら注意しても直してくれないし、毎日学校に行くのが憂鬱になるほど嫌だったのです。
だから私は、ある時子供ながらに決意しました。
どうにもならないんだから、相手にしなければいいんだと。
最低限の対応をして、かといってクラスの和を乱したり雰囲気を悪くしたりせずに、うまく付き合えばいいんだと。
まともに相手をしてはいけない。
そうすることで次第に私の心にのしかかっていた重石は取れ、いつしかそれが当たり前となり、心の中に鉄壁を作りあげていたのでした。
でも、年を経るにつれ、周りの友達も、段々と異性に惹き寄せられるようになっていきました。
あれだけ嫌がっていたのに、そんなことも忘れて好きな男子のことで盛り上がれるのって、私には信じられませんでした。
みんなは変わっていくのだけれども、私はどうしても変われずにいました。
それが良いのか悪いのかと言われれば、私個人とすればどちらでもないのだけれど、世間一般からすれば良くないことなんだろうなとは思っていた。
でも、無理をしてまで変わりたいかと言われればそういうわけでもなく、なんとなく私はずっとこのままなのだろうと考えるのでした。
そんな高校時代のある日、学校からの帰り道のこと。
下校直前の夕立で道が酷くぬかるんでいました。
その日の私は朝から体調が悪く、早く家に帰って薬を飲んで寝ることばかり考えながら時間が過ぎるのを待ちました。
早退すれば良いと思うかもしれませんが、私はどうもそういうのが苦手で、登校したんだから最後の授業まで出席してから帰ろうと考えてしまうのです。
しかし私はもう限界を迎えていました。
見た目にも様子がおかしいのか、心配して声をかけてくれる友達はいたんだけど、私は笑って大丈夫だと言いました。
私は授業を終えると所属していた部活も休み、すぐにクラクラしながら自転車で帰宅しました。
誰にも心配をかけずに早く帰らないといけない。
目眩というか意識が飛ぶというか、はっきりしない状態ではありましたが、家に帰ればなんとかなると思いひたすら自転車をこいでいました。
どんよりと曇った空の下、まだ誰もいない土手を走ったのだけれど、真っ直ぐ走っているのか傾いているのかそれすらも曖昧な感じでした。
そして悪いことは重なるもので、一瞬ガクンッと意識が落ちたかと思うと、私は転がり落ちるように土手の下の森の中へ自転車ごと私は転落していきました。
体中あちこち切り刻まれながら、どうすることもできずに転がり落ちる私。
体調が悪いのでその痛みはとても酷く、何度も何度も痛みが続いていく。
あっという間に私は森の底まで落ち、そのまま動けなくなってしまいました。
制服も泥だらけで、あちこち切れてしまっている。
それは私の体だけではなくて、私の心も切り刻んでいったのです。
もう、やだ…
私がどうにもできずに泣いてしまいそうになっていたその時でした。
「おい、大丈夫か?」
土手の上から私に誰か声をかけてくれました。
それはとても突然で、私は驚いて顔を上げると、そこにはクラスメイトの佐々木君がいました。
佐々木君は土手を機敏に降りてくると、私の前にしゃがみ込みました。
「動けそうか?」
佐々木君は私を心配そうな目で見ながらそう声をかけてくれたのだけれども、私は何と言って良いのか分からなくって佐々木君の顔を見ることすらできませんでした。
「大丈夫。平気だから」
私は誤魔化すように笑いながら何とか1人で立ち上がろうとすると、佐々木君は何も言わずすっと私を持ち上げました。
何をどうされたのかわからないけれども、ふわっとして気がついたら立たされていた。
それは凄く強い力。
でも、とても優しく柔らかいものだった。
「お前、大丈夫なわけないだろ」
佐々木君はカバンからペットボトルの水を取り出すと、キャップを開けて私の足にかけ始めました。
「ちょっ…ちょっとやめてよ!」
私は突然のことで驚いてしまい声を大きくしてしまったのだけれども、佐々木君はそれにも構わず水をかけ続けました。
「ここ湿ってるし森だぞ。こんな切れてるのに放っておいたら、破傷風菌が入り込んで足切断だぞ」
私は破傷風という言葉でドキッとしてしまい、佐々木君がするがままに足に水をかけられ続けた。
「うん、分かった…」
佐々木君は私の足を水で洗うと、カバンからタオルを取り出して私の足をキレイに拭いてくれた。
そして、私の泥だらけになっている手も拭き、私の制服もざっと泥を払ってくれた。
私はとても恥ずかしくってどうしたら良いのか分からなかったのだけれども、同時にそれはもうどうすることもできなかった私にとって曇空から差す1点の光明であり、凄く勇気づけられたし嬉しかったのです。
佐々木君は私の荷物を軽々と背負うと、私に肩を貸し一緒に土手まで上がってくれた。
そして佐々木君は私に荷物を渡し「ここで待ってろ」と言うと、また土手の下まで走って行って私の自転車を担いで登ってきました。
「おい、自転車の車輪が曲がっててタイヤが回らなくなってる。自転車は持って行くから、自分の荷物は持ってくれ。歩けるか?」
「歩けるけど、自転車はその辺に置いておけば良いよ。あとでお父さんに取りに来てもらうから」
私にとって自転車というのはとても重たくって持ちあげるだけでも信じられないことで、そんなことまで佐々木君にしてもらうなんて絶対駄目だと思った。
でも私がそう言うと佐々木君は笑っていた。
「大丈夫だって。心配するな」
佐々木君はそう言うと歩き始めました。
私は何も言うことができずに、その後をついて行きました。
私は凄く佐々木君に助けられていて、それはとても嬉しいし感謝しているんだけれども、何と言って良いのか全く分からなかった。
そしてそれを伝えることが恥ずかしかったのだ。
気持ちを伝えることって難しい。
それを痛感しながら私は歩いていた。
「佐々木君、部活は?」
私が何とか考えて話しかけた言葉はそれだった。
自分でもどうしようもないことを聞いてるなと思ったのだけれども、佐々木君は優しく笑って答えてくれた。
「怪我してるから今週は休む」
野球部で活躍している佐々木君は毎日練習していたので何故今日はこんなに早く帰っているのだろうと思っていたのだけれど、怪我をしていると聞いて私は立ち止まってしまった。
「え?自転車担いで大丈夫なの?」
「ああ。練習はしたくないけど、これくらいなら大丈夫だ」
佐々木君は何でもないようにそう言うとまた前を見た。
あとは私の家の道順とかしか話さなかった。
話さなければいけないのに。
いいえ、話したかったのに何も話せなかった。
そのうち私の家につき、佐々木君は自転車を下ろすと私の家の庭に置いた。
「ごめんなさい。私、迷惑かけた…」
帰ろうとする佐々木君にようやく自分の気持ちを伝えた。
こんなでは私の気持ちが伝わりきらないのだけれども、その時の私にはそれが精一杯だった。
「そういう時はいくらでも頼っていいんだよ」
気にするなというように、佐々木君はそれだけ言うと手を振って帰っていった。
それから卒業するまで佐々木君と特に何かあるということはなかった。
でも、ちょっと何か男の子の力が必要な時は、声をかけて手伝ってもらうようにはなった。
佐々木君はいつでも嫌な顔をせず手を貸してくれた。
たまに用もないのに用があるような振りをして話しかけたりもした。
佐々木君もどうでも良い話を私にしに来てくれた。
それだけの関係。
でも、私の中で何かが溶け出し、私の心は以前よりも穏やかなものに変わっていった。
何故、今までそんなつまらないことにこだわっていたのか、逆に分からなくなっていた。
あれから数年。
私は高校を卒業して地元の会社で事務職に就いていた。
二十歳を超え大人になり、男性とも昔よりはうまく接することができるようになっていた。
明日からお盆休み、ようやくゆっくりできる。
仕事を終えた私は家に戻るために、本数の少ないバスを停留所で待っていると、聞き覚えのある懐かしい声が聞こえた。
「よお、ひさしぶり」
私の心の奥底にしまってあった気持ちが溢れ出す。
声の方を見るとそこには大人になった佐々木君がいた。
制服は着ていなかったのだけれども、昔と同じ優しい笑顔だった。
少し遅目の思春期。
自然に私は佐々木君に笑いかけていた。
どうしよう。隠していた気持ちが止まらなくなっている。
私の胸は高鳴り始めた。




