◆初めてのボス戦 後
ブリンガー亜種の腕は心なしかさっきよりずっと長くなっているような気がした。
「ごめん、さっきのもう一回お願い」
言うより先に、タミヤは既に詠唱を開始している。あの大規模な援護が来れば一安心だが、どうせならアレでトドメを刺したい。こいつがまた、何らかの条件でパワーアップしたらかなわない。
それに、変化したことでステータス面への影響もあるだろう。対魔法防御が高まっていたら目も当てられない。
なら、僕が再び接敵するのも仕方ないことで。
スキル『捌き』を発動。
僕の身体が淡く蒼い色を纏った瞬間、ブリンガーの腕がなぎ払うように迫った。空いた左腕で攻撃を受け、いなす。ダメージ判定はない。
奥義スキル『シンフォニア』を発動――輝いた剣先が閃光を伴い、ブリンガーの肢体を無数に斬り裂く。計十四撃、加えて激しい輝きの放出と共にビームが発射される。ブリンガーを貫通し、眩い光がフロア奥の壁の手前にまで到達する。
無属性によるstr、つまり力準拠の攻撃を放つ。ステータスで力をしっかり上げていなければ攻撃力も大したことはないので、つまるところ僕が与えたのもそんな雀の涙程度のダメージだった。
それでも十四連撃プラス無属性ビーム。このダメージは大きい。
要は倒せればいい。僕は即座に身を翻して距離をとろうとして、すっかり忘れていたことを気づく。
身体が動かない。奥義スキル使用後の硬直はたっぷり四秒。時間は驚くことに、まだ一秒しか経過していない。
まるで相対的と言ってもいいほど、ブリンガー亜種の立ち直りは早かった。
ボスは最も近くにいるプレイヤーを狙う。もちろん、僕はその目の前に居た。
豪速とも言える速度で腕が僕の腹を貫いた。痛みは無いが、その代わりとなるように僕の命となるゲージがごっそり削られた。心もとない数値は、残り五だけを残して停止する。
「やっば……っ!」
硬直が解けたのはブリンガーが次なる攻撃を仕掛けようとした直後で、僕はすかさず処方された回復薬を使って後退した。
回復はゲージの半分で止まった。まだ補助アイテムの効能が残っていてこれだ。数秒後に終えるそれを考えると、もはや死しか見えなかった。
後ろに飛び退いて後ろに向き直って走る。走って、走って、走り続ける。それを追うように振るわれる四本の腕が、僕を捉えきれずに大地をえぐった。激しい轟音と衝撃が響く。僕は泣きそうになった。
「タミヤさん!」
「あと五秒です」
長い。とても長い。どんな魔法を選択すれば詠唱にこれほどまで時間がかかるのだろう。
それともあれか。ステータス準拠の魔法で、ステータスによって詠唱時間が変わるのか。そうだ、そうに違いない。彼女のプレイヤーキャラはとても馬鹿なんだ。
走りながら、最後の一つになった処方された回復薬を使用。ようやくゲージがマックスまで戻る。これで一安心――した所で、
まだ『捌き』は効果を消していない。
僕は足を止めて振り返る。同時に顔面へ迫った平手を、受け流した。
続けて来る三本をも受け流す。四連攻撃はそこで終わり、○・五秒の空白。僕は武器を『血塗れのドス』に持ち替え、即座に使用可能になるスキル『カンツォーネ』を発動させた。
迸る閃光が瞬間、ブリンガーの肉体を削る。屍肉をぶちまけ、貫いた。
ブリンガーの体力ゲージが微かに減る。
時間はそれだけで十分だった。
「行きます!」
タミヤの声が響く。
彼女の手から放たれた蒼い光球が、尾を退いて発射された。弾丸のような速度で撃ち放たれたそれは、ブリンガーが動くより先に衝突する。
体力ゲージがごっそり削られ、消えた。ソレの頭上にあったゲージと名前の表記が一瞬にして消え去った。
ブリンガーは四本の腕を広げるようにして天井を仰ぎ、そうしてようやく崩壊を開始する。大量に血を含んが肉が、びちゃびちゃと音を立てて床に叩きつけられる。
フロア奥の扉が、ぎい、と錆びた音を立てて開いた。
「なんとか、終わったね」
タミヤに声をかける。彼女は小さく頷いて、大きく伸びをした。
「あー、なんだかすごい疲れました。これ終わったら落ちますね」
「うん。僕も一息入れたいし」
「じゃ、フレ登録しましょうか」
「そだね」
メニューウィンドウを開き、オプション。フレンド検索から彼女の名前を打ち込み、友だち登録を選択。間もなく彼女の承諾を得て、正式に友人と相成った。
僕らはそれから、ゆっくりと扉の奥へと向かう。
踏み入れた先は、行き止まりだった。
床に黒ずんだ血痕がなすりつけられるように延びている。空間中央に手術台のようなものがあって、そこを煌々とライトが照らしていた。
すえた匂いのする、薄ら寒い部屋。無数の薬品が収まる棚と、本棚のようなものが混在していて、いずれも中身は空でボロボロに破壊されている。
僕らはその手術台の――その上に乗る、場違いなまでに装飾された宝箱へと向かった。
「みんな……この為に、散っていったのですね」
妙に役がかった口調に、僕はくつくつと肩を震わせて笑った。
まともなレベルとまともな経験があればそう難しいボスではなかったはずだ。僕もレベル二十くらいになっていれば、そう手こずらなかっただろう。
「さ、どんなアイテムが入っているのかな」
僕は何も知らずに、カノーが実装予定のアイテムを想像しながら宝箱に手をかけた。鍵は必要なく、縁に手をかけて力任せに蓋を持ち上げる。
その一瞬、視界がブラックアウトした。すぐに戻った視界に、僕は違和感を覚えながらも、まばたきだったのかもしれない、と完結させた。
全ての映像が脳に直接送り込まれる装置に、まばたきのようなラグは存在しない。そんなことも、僕はすっかり忘れていた。
――果たして、開けたのは希望を入れ忘れたパンドラの箱だったようだ。
アイテムはあった。確かにあったが、僕がそれを入手した時には既にそのプログラムは起動していた。
アイテムは『木彫の人形』が一○○個。装飾としての装備品であり、その効果は『使用者のHPを超えるダメージを受けた際、使用者のHPを一だけ残す。自動使用にて、アイテム使用後は破壊される』とある。
既に実装されていても不思議ではないこのアイテムは、カノー曰く「うっかり忘れていた」とのことだ。プレイヤーが初めて訪れる町でも販売される予定だという。
「これいる?」
「うーん、私はいらないです。近接戦闘専門のあなたが持っててください」
「そっか。それじゃあ戻ろうか」
「私はここからログアウトします。それじゃ、また」
「うん」
言って、彼女がその場から消えるのを待った。その間に僕は木彫の人形を装備する。少し遠くのダンジョンまで向かえば、即死級のモンスターもたくさん居るだろう。今日はそこで試して、恐らく終業になる。
木彫の人形は僕の腰ベルトからストラップのようにぶら下がった。重みはほとんどなく、挙動の邪魔にもならなそうだった。
ステータスを確認すると、幸運が五ばかり上がっている。ささやかな施しだ。
「……あれ?」
既にログアウトしていてもおかしくはないタミヤは、不思議そうな声を上げて首を傾げた。
「ログアウト……できないみたいです」
「おかしいな。ミッションじゃなければ、ダンジョン内からでも終われた筈だけど……」
「取り敢えず、出てみましょうか」
頷いて、僕はアイテムボックスから『帰還者の魂』を使用。ワールドから『シブヤ駅前』を選択。
瞬間、僕たちの視界は瞬く間にして暗転した。
雑然とするシブヤの駅前で、僕たちは共にログアウトを試行した。
それでも現れるメッセージは『現在、ログアウトができません』だ。
「……おかしいな」
何らかのバグなのは明らかだ。
恐らく、勝手にミッション受注中になってしまっているような、そんな判定を受けているような感じで。
「どーしよ」
ひとまずオプションウィンドウから、カノーから与えられている管理者権限でメールボックスを開く。これはいつも不具合を発見した時に、カノーへと報告するためのものだった。
恐らく致命的なバグだと僕は判断して、空中に出現した半透明のキーボードを使って文章を打ち込む。一分もしない内に送信して、僕たちはハチ公前で待つことにした。
ものの数分で帰ってきたのは、カノーからのボイスチャットだった。
『今、状況を確認している。恐らく君の言うとおり、勝手にミッション受注中となっていてログアウトできなくなっている仕様だ。ひとまず君たちは『掲示板』の前に行って、新たなミッションを受注し、その場で破棄してみて欲しい』
「了解です」
言われたとおり、掲示板の前に移動する。掲示板はシブヤ駅から入ってすぐの壁にあった。
近づくと自動的にミッションの一覧がウィンドウで出現する。僕はその一番上の『騒がせもの』ミッションを受注。内容は適当にブリンガーを十体討伐という内容。
視界に大きなハンコが押されて、受注状態になる。
僕は再び掲示板にアクセスし、ウィンドウを起こす。受注している『騒がせもの』を選択すると、『現在受注中のミッションです。リタイアしますか?』とメッセージが現れた。
迷わず『Yes』を選択。デデーンと効果音。ハンコに大きくバツ印が付く。
僕はその場でメニューウィンドウからログアウトを選択。
それでも、出現するメッセージは変わらなかった。
「ダメでした」
『そうか……念の為に、何度か繰り返してみてくれ。私はひとまず急遽メンテナンス告知後、五分後に全員をログアウトさせてみるから』
「はい」
頷いて、そのことをタミヤに説明した。
彼女は少し不安げな表情をさせたまま、僕と同じことを繰り返す。
五分が経過して、メンテナンスのアナウンスが女性の声で響き渡った。同時に視界上部に、公式メッセージとして延々と流れ始める。
五分後、メッセージ横に現れていたカウントは綺麗にゼロを現しているのに、何も起こらなかった。僕は懐かしく感じ始めるログアウトの感触を想起しながら、ミッションの受注と破棄を繰り返す。
「きっと帰れるよ。大丈夫、デバッガーの僕が居るんだから」
そう言っても、彼女は曖昧に微笑むだけだった。たかがバイトの言葉など、なんの慰めにもならない。
恐らく超がつくほど腕前の確かなプログラマーだろうと、同じだろう。この世界に居る限り、確かだと信じられるものなど何一つ無い。
僕たちは檻に入れられた無力なモルモット。檻の中で剥ける牙はあっても、その檻を破壊することは到底できない。
五分、十分、一時間、二時間経過しても、何も変わらなかった。
カノーの焦りも聞こえてくる。まるでそれが聞こえているかのように、他のプレイヤーたちの不安も煽られたようで、騒ぎ出している連中も多かった。
時間が経過する。時間は昼を過ぎ、夕方になる。空は西から紅の進行を初めて、その後を追うように藍色が支配し始めた。
午後十時。とっくに帰ってご飯を食べているだろう時間に、僕はまだそこに居た。
疲れてしまったのか、タミヤは数時間前から喋らず、一時間前に寝落ちした。僕は彼女の頭を膝に載せたまま、ハチ公前で座り込む。
『少し、席を外す』
カノーはそう言って、ボイスチャットを終了させた。
僕はその日、初めてVRMMOで夜を明かすことになった。