第八章 折り目の増殖
折り目は一つでは終わらない。
紙に入った線は、時間が経てばひび割れを増やし、水に沈めば繊維ごと広がる。
沈むたびに、見えない層が幾重にも重なり、私の胸の奥に別々の頁が芽を出していく。
——昨日の会見で「死はあったが、五人ではない」と訂正されたはずなのに。
訂正は、死を否定するのではなく、死を拡散する力を持っていた。
私は、自分の行為を一つの死に閉じ込めておきたかった。
だが、ニュースの光はその死を外に押し広げる。
折り目は増殖し、沈む先はもう底が見えない。
【Breaking / 速報】「第二の遺体、発見」
【緊急】警視庁・市教育委員会 再度の臨時会見——本日 19:00 開始(会場:市教委会見室)
【L字テロップ〈上段〉】現場:市北部 河川敷 北側護岸/通行規制あり(歩道部)/鉄道ダイヤ平常
【L字テロップ〈下段〉】※未確認情報の拡散にご注意ください。画像・音声の出典をご確認のうえ投稿を。二次被害防止のため個人特定を伴う内容は削除対象
《臨時ニュースをお伝えします。先ほど市北部の河川敷で、新たに一体の遺体が発見されました。年齢は未成年と推定、身元は現在確認中です。警察・教育委員会は本日19時から臨時の合同会見を行い、第一報との関係性の有無や、初動対応の時系列について説明するとしています——》
【プッシュ通知(各社統合)】
・<至急>「第二の遺体」発見/属性は確認中/関連は未確定
・<補足>19:00 会見をライブ配信/一人一問の原則/未成年配慮のため個別情報は非公表の方針
【SNSトレンド(18:07 時点)】
#第二の遺体 #続報 #同一連鎖か #黒咲再会見 #一次情報 #身元確認中 #未成年配慮
【スタジオ・アナウンサー】
「繰り返します。“遺体の発見”という事実と、“どの事案と結び付くのか”は別に扱われます。視聴者のみなさま、憶測の拡散はお控えください。なお、当放送では年齢・氏名・所属先などの特定情報は扱いません。ここからは現場中継です」
【現場・リポーター(河川敷北側)】
「はい、こちら現場です。背後には規制線、その奥にブルーシートと鑑識車両が見えます。流域の風が強く、時折アナウンスが聞き取りづらい状況。第一発見者はジョギング中の住民で、通報は午後5時台とみられます。警察は周辺の聞き取りと広い範囲の目視捜索を継続。身元は未確認で、**“前件との関連は現時点で判断不能”**というのが統一見解です」
【解説用CG】「情報の流れ:発見→110番通報→現着→一次保全→法医連絡→身元確認(照合)→会見」
【テロップ】「“発見の事実”と“属性の確定”は別工程/照合は複層で実施」
——私は、呼吸を止めた。
「第二の遺体」という文字列が、“第一”を前提にしている。
昨日の会見で引かれたはずの線——「五人ではない」——その線が、別の折り目としてさらに裂け目を広げていく。
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【会場 LIVE】市教育委員会 会見室/19:00
【注意事項】「一人一問・個人特定不可・録音配信可(加工禁止)」
【同時通訳】手話/字幕インセット
登壇:警視庁 捜査一課 朝永/捜査協力官 黒咲/教育委員会 広報
冒頭(確定点の提示)
黒咲:「確定は二点のみです。一、遺体の発見は事実。二、前件で一部に流布した“当該五名”との直結は確認されていません**。本日は不確実を不確実のまま区切る説明に努めます」
【テロップ】「①遺体“有” ②“当該五名”直結未確認」
朝永:「初動では事実の**“見える部分”が先行し、物語化が起きやすい。今回は見える断片と裏付けの工程を明確に分けて**お話しします」
(会場のノイズが収束)
――質疑応答(記者=読者の疑問の代弁)――
Q1(公共放送):「“第二の遺体”と“第一”の関係を二分で。同一連鎖か、無関係か」
朝永:「二分で断じません。現時点は**“無関係と言い切れず、同一とも言い切れない”。ただし捜査線は両方向**に伸ばしています」
【テロップ】「同一連鎖/無関係=判断保留(両線で捜査)」
Q1-追(公共放送):「視聴者は混乱しています。**“少なくとも否定できるもの”**は」
黒咲:「“当該五名の全員”という括りは否定できます。全体像としての一致は見られない。一方で個別の行動履歴は引き続き検証します」
【テロップ】「集団一括の一致なし/個別履歴は継続検証」
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Q2(全国紙):「“似せるための正確さ”という表現。具体的には何を指すのか」
黒咲:「時間帯・所持物の配置・現場の“見え方”など、“連想トリガー”を束ねる設計が感じられる。ただし、記号=犯人ではありません。記号は攪乱にも使われます」
記者席ざわめき。ペンの走る音。
【テロップ】「連想トリガーの束/記号=犯人ではない」
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Q3(通信社):「昨日は“誤報”の訂正、今日は“第二の遺体”。広報の信頼をどう回復するのか」
朝永:「“分からないものを分からないと言う”を徹底します。時系列と根拠の層を添えて更新する。一次情報の窓口一本化も直ちに実施中です」
【テロップ】「不確実の可視化/時系列+根拠層/窓口一本化」
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Q4(地方紙):「“五名”との関係は? 否定できるなら、なぜ数字が先に独り歩きしたのか」
朝永:「SNSの推定と過去の校内トラブルの記録(断片的公開情報)が結合した形跡。現場で“5”の確定カウントは一度もしていない。数字は最初の物語を強化しますが、真実はそれに従わない」
黒咲(静かに):「“最初の物語”を外す作業は、痛みを伴います」
【テロップ】「“5”=SNS×過去噂の結合/最初の物語を外す」
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Q5(週刊):「**“潔白のラベルは最も疑わしいことがある”**と発言。特定の人物を指しているのか」
黒咲(短い間):「誰か一人を指していません。ラベルは保護にも偏見にもなる。ラベルに依存せず、行動の連続性で見ます」
記者:「一人でも関与の可能性が?」
朝永:「可能性は排除しない。故に所在確認と安全確保を同時に進めています。“接触者=容疑者”ではありません」
【テロップ】「ラベル依存回避/行動連続性で判断/接触者≠容疑者」
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Q6(IT専門):「身元確認の工程。端末ログの本人性は弱いのでは」
黒咲:「多要素照合です。防犯映像・交通IC・決済・目視証言を相互補強。端末は補助。単一一致に依存しないのが方針」
【テロップ】「多要素照合/単一一致に依存せず」
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Q7(公共ラジオ):「“第二の遺体”の公表で不安が増幅。今日、ただ一点、信じてほしい核は」
朝永:「“いま分かること”と“いま分からないこと”を分けて話す、という運用です」
黒咲:「“似せられた正確さ”は、真実ではなく意図を指し示す。意図に飛びつかないでください」
【テロップ】「分かる/分からないの線引き/意図≠真実」
(会場、短い沈黙。続いて一斉にシャッター音)
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【スクロール表示(視聴者向け注意)】
・会見は一人一問/未成年配慮のため個人特定は不可
・SNS投稿は出典と加工有無を確認/二次被害の抑止にご協力を
・現場映像の切り出し拡散は文脈喪失の恐れ——誤認の再生産に繋がります
【スタジオ要約】
キャスター:「“遺体はある”が“当該五名の“全体一致”ではない。一方で**“似せられた正確さ”が再び確認され、物語化の誘惑に対して強い警告**が出されました。一次情報と工程の分離、ここが鍵です」
【ASL通訳インセット】【字幕:更新は公式サイト/次回ブリーフィング予告】
——会場がざわめき、打鍵音が一斉に走る。
私は画面の光を浴びながら、折り目が増えていく音を、胸の内側で聞いていた。
私は画面に縫い付けられるように視線を固定していた。
「潔白のラベルは最も疑わしい」——黒咲の一言が、鋭い針のように私の鼓膜を突き破り、脳髄の奥で残響した。
潔白。守りの盾のはずが、刃の反射面として私に跳ね返る。ラベルが与える安堵は、次の瞬間には不信へと反転する。
昨日の訂正会見で「彼らは無関係」と線引きされたばかりだった。
だが今、第二の遺体の速報が画面を赤く染め、まるでその線が意図的に破られるために描かれたかのように、別の折り目として空間を裂いていく。
「無関係」は、演算のうえに貼られた仮面にすぎなかったのか。
もしそうなら、あのラベル自体が関与の影を照らし出す逆光になってしまう。
私は無意識にノートを開いていた。
危険度行列の余白は、既に幾度も走り書きと訂正にまみれている。震える手で、私は鉛筆を走らせた。
『死は波紋。訂正は増幅。折り目は数を増す』
書き終えると同時に、鉛筆の芯が小さく欠けた。
紙に残った文字は、観察者の冷静な記録ではなかった。
それは、行為者として呪いを刻む衝動そのものだった。
——神代は確かに死んだ。
私の掌が記憶している。背後に伝わった重み、落下の衝撃、静かに消えた体温。
それは、私にとって唯一の現実であり、観測の確証だった。
しかし、今テレビの中で語られる死は、別の次元で増殖している。
「死は一つではない」という構造が、私の犯行を覆い隠すと 同時に、より深い絶望を突きつけてくる。
私が押し込んだその死は、統計の一部として吸収され、他の死と混ざり、数を増す花弁のひとつに紛れていく。
画面にはモザイク処理のかかった現場映像が映し出された。
風にあおられたブルーシートが一瞬だけめくれ、影のような形が覗いた。
バッグの輪郭。色と大きさ。
——見覚えがあった。
あのグループの一人が、教室で机の横に掛けていたものと酷似している。
SNSのタイムラインには「顔を見た」「似ていた」という断片的な投稿が数分間だけ流れた。
だが、そのすべてが自動的に削除されるように、痕跡ごと消えていった。
残るのは、削除の痕跡と、消えたという事実が生み出す逆説的な確信。
私は背中に氷の薄膜が張り付くのを感じた。
冷たさは衣服を通過し、皮膚から骨の内側へと染み込んでいく。
それは単なる寒さではなく、「死は増える」という構造が私の中に沈殿していく感覚だった。
折り目は、増殖する。
それは観察者としての冷徹な理論ではなく、行為者として私自身に刻まれた呪文だった。
私が一度折ったその線は、水に沈んでも、沈む先でさらに新しい折り目を呼び寄せる。
死は波紋となり、訂正はその波をさらに拡散させる。
そして波紋はまた別の折り目を作り、やがて紙全体を裂いてしまう。
私はその紙の上にいる。記録者としてではなく、裂け目の中心に座らされている者として。
——神代の死は真実だ。
それでも、その真実すら、いま目の前でブラフの花弁に呑み込まれていく。
そしてその中心には、確かに私がいる。
「観察者」としての視線を失い、「行為者」としての罪を抱えたまま、波紋の震源に固定されて。
——もう逃げられない。
波紋は水面にとどまらなかった。
それは紙の罫線にも、放送のテロップにも、SNSの短い投稿にも宿り、増殖し続けた。
私が沈めた一点は、もはや私だけの記録ではない。
死は、社会に取り込まれ、訂正と誤報の往復によって幾重もの環へと変形している。
「真実」という言葉すら、波紋の外縁に押しやられていく。
私はそのただ中に座っている。
観察者であるはずの眼は、行為者の震源として縛られ、
そして、震源を持つ者こそが最も早く沈むのだと、身をもって知った。
その沈みは孤独ではなく、群衆のざわめきと共に沈む。
私の名も、彼らの名も、ラベルも、訂正も、すべては水面に 散らばる紙片のように揺れながら、
なお、折り目だけは消えない。
次の頁を開けば、また波紋が広がるだろう。
だから私は、今日の文字を閉じる。
おやすみ。また、明日。