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プロローグ

 僕は世界の話がしたい。君たちが居る世界の話だ。話というよりは、一方的な問いが多いかもしれないけれど。

 世界の話をするとして、君たちはどれだけ自分の居る世界を信頼することが出来るだろうか。

 ひいては、自分のことをどれだけ信じているのだろうか。

 無条件で、自分の居る場所だけは戦火に晒されることはないだろうし、災害に見舞われることはないだろうと思っている君も居るかもしれない。それを経験した君も居るだろう。

 自分は自分以外の何者でないと証明する必要性を知らないだろう。

 少し話が逸れたかもしれない。

 君たちの世界は何で構築されているのだろうか。

 プログラム? わかってる、そんなわけはない。地面は土で、砂で、石で、コンクリートで、自然が豊かで、あるいは排気ガスが濃密で、多くの命で構成されている。

 風が吹くのは地球の自転の影響だし、目の前に出された温かい料理は人の手によるものか、電子レンジのお陰だ。

 君たちが世界を隅々まで把握するのは難しい。明日のあの時間に毎日行われるイベントに毎日参加して時間ピッタリに開始し終了するのを待つのも難しい。

 だって秒単位で時間ピッタリに始まることはまず無いし、終わるのも解散も開催する側次第だ。

 それに、その前に君たちを取り巻く自分の世界を全て把握することだって難しい。テレビの構造、パソコンの構造、それのシステム面、何がどうなって動いているのか。分かる人もいるが、普通はわからない。頭の中で出来る限りの知識を総動員して考えてみて、途中で諦める。しょうがない。

 でも、君たちの世界はそれだけじゃない。

 マンガ、小説、ゲーム、アニメ。多くの世界が存在するし、それは間違いなく君たちが持つ世界の一部にほかならない。どれもが確かな現実で、君たちの現実の一つになっているだろう。

 だけど、君たちの世界には無いものが一つだけある。


『語源はともかく、虫じゃあないんですけどね』

「またかよ」

『ええ、システムの欠陥バグを発見しました』


 いやに楽しそうな声じゃないか。

 頭の中に流れ込む声は、頭の中に埋め込んだコンピュータによる通話なんかじゃない。単純にボイスチャットだ。君たちの世界にそんな技術はまだ無いだろうし、車だってチューブの中を走っては居ないはずだ――。


 プレイ時間『二四一万、七七六○時間』――通称、仮想年齢二三歳。

 僕はそれだけの時間を、『この世界』で生きた。

 君たちの世界の一部であり、今では僕の世界の全てとなってしまった世界。

 ここはゲームの中だ。タチの悪いことに、これが全てだ。ビルに埋め込まれている大型のモニタも、建物の構造だって分かる。プログラムなんだ。触れれば手に粉がつくコンクリートだって、そういう感触、反応になるようプログラムされている。決して、セメントからなる建材ではない。

 僕はたしか、君たちの世界ではフリーターで、デバッカーだった筈だ。

 筈だ、というのは僕は今確かに君たちの世界に存在しているかわからないからだ。断言なんて、怖くて出来ない。違った時が一番こわい。

 僕が僕であった最後の瞬間は二三年前だし、その世界での僕は二三年前の七月二八日の十七時三○分に定時でしっかりとゲームをやめて帰路についているかもしれない。 

 僕の意識だけが、このプレイヤーキャラに焼き付いて人格を投影して動いているだけなのかもしれない。

 僕は、本当に僕なのか。

 君たちは本当に、その世界がゲームの中ではないと断言できるのか。

 僕には出来ない。我思う、故に我あり。かつての哲学者が、僕の教育担当がそれぞれ言った。だからなんだ。そう信じればこの肉体がプログラムなんかじゃなくなるのか。昨日食べた甘すぎるシチューも本当にプログラムじゃなくなるのか。

 それでも、僕は感心する程度には思うことがあった。

 この体感型(VR)MMOはなるほどたしかに、哲学のようだ。

 胸の内に残る不安を一蹴し、自分を納得させるためだけの学問だと、僕は侮蔑してそう覚えることにしているのだけれど。


『ほら、早く駆除しないと』

「虫じゃないんだから」

『でも犬ですよ』

 そう、犬だ。

 目の前に現れた犬はハチ公で、不謹慎にもその誕生日である十一月の第二週に出てくるイベントキャラだ。とあるフィールドで一定数保護することによって、保護したハチ公が復讐に目覚め漆黒の猛犬になる。

 それを斃すことで、イベント用の強力な装備アイテムが手に入るのだ。

 今は七月。あらゆる条件を満たしていないし、イベント中にあるはずのないハチ公像もある。

 何が原因か。僕はそれを走査スキャンする。

 そのためのプログラムを展開する。目に見える形で言えば、拳銃だ。装備アイテムとして僕は手に握る。

 走査用プログラムに皮を被せた『冷凍弾フリーズ・ブレット』を装填。発砲。

 シブヤの人気のないハチ公前で、黒い猛犬の土手っ腹に弾丸がぶち当たる。大げさに仰け反って、一瞬そのシルエットにプログラムが展開した。

『わかりました、いつものです』

「まあ、だとは思ってたんだけどね」

 すぐに『爆裂弾バースト・ブレット』を装填。こいつは前にも本来居ないイベントキャラにぶち込んだプログラムだ。前は確か、なぜかズーズー弁になっている西郷隆盛に叩き込んだのだ。僕は腹を抱えて笑ってたっけ。

 装備している間に猛犬が突っ込んできた。さすがに疾い。

 僕が気だるく回避行動をとる前に、猛犬ハチ公は僕が構えた拳銃ごと腕に噛み付いてきた。

 牙が噛み合う。肉が引き裂ける感覚。ブチブチ、と嫌な音が響く。痛みのフィードバックが脳髄に痛みを叩き込む。

 血しぶきが弾けた。痛みに目を剥いた。僕はいつもこの瞬間だけ、気だるさが吹き飛ぶ。面倒くさいと思う行動を積極的に行える。

 生きるためだからだ。

 左手に装備を追加。ただの出刃包丁を手に取り、腕に噛み付いたハチ公を僕の腕ごと貫いた。

 グオオ、と怪獣のように低い唸り声を上げてハチ公が飛び退く。僕の腕はまっさら無事だ。ただ、体力ゲージが少しだけ減った。僕の痛みや傷は、全てゲージが代ってくれている。その代わり、この頼りないゲージがなくなれば死ぬのだ。

 粉々に砕けた拳銃の上にサークル型のゲージが重なる。一秒も無い内にフルに溜まって、拳銃が再生した。手の中にあの硬く重く冷たい感触が蘇る。

 そうしながら僕は走る。人の居ない、車も通らないスクランブル交差点に出る。

 僕はそこで消費アイテムから『ワークアップ』を選択、使用。対象を選択、視線で猛犬に決定する。

 途端に、ハチ公を中心として円となる赤い判定が出現した。およそ猛犬のシルエットの十倍。ほとんど目の前が真っ赤だ。

 このアイテムは、当たり判定を広げる。

 だから僕は目視しただけで構えもせず、適当に数撃ちゃ当たるように発砲する。猛犬は既に元気よく跳び上がっていたが、判定の端を弾丸が貫いただけでその挙動が停止した。

 宙空で、猛犬ハチ公は動きを止めた。漆黒の肌に白い文字列が無数に流れる。プログラムが展開し――完了すると同時に、ハチ公は消え去った。

 砕けるでもない、霧散するでもない。それはテレビの電源を落とすように、消えたのだ。


 君たちは、自分たちの居る世界を確かに現実だと信頼出来るだろうか。もちろん、自分が信じればそこが現実だ、という話ではなく。

 僕は少なくとも、それが出来ると思う。君たちは出来る。そう信じてる。

 だって君たちがこの問いかけを見ているということは多分、僕が発信しているログを読んでいるのだろうから。僕とは違う世界に居る。たとえ同じワールド内だとしても、そう期待できるだけで十分だ。 

 僕のいる場所とは違う場所。僕はそれだけで、そこが現実だと身勝手に信じこんで、ここがゲームなのだと安心できる。

 そうすれば、僕はこの薄っぺらな現実から、いつか抜け出すことが出来るのだと信じられるのだから。


『珍しいですね、あらかた修復はできてると思ってたのですが』

「完璧ってのは無いさ。ハチ公のバグは初めてだし、見落としてたんだろ」

『ですね。他の世界ワールドはどうでしょうか』

「さあ。でも俺は、当分ここを出るつもりはないかな。いい加減、疲れたし」

『お疲れ様です。じゃあ、もう戻ってこられます?』

「うん、もう帰るよ」

 メニューウィンドウを展開。ログアウトを選択。


 ――現在、ログアウトができません。


 灰色の文字列を選択すると、そう表示される。目の前に、そう文字が浮かび上がる。僕は嘆息しながら、消費アイテムのウィンドウから木彫の人形のアイコンを選択。『帰還者の魂』を使用。これはいわゆるワープアイテムだ。僕は即座にホームを選んだ。


 ログを読んでくれる君は居るだろうか。

 僕はそう信じて、次はこの話を紡ごうと思っている。

 これは、始まりの物語だ。

 僕が現実での最後の時間を過ごし、そしてVRMMOでの初めての時間を過ごす物語だ。

 最初にして、最悪のバグとの遭遇。

 未だに解決しない、裏切りと救済と諦めと覚悟の物語。

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