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中編

(1)

 女は、地下街の一画で人を待っていた。


 地下街と言っても、下水が流れている地下に、貧しさゆえ住む場所さえ失くしてしまった行き場のない人々が身を寄せ合って暮らしている、言わばスラムのようなものだ。

 ここでは男は窃盗、女は売春、子供はスリなどの犯罪行為で生活をしている者も少なくなく、非合法の薬を求める者も大勢いた。


「ヘドウィグ、待たせたな」

 女が振り返るとそこには、流行遅れのくたびれた安物の背広を着た男が立っていた。

「金はちゃんと持ってきただろうね」

「当たり前だ」

 男から金の入った袋を受け取ると、女ーー、ヘドウィグは頼まれていた品を男に手渡す。

「最近は不景気がたたってか、うちの売春宿も客が減ってきてねぇ。おまけに、一番人気だった女が梅毒に罹って死んじまって。あいつは美人で床上手な奴だっただけに代わりになるような上玉も中々いないし、本当に困ったもんだぜ。薬でもやらなきゃ、やってられん」

 どうやら男はポン引きのようで、ヘドウィグの「商売」に置いての常連客だった。

「そうだ、ヘドウィグ。お前、うちの売春宿で働かないか??お前ほどの別嬪なら、死んだあいつと同じくらい、いや、それ以上に客が付くだろうよ」

「……はぁ??馬鹿言ってんじゃないよ。誰が娼婦なんかになるもんかい」

 ヘドウィグはあからさまに眉根を寄せて、男を睨む。

「まぁ、そう言うとは思っていたが。でもよ、お前、非合法の薬売りなんて危ない商売も、そんなに長く出来るもんじゃないぜ??」

「娼婦と比べたら、てんで楽な仕事さ」

「そうは言っても、憲兵に見つかったりでもしたら、火炙りか縛り首になるかもしれないぞ」

「あぁ、そんなものどうにでもなるさ。それに私も昔は娼婦だったから、もう懲り懲りなんだよ」

「は??それは初めて聞いたぞ」

「人には話してなかったからね。それに気が遠くなるくらい昔の話だ」

「気が遠くなるくらい昔って……、お前まだそこまで歳じゃないだろ」

 これ以上男の話に付き合うのも面倒になってきたため、ヘドウィグはまだ何か言いたそうにしている男を置いてその場を去り、地上に戻っていった。しかし、そこには一人の青年がヘドウィグを待ち伏せていたのだった。


「ヘドウィグさんですね??」

「いかにもそうだが。あんたは何者だ??」

 ヘドウィグの射るような鋭い視線に、青年は一瞬言葉を詰まらせた。が、すぐに気を取り直し、彼女の目を真っ直ぐ見据えながら答える。

「僕はエミールと言います。クラウス王子の家臣であり、乳兄弟でもあります」

「あの王子の??」

 ヘドウィグの目は一層鋭さを増す。彼女の瞳の色は青紫色で、非常に珍しい色であった。

「……私を捕えに来たのかい、坊や。言っておくけど、あんた程度じゃ私を捕まえるのは到底無理だよ。あんた一人を誰にも気付かれないまま、この世から消し去ることなんてたやすいことだ」

「ヘドウィグさん、誤解しないでください。僕は貴女を捕まえるためにここに来た訳ではありません」

 背中の毛を逆立てて威嚇する猫のように、警戒心を剥き出しにして身構えるヘドウィグにエミールは努めて冷静な態度で諭す。

「じゃあ、どういう用件で来たんだ。内容次第じゃ、私はあんたのことを消すよ」

「単刀直入に伺います。本当のラプンツェルは、一体どんな女性だったのでしょうか??」


 ヘドウィグはエミールを睨み付けたまま、質問に答えようとしない。

 二人はしばらくの間、無言で睨み合いを続けたのであったーー。


(2)

「……うっ……」

(……い、生きている??……)

 クラウスは、塔の下に生い茂るサラダ菜の中で仰向けに倒れ込んでいた。


 確か、自分は塔の上から突き落とされたはず。

 あの高さから落ちたのであれば、間違いなく死ぬであろうはずが、何故か生きている。おまけに怪我一つしていない上に、身体のどこにも痛みが生じていない。


 太陽はとうに沈み、辺りにはすでに夜の闇が訪れていた。

 空を見上げると、数多に光る星達は空全体を覆う黒い雲に隠されてしまっていて、姿が全く見当たらない。しかし、大きな丸い月だけがかろうじて雲から逃れるように隙間から顔を出していたのだった。

「おや、目を覚ましたのかい。王子様」

 声が聞こえた方向に視線だけを向けると、魔女が立っていた。相変わらず、外套のフードを被ったままなので顔は見えない。

「お、お前……、よくも私をあんな目に……」

 クラウスは琥珀色の瞳に怒りを滾らせて身を起こそうとしたが、身体がビクともせず、起き上がるどころか指一本たりとも動かすことすら出来ない。

「無駄だよ。あんたの身体に今、呪術を掛けているから」

 そう言って魔女はしゃがみ込み、クラウスの身体に馬乗りで跨る。

「あんた、世継ぎでないとはいえ、この国の王子だろ??悪いことは言わないから、あの娘から手を引きな」

「……はっ!何を言うかと思ったら……。お前がラプンツェルの人生を滅茶苦茶にした癖に!!いいか??確かに、私には血族によって決められた結婚相手がいるから、彼女を妻に迎えることは出来ない。だが、愛人としてなら迎えられるし、それであっても彼女を幸せにすることが充分出来る。何より、ラプンツェル自身も私の傍にいられるなら愛人でも構わない、と言っている!!」

 クラウスが言葉を切った直後、魔女が彼の頬を思い切り引っ叩いた。

「無礼者!この私を殴りつけるとは……。塔から私を突き落としたことと言い、もう我慢ならぬ!!お前を父王の前に突き出して、問答無用で火炙りにでもしてくれるわ!!」

 魔女に殴られたことでクラウスの怒りは頂点に達し、美しい顔を醜く歪ませて怒鳴り散らす。

 しかし、魔女は一向に動じない。王家の人間の怒りを買ったら最後、自分の身がどうなるかなんて小さな子供ですら分かるというのに。

 魔女の冷静沈着な態度にクラウスは再び恐怖心を覚え始めた矢先だった。


 魔女がずっと頭に被っていたフードを取り外したのだ。

 夜の闇の中ということもあったが、乱れた長い銀髪に隠されていて顔がよく見えない。だが、僅かに垣間見える肌の質感から言って想像していたよりもずっと若い。更に、ぽってりとした肉厚な唇がいかにも官能的で、それを見ただけ

でクラウスの胸はドキリと疼いたが、魔女が鬱陶しげに髪をかきあげた瞬間、思わず目を奪われることとなった。

「何だい??人の顔をじろじろ見るんじゃないよ」

 魔女は不快だと言わんばかりに仏頂面になるも、そんな表情をしても美しいことには変わりなかった。


 磨いたばかりの銀製品のように輝く長い銀髪、厚みのある瞼をした目はやや眠たそうに見えるが、却って気怠い雰囲気を醸し出していたし、その瞼の下の青紫色の瞳は鋭い光を放ち、肉厚の唇も相まって何とも妖艶であった。


 魔女はクラウスが自分に見惚れていることに気付くと、面白がるようにわざと彼の身体に自分の身体をより密着させる。

「……はっ、さすがは希代の好色漢で名を馳せるクラウス王子だ。自分の命が危ういかもしれない時でさえ、女の美しさに目が眩むとはな」

 そう言うと、魔女はクラウスの耳朶や首筋に舌を這わせる。

「……くっ!!……」

 これがどこにでもいるような平凡な女であれば、クラウスはきっぱりと拒絶したであろう。だが、相手はラプンツェルとは全く違う種類の美女で、しかもラプンツェルとは違い、男が悦ぶ手管を知り尽くしているといった体の女だ。

(……駄目だ!私が愛しているのはラプンツェルだ!!)

 しかし、男としての生理的な部分も含め、根っからの女好きである性分がここへ来て、むくむくと目を覚まし始める。

「おや、ラプンツェルを愛していると言っていた癖に、これは何なんだい??」

 魔女がクラウスの下半身の様子に気づき、馬鹿にした物言いをする。

「……こ、これは、ちがっ……」

「何が違うって言うんだい??私にどうにかして欲しいのかい??」

 クラウスは激しい羞恥と屈辱を感じつつ、一方で、この魔女を何としてでも屈服させたいという征服欲と、逆にこのままとことん辱められたいという被虐的な願望と、真逆の感情にひどく苛まれていた。こんな複雑な気持ちになるなんて、生まれてこの方初めてだ。

 魔女はクラウスの気持ちを見透かしてか、触れるか触れないかの微妙な手つきで彼の身体を弄んでいる。

「……もう、やめてくれ……」

「よく言うよ。本当はもっとして欲しい癖に。愛しい王子様が、育ての親代わりの私とこんないかがわしいことをしていたとあの小娘が知ったら、どんな顔をするだろうねぇ??」

「ラプンツェルに……言うのか……??」

「さぁね、それは王子様次第だろ??」

「一体、お前は何が望みだ??金か?地位か??」

「そんなもの興味ない」

「だったら何なんだ!!」

「ラプンツェルと別れて欲しいだけだ」

 魔女は一旦動きを止めると、真剣な眼差しでクラウスを見つめる。

「お前は、あの娘の本当の姿を知らないから、愛だの恋だのとうつつを抜かせるんだ」

 そう言うと、魔女はラプンツェルについてクラウスに語り出したーー。


 話が進んでいくにつれ、クラウスの表情は見る見る内に険しいものに変わっていった。

「嘘だっ!!あのラプンツェルがそんな女なはずがない!!」

「まぁ、そう返ってくるとは思ったがな……」

 クラウスの反応は予想の範疇だったらしく、魔女は憐れみを含んだ声色でクラウスに話し掛け続ける。

「私はあんたの為を思って言っているだけだ」

「嘘だ。嘘だ嘘だ、嘘だ!!」

 魔女の話はクラウスにとって衝撃的すぎたせいか、彼はすっかり混乱してしまい、気付くと、クラウスの琥珀色の瞳から一筋の涙が流れていた。

「私は……、幼い頃からずっと、父や母の言うことに黙って従う生き方しかしてこなかったし、そうしなければならなかった。だが、私は王位を継ぐことは出来ない。かと言って、好きなように生きることも出来ない。せいぜい、婚約者に隠れて女と遊ぶことくらいしか出来ない。ラプンツェルは……、そんな私が心から愛した、初めての女なんだ……。ラプンツェル以外の女なんか、私はもういらないんだ……」

 クラウスは嗚咽を混じえて、涙ながらに魔女に気持ちをぶつける。

「……そうかい。そこまで言うなら、仕方ないね。でも……、あんたの婚約者、ヒルデガルトはどうするつもりなんだい??噂では、かの姫君は生真面目が過ぎて潔癖症とまで言われているから、愛人を持つことなんて許さないだろうよ」

「…………」

「仮に、人目に付かない場所でラプンツェルを愛人として囲ったところで、いずれは見つかってしまうだろう」

「…………」

「まさか、そこまで考えていなかった、とか言うんじゃないだろうね??」

 返す言葉もなく、押し黙っているクラウスの様子に魔女は呆れてみせる。

「……図星か。そんなんで何が、『ラプンツェルを幸せに出来る』だ。どちらにせよ、もうここには来ないでおくれ」

「ま、待てっ!!」

 クラウスが声を上げて魔女を呼び止めようとしたが、魔女は一瞬にしてクラウスの前から姿を消した。その時、反射的に伸ばした腕を見て、「……あ、身体が動く」と気付き、勢いよく身を起こす。急に立ち上がったせいで立ちくらみが生じ、身体が少しふらつくものの、歩くことも出来る。

「……あの魔女の言うことは真実なのだろうか……」

 クラウスは、控えめに微笑むラプンツェルの儚げな姿を思い浮かべると、先程の魔女の話を忘れ去ろうとしてか、頭をぶんぶんと振り続けたのだった。


(3)

 薄暗い森の中を一人で彷徨い歩く。

 辺り一面を城壁のように取り囲む木々、遠くから聞こえる得体のしれない鳥か獣かしらの不気味な鳴き声、そして、何度も行き道の進む方向を変えているのに、結局また同じ道に戻ってしまうという最悪の事態。このまま、自分はどうなってしまうのだろう。


 ――――ピシャッ――――


 何処からか、水が跳ねる音が聞こえてきた。思わず、音が聞こえてくる場所を探り当てようと必死で耳を澄まし、歩みを進める。しばらくすると、雲一つない快晴の空と見紛うような、水色の池に辿り着いた。

「…………なんと美しい…………」


  雲に覆われた灰色がかった空とあらゆる種類の緑をした木々が、一点の濁りすらない水色の水面に映し出され、そのコントラストの美しさにクラウスは感動すら覚えた。


 しかし、次の瞬間、池の中で水浴びをしている女の姿が目に飛び込んできたのだ。


 女はクラウスに背を向けていたが、背中を流れる銀色の長い髪は間違いなくあの魔女のものだ。

「何だい、王子様。覗きとは趣味が悪いね」

 振り向いた魔女はクラウスに気付くと、険しい顔をしながら池の中から上がり、彼の許へと近づいて行く。濡れた髪と身体を拭きもせず、一糸纏わぬ姿のままで。

「あんた、私を抱きたいのだろう??今なら、好きなようにしてもいいよ」

 クラウスの首に両腕を巻きつかせ、ぽってりとした肉厚の唇を舌で軽く舐め回して魔女は誘うような艶っぽい目で見つめる。身体に視線を移すと、適度に豊満で肉感的な肢体をしている。


 ラプンツェルを愛しているはずなのに、目の前の妖艶な美女の誘惑に堕ちてしまいそうだ。理性と欲望がさんざん鬩ぎ合ったあげく、ついにクラウスは魔女の乳房に手を添えた。そして――――


 夢から目が覚めた。



「……またか……」

 クラウスは、ベッドから半身を起こす。あの日から、毎晩のように夢に魔女が現れてはクラウスに誘いかけるのだ。私を好きに抱いてもいい、と。


 夢の中とはいえ、もしも魔女を抱いてしまったらラプンツェルへの想いが変わってしまうのではーー、そうなってしまうことが怖くて、いつも誘惑に負けそうになったところで目が覚める。だが、再び夢の続きを見てしまうのかと思うと眠れなくなってしまう。おかげで、ここ数日のクラウスはすっかり睡眠不足に陥っていた。


(4)

「クラウス様??お顔の色が優れませんが、どこかお体の具合でも悪いのですか??」

 お茶を共にしていたヒルデガルトが、心配するようにクラウスの琥珀色の瞳を覗き込む。

「……あ、あぁ、いや、大したことではないのだ。ただ、近頃寝つきが悪くてね、おかげで少々寝不足気味なんだ」

「まぁ……!それはいけませんわ!!この頃、よくお忍びで城下へ頻繁にお出かけになられていたから、きっとお疲れなのでしょう。私はこれにて自室にもどりますゆえ、ゆっくりお休みくださいませ」

 ヒルデガルトは自身の言葉通りにクラウスの私室から去り、彼女と入れ違うかのように、扉を叩く音と共に今度はエミールが訪れたのだった。

「失礼致します、クラウス王子」

「エミールか、入れ」

 クラウスから入室の許可が下りると、エミールは中に入って来た。

「丁度、ヒルデガルトが部屋に戻ったところだ。例の件の報告だろう??」

「はい、ラプンツェルを幽閉している魔女についての情報を集めてきました」

「よし、話せ」


 エミールの調べによると魔女の名前はヘドウィグといい、推定年齢はゆうに二百二十歳を超えていて、過去に彼女の正体に気付き、恐れをなした人々が火炙りにしようとしたところ、彼らを見事に返り討ちにしただけでなく、国ごと滅ぼしてしまった程の絶大な魔力を持っているという。


「元々は地下街で育った娼婦だったらしく、おそらく苦界から抜け出す術が欲しくて独学で魔術を身に着け、悪魔と契約を交わしたのでしょう。そして、本題である、今現在の彼女の棲家は……」

 エミールは右腕に抱えていた地図を広げて、ある箇所を指さした。

「……ふむ。ここは城下で最も治安が悪く、犯罪者の巣窟と言われている地区だな。あんな妙齢の美女の成りをしていたら、いつ犯罪に巻き込まれるか分からないではないか」

「確かに。ただ、彼女の『商売』を行う上では何かと便利なのでしょう」

「エミールよ、明日、ヘドウィグの棲家に案内しろ」

「は??ついこの間まで、ラプンツェル、ラプンツェルとご執心だったはずじゃ……。もしや、もうお心変わりされたのですか?!」

 エミールは、開いた口が塞がらないと言った体で唖然としている。

「エミール、誤解するんじゃない。ラプンツェルを完全に私のものにするために、彼女を解放するよう説得しに行くのだ。ラプンツェルを、正式に私の妻として迎えるためにな」

「ちょ、ちょっとお待ちください……。ヒルデガルト様はどうされるのですか?!それに、王やお妃様を始め、王家の方々は断固として反対されますよ?!」

「だからだ。ヘドウィグに取り入り、私の味方につけることで、彼らが私とラプンツェルとの結婚を認めるよう、仕向けさせてもらうのだ。国を滅ぼせるだけの力があるなら、皆、ヘドウィグに恐れをなして、逆らうことなど出来ぬだろう??そんな恐ろしい魔女の言うことなら、絶対だとひれ伏すだろうからな」

「…………」

 エミールは釈然としない様子の顔つきをしていたがあえて反論せず、黙り込んでいた。クラウスは簡単に言ってのけるが、悪名高き魔女が都合良く協力してくれるとは到底思えないからだ。

 それとも、クラウスは別の目的があって魔女に近づこうとしているのか。クラウスは目的の為ならば、悪びれもせずに人を平気で騙すところがある。むしろ、「騙される方が悪い」とすら思っている。

 だが、注進を促すことは出来ても、エミールはあくまでクラウスの家臣でしかないので、彼から下された命令はどんな内容であれ、首を横に振ることは絶対に許されない。

「……かしこまりました。では、明日、ヘドウィグの棲家までご案内致します」

 エミールは、そう答えることが精一杯だった。


(5)

 ヘドウィグの棲家は市井ならどこにでも建っているような、漆喰塗りの壁をした簡素な木造建ての小さな家だった。屋根に取り付けられている煙突から白い煙がもうもうと外へ流れ出てくる。この様子から、ヘドウィグが現在家の中にいるということが示されている。

「本当に、王子一人で行かれるのですか??」

 クラウスは、不安を露わにさせているエミールを見下すように鼻で笑う。

「護衛を付けずに会った方が信用されやすいだろう??」

「しかし……!万が一、王子の身に何か起こったら……」

「いくら凶悪な魔女でも、危害を加えるつもりのない相手に理由もなく、手を出したりはしないはずだ。まぁ、それでも何か起こった場合はこれで魔女を仕留めるさ」

 クラウスは懐から一丁の短銃をちらりと覗かせ、エミールに見せつける。

「自分の身は自分で守るから、心配するな」

 まだ何か言いたげなエミールから逃げるように、クラウスは家の扉をコンコンと叩く。すると中から、女にしてはやや低めの、凛とした声が返ってきた。

「誰だい??アドルフか??それともゲオルグ??フランツ??」

 ヘドウィグはクラウスに背を向けたまま居間の中心にある、石造りの炉の前で何かを煮込んでいる。おそらく、「悪魔の薬」でも作っているのだろう。先程、彼女が口にした男達の名前は「顧客」の名前に違いない。

「何だ、王子様かい。何しに此処へ来た。よもや、『悪魔の薬が欲しい』とかじゃないだろうね」

 ヘドウィグは後ろを向いたままだというのに、訪問者がクラウスだということに気付く。

「そんなもの、私が欲しがると思うのか。お前に聞きたいことがあって、ここへ来た」

「へぇ、どんな用件だい」

 相変わらず、煮えたぎる鍋の中を覗き込んでばかりで、クラウスの方に向き直ろうとしないヘドウィグに苛立ったのか、クラウスはわざと大仰に足音を立てながら、彼女の傍に歩み寄り、ぴたりと張り付いた。

「ちょっと、何なんだい。もう少しで薬が出来上がるんだから、大人しく元の場所で待ちな」

 ヘドウィグはひどく鬱陶しげにクラウスの身体から自身の身を離す。が、クラウスは凝りもせず、また彼女に張り付いて来る。

「あぁ、もう。鬱陶しいったらありゃしないよ!!」

 ようやくヘドウィグはクラウスに向き直る。

「ヘドウィグ。この間は、よくもこの私を散々辱めてくれたな」

 クラウスは昂ぶっている感情を努めて押さえながら、ヘドウィグに詰め寄る。

「どんな用件かと思ったら……、この間の復讐をしに来たのか。はっ!やっぱり、お前はとんだ馬鹿王子だね。私の棲家なんかで復讐しようものなら、返り討ちにされることなんて目に見えて分かっているだろうが!!」

 ヘドウィグは、気だるげな青紫色の瞳の奥を加虐さでぎらつかせながら、クラウスを嘲笑う。そんな彼女の態度を見て、クラウスは遂に怒りを爆発させた。

「……お前のせいだ!あれから、私が余りに情けない感情に囚われて、毎夜のごとくうなされる様になったのは!!……」

「はぁ??何を訳の分からないことを言ってるのさ」

「お前、魔女だろう??私に妙な魔術を掛けたのか?!正直に申せ!!」

「確かにあの時、お前さんが身動きが取れないように簡単な呪術を掛けた。だが、あれは一時的にしか効かないようなものだし、私が姿を消したと同時に術も解けたはずだ」

「そのことを言っている訳ではない!」

「王子様よ、何が言いたいんだい。私はこう見えても年寄りなんだから、はっきり言ってくれなければ分からないこともあるんだが??」

 激昂するクラウスとは対照的に、ヘドウィグはどこまでも落ち着き払っている。そんな彼女の態度が余計にクラウスの怒りを増長させ、勢い余ったクラウスはその場でヘドウィグを押し倒した。

「王子様、これは一体何の真似だ??」

 女にとって一番危機的状況にも関わらず、ヘドウィグは顔色一つ変えずに、代わりにひどく冷めた目でクラウスの目を見据える。

「お前さんはラプンツェルを愛しているんだろう??それなのに、何故こんな真似をする??相手を間違えてないかい??」

「……あぁ、そうだ。私が愛しているのはラプンツェルだけだ。他の女などもう目に入らない。入らないはずだったんだ!!それなのに……。あれから毎晩お前が夢に現れては私を誘惑するんだ!!ヘドウィグ!!お前は魔女というだけでなく、淫魔でもあるのだろう!!淫らな夢を見させることで、ラプンツェルへの愛を揺らがそうとしているのだろう??」

「…………」

「どうなんだ!答えるんだ!!」

「…………ふ、ふふふ…………」

 目を思いきり見開きながら、クラウスの言葉を黙って聞いていたヘドウィグだったが、やがて押し殺していた笑い声を漏らし始め、終いにはゲラゲラと大声を立てて笑い出した。

「何を言い出すかと思いきや……。いやはや……。発想が飛躍しすぎていて……。……あぁ、可笑しいったらありゃしないよ、はぁ……。こんなに笑わせてもらったのは何十年振りだか……。私が淫魔だって??そりゃ、私の魔力ならば、そういう類の夢を見せるなんてお手の物だけれど、使う力に対して余りに成果が見合わなさ過ぎて、やる意味がないじゃないか。本当に馬鹿すぎる王子様だ……」

 ヘドウィグが言葉を切る前に、クラウスはその口を自身の唇で塞ぐ。だが、ヘドウィグはその程度で動じるような女ではない。

 それどころか、食らいつかんばかりの勢いでクラウスの唇を執拗に貪り、舌を絡める。そんなヘドウィグにさすがのクラウスもたじろぎ、すぐに唇を離そうとしたが、いつの間にか首に回されていた彼女の腕によってしっかりと捕えられてしまっていたため、身動きが取れず、されるがままになってしまったのだった。

「……っっつ!……」

 突然、ヘドウィグがクラウスの唇をきつく噛みついてきたので、クラウスは反射的に唇を離し、身を起こす。

「……何をする!」

「気が済んだかい??」

 ヘドウィグも起き上がり、唇を舐めながら乱れた長い銀髪を掻き上げる。

「お前さんが私に関するいやらしい夢を見るのは勝手だが、だからって、わざわざ人の棲家までやって来て、つまらない八つ当たりするんじゃないよ」

 そう言って立ち上がろうとしたヘドウィグだったが、それを阻止しようとしてか、座り込んだままのクラウスが彼女の腕を掴む。

「……まだだ、これくらいじゃ、まだ足りない……」

「はぁ??」

 さすがのヘドウィグもうんざりして、クラウスの腕を振り払う。

「服を脱げ」

「はぁ??」

「いいから、服を脱ぐんだ」

「いい加減にしておくれよ、我が儘な子供に付き合う程、私は暇じゃないんだ」

「私はお前に愛情など一欠けらも感じていない。あるのは情欲だけだ。それさえ満たしてしまえば、迷うことなく、またラプンツェル唯一人だけしか目に入らなくなる。そうすれば、もう二度とあんな夢も見ずにすむ」

「……呆れた。自分自身のラプンツェルに対する愛情を確認するために、他の女を抱こうと言うのか。あの娘も、とんだ男に引っかかったもんだ。そんな程度じゃ、到底愛なんて言えないね」

「黙れ、売女!いいから、今すぐ服を脱いで、あそこのベッドに横たわれ!!」

 ヘドウィグは面倒臭いとばかりに溜め息をつくと、クラウスの言葉通り、服を脱ぎ始めた。

「手の付けられない、我が儘王子め。面倒くさいから、相手してあげるよ」

 ヘドウィグはやる気が全くなさげに、身につけている衣服を解いていく。

 一糸纏わぬ姿でベッドに腰掛けたヘドウィグの隣に、クラウスも座る。

「相手してあげる代わりに、私と賭けをしないかい??」

 クラウスの細い顎に手を添えつつ、ヘドウィグは妖しく微笑む。

「王子様が賭けに勝ったら、ラプンツェルを解放してお前さんに引き渡そう。だが、私が勝ったら……、その時は……、私の言う事を一つだけ聞いてもらおうか」

「ふん、良いだろう。まぁ、私は絶対に勝つつもりだが」

 クラウスは不敵な笑みを浮かべて、ヘドウィグの青紫色の瞳を冷ややかに見つめたのだった。



さて、このどうしようもないダメンズ王子様の末路はいかに??

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